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11月5日は津波防災の日。
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概要 このページでは「今日は何の日?」をテーマに,今日生まれたひとや,今日あった歴史的出来事について書いていきます。昔のことを思い出し,それを題材に周りのひとと会話するきっかけづくりにお使いください。毎日提供!(たぶん)
今日は何の日
本州では10月末は稲刈りの時期だ。今は稲をとっておいて,あとで使おうという農家は少数だ。昔は,脱穀後の稲を束ねて家のようにして乾かしたりして,稲をわらじにしたり,神様に祀る縄にしたり,畑作業につかったり,畳用にできるものは畳屋に売ったりした。脱穀後の稲を束ねたものを,稲むらという。
田畑の間を向けて,稲むらを見ていると,明日が11月5日の津波防災の日だったことを思い出す。どうして,11月5日が津波防災の日なのか。
旧暦の1854年11月5日(現在の12月4日)に,安政南海地震が発生した。そのとき,ある男の機転で村人の命が津波から救われた。これを記念して,11月5日が津波防災の日となった。男の機転とはどんなものだったのだろう。
稲むらの火
1854年11月5日のことだった。和歌山県に広川という村があった。その村に濱口儀兵衛という男がいた。
儀兵衛は村の高台に住んでいたが,海の方を見ると,海の水がどんどんと沖合に退いていく様子をみた。沖合に戻った水は勢いを増して,こちらに戻ってくる。津波が来る。
儀兵衛は村の人に津波がくることを知らせなければいけない。けれども,ちょうど,季節は稲刈りが終わったころ。収穫に感謝する祭の準備にてんてこまいの村人たちは,津波には気づかないだろう。
そこで,儀兵衛は稲むらに火をつけた。稲は脱穀したあとも,
乾いているからすぐに火がついた。火はみるみる大火になった。火に気づいた村人が高台にいる儀兵衛のもとにかけあがってくる。火事を消そうとしてくれているのだ。しかし,儀兵衛は村人たちに海を見るようにいう。
村人はそこで気づく。火は自分たちを安全な高台に連れてくるための儀兵衛の機転であったことに。
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