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群衆と革命
▼今朝,安倍首相がTwitterにある動画を投稿しました。
友達と会えない。飲み会もできない。
— 安倍晋三 (@AbeShinzo) April 12, 2020
ただ、皆さんのこうした行動によって、多くの命が確実に救われています。そして、今この瞬間も、過酷を極める現場で奮闘して下さっている、医療従事者の皆さんの負担の軽減につながります。お一人お一人のご協力に、心より感謝申し上げます。 pic.twitter.com/VEq1P7EvnL
かつての日常が失われた中でも、私たちは、SNSや電話を通じて、人と人とのつながりを感じることができます。
— 安倍晋三 (@AbeShinzo) April 12, 2020
いつかまた、きっと、みんなが集まって笑顔で語り合える時がやってくる。その明日を生み出すために、今日はうちで・・・。どうか皆様のご協力をお願いします。#うちで踊ろう #星野源 さん
▼この動画が首相自らの意思なのか,周辺が作成してアップしたものなのかはわかりませんが,おそらく「私ものんびり過ごしてしています。だから皆さんも安心して過ごしてください」というメッセージを発信したかったのでしょうが,これまでの経緯からすると「私は優雅に過ごしています。補償は出しませんが,皆さんはとにかく家にこもって,ネットでもしてなさい」というメッセージとして受け止められてしまい,多くの反感…もとい,反響を生み出しています。
▼中にはフランス革命を引き合いに出し,時代や場所が違えば革命や暴動がが起きてもおかしくない,と批判している人もいます。
▼私も「よく暴動や革命が起きないな」と思います(※起きてほしい,ということではありません)が,引き合いに出されているフランス革命後は決してユートピアなどではなく,むしろロベスピエールによる恐怖政治を経て,ナポレオンの軍事独裁政権に行きつき,戦争で200万人の命が失われたわけで,革命が良い結果をもたらした,と必ずしも言うことはできないでしょう。また,安倍首相夫妻をルーマニアのチャウシェスク元大統領夫妻になぞらえるむきもありますが,ルーマニアも革命でチャウシェスク夫妻が処刑されたのち,社会が混乱し,市民が困窮して多くの犠牲者が出ました(孤児院や乳児院などで栄養失調になった子どもに栄養剤の代わりに大人の血液製剤を投与したところ,そこにHIVウィルスが混ざっていたためにHIVに感染した子どもが多数出てしまった,という話もあります)。
▼日本でも,戦前に政府要人が暗殺される事件が起きました。有名なものとしては,五・一五事件や二・二六事件が思い浮かびますね。しかし,そうしたクーデターは成功せず,かつ,その後,いわゆる「統制派」の軍人が実権を握り,太平洋戦争へと突入し,多くの犠牲者を出したわけですから,結局のところ,よりひどい結果になったと言えるでしょう。
▼さて,そうした,フランス革命後の「群衆」の心理について, ギュスターヴ・ル・ボン(1841-1931)という社会心理学者が1895年に発表した『群集心理』という本があります。
▼この中でル・ボンは「群衆」というものを次のようにとらえています。
意識的個性の消滅、無意識的個性の優勢、暗示と感染とによる感情や観念の同一方向への転換、暗示された観念をただちに行為に移そうとする傾向、これらが、群衆中の個人の主要な特性である。群衆中の個人は、もはや彼自身ではなく、自分の意志をもって自分を導く力のなくなった一箇の自動人形となる。
それだから、人間は群衆の一員となるという事実だけで、文明の段階を幾つもくだってしまうのである。それは、孤立していたときには、恐らく教養のある人であったろうが、群衆に加わると、本能的な人間、従って野蛮人と化してしまうのだ。原始人のような、自然さと激しさと凶暴さを具え、また熱狂的な行動や英雄的な行動に出る。言葉や心象によって動かされやすく、自身の極めて明白な利益をもそこなう行為に煽動されやすい点からも、さらにいっそう原始人に近いのである。群衆中の個人とは、あたかも風のまにまに吹きまくられる砂粒のなかの一粒のようなものだ。(第一章,太字引用者)
そして,群衆の性質として「衝動的で,動揺しやすく,昂奮しやすい性質」「暗示を受けやすく,物事を軽々しく信ずる性質」「感情が誇張的で,単純であること」「偏狭さと横暴さと保守的傾向」を挙げています。
群衆は、明らかに非現実的なものと現実的なものとを区別しない傾向を持っている。 このような民衆の想像力の上に、征服者の権勢なり、国家の力なりが築かれている。群衆に働きかけつつ、それを誘導するのである。仏教、キリスト教、回教などの創始、宗教改革、フランス大革命、また今日では社会主義の憂慮すべき侵入のような、歴史上の大事件はすべて、群衆の想像力の上に及ぼされた強烈な印象の、直接あるいは間接の結果なのである。(第三章 第三節 太字引用者)
▼ル・ボンの「歴史上の大事件はすべて、群衆の想像力の上に及ぼされた強烈な印象の、直接あるいは間接の結果なのである」という言葉を借りれば,コロナウイルス禍はまさに群衆の想像力の上に強烈な印象を及ぼす事件の一つなのかもしれません。そして,「このような民衆の想像力の上に、征服者の権勢なり、国家の力なりが築かれている。群衆に働きかけつつ、それを誘導するのである」というのは,たとえば政府が群衆の想像力を利用し,巧妙に群衆を政府の思惑通りに動かすということになります。
▼実はこの本は,一説によるとヒットラーの若いころからの愛読書だったと言われています。この本に描かれている「群衆」観に強い影響を受けたとすれば,彼が群衆を扇動し,誘導するための参考にしたと考えてもおかしくはないでしょう。「群衆は,自らの頭では判断しない阿呆である」と割り切ってしまえば,どんな批判を受けようと,自分の命が危険にさらされない限り,好き勝手にふるまえばいいのですから。暴力装置である軍と警察を掌握してさえおけば,気に食わぬものを好きに処分することができます。
▼そう考えると,件の動画はまさに「群衆」に対するメッセージなのだとも言えます。そして,私たちがいくらTwitterなどであれこれ文句を言ったところで,「非合理的で,非理性的な群衆が騒いでいる」と思われる程度でしょう。もちろん,万が一,暴動や革命が起きてもびくともしません。むしろそれは群衆をより一層締めつけるための口実になりますから,政府にとっては好都合なのです。
▼私たちが,ル・ボンの言うような「衝動的で,動揺しやすく,昂奮しやすい性質」「暗示を受けやすく,物事を軽々しく信ずる性質」「感情が誇張的で,単純であること」「偏狭さと横暴さと保守的傾向」をもった「群衆」であり続ける限り,事態は何も変わりません。むしろ,事態は悪化する一方なのかもしれません。残念ながら,これまでの歴史がそれを証明していると言わざるを得ないでしょう。