[ 夢十夜 ] 第一夜。「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」
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第一夜
夏目漱石の「夢十夜」。とても美しい作品。
第一夜。
黒い目が美しい女が今死のうとしている。女は漱石にいう。
100年待て。「罪と罰」のラスコリニコフとソーニャは7年待とうとした。作者のドストエフスキーはふたりがともに7年を待てたのかどうかは書かなかった。7年は長い。100年はもっと長い。
100年待ってほしいという女は現実の世界にはいない。
100年以上,待った男
しかし,漱石は女の墓を作って,その傍らで100年ずっと待つ。
現実の世界は常に移り変わる。約束は守られないし,誓いも忘れられる。しかし,夢の世界では何も変わらない。約束は必ず守られるし,誓いはいつまでも忘れられることはない。
古来,ひとびとは夢の世界を大切にしてきた。日本書記や古事記,宇治拾遺物語からそれを知ることができる。たぶん,現実の世界のたよりなさからの反動だろう。変わらない,本当の,と呼べる世界を求めた結果だろう。
たぶん,夢の世界もないのだろうが,けれどもそれを信じようとするひとの気持ちには本当ではある。
黒い目の女は来たのか,それとも来なかったのか
第一夜の夢のなかで,男は100年以上時が流れたのを知る。けれども,黒い目の女は現れない。百合の花が咲いて,雫を落とした反動で花が揺れて,漱石の唇に触れる。百合が黒い目の女だという解釈があるようだが,百合は百合であって,黒い女ではない。黒い目の女は100年経ったけれども現れることはなかった。
100年がもう来ていた。けれども,黒い目の女は現れない。なぜか。
黒い目の女は現れない
現実の世界では奇跡は起きない。現実の世界は流転の世界だ。何一つとどまるものがない。生まれては消え,消えては生まれる。黒い目の女がもう一度姿を現すことはない。死んだひとにはもう二度とあうことはできない。
冷たく,頼りない,そんな現実の世界でひとが生きていけるのは他でもない夢の世界があるからだ。わたしたちが生きていけるのは,夢の世界,大切なひとやものが変わらず私たちをいつか迎えて入れてくれるはずの世界があるからだ。あると信じるから生きていけるのだろう。
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