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[ 干支の話 ] 現代日本に息づく古代中国(十干と干支)
甲乙丙丁
甲乙丙丁。日常での生活でも時折聞きます。たとえば,どちらが良いか判断に困るときに「甲乙つけ難い」といったりします。また,契約書でも甲乙丙丁はよくでてきます。申込者を甲,サービスを提供する者を乙などとします。
甲乙丙丁は,この後,戊己庚辛壬癸と続きます。10個ありますが,それぞれ 1, 2, 3, ... 10 に対応しています。古代中国では10をひとまとまりと考えていたようです。それは日本でも同じであったようです(吉原, 1975)。
吉原昭夫 (1975)古事記に見られる数概念について 日本数学教育学会誌 [jstage]
紀元前の古代中国ではすでに月が29日,30日で満ち欠けを繰り返すことを理解していました。10日をひとまとまりにして,一月を捉えており,そのため,一月を3等分し,それぞれ上旬,中旬,下旬という言い方をしたそうです。この言い方は今も私たちの生活に残っていますね。
六十干支
甲乙丙丁戊己庚辛壬癸は十干といいますが,この十干は干支(子丑寅卯辰・・・)と組み合わされて,六十干支として年を記録するのに活用されています。
例えば,甲と子を組み合わせて,甲子(きのえね)。,乙と丑で乙丑(きのとうし),丙と寅で丙寅(ひのえとら)などです。後,丁卯(ひのとう),戊辰(つちのえたつ)と全てで60個あります。
あれと気づかれた方も多いでしょう。阪神タイガースの本拠地,甲子園球場がこの名前になったのは甲子の年に営業をはじめたからです。他にも戊辰戦争は戊辰の年に起きたため,この名前になっています。歴史上の出来事でいうとたくさんありますね。
乙巳の変(645年)
壬申の乱 (672年)
庚午事変 (1879年)
甲申事変(1884年)
甲午農民戦争(1894年)
こうしてみると古代中国で使われていた数の数え方や年の記録の仕方など,私たち現代の日本の社会にも息づいていることがわかります。
参考にした書籍
稲田 義行 (著)「現代に息づく陰陽五行」(日本実業出版社)[Amazon]
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