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〈エヴァ〉と〈マクガフィン〉

▼マクガフィン(MacGuffin)という言葉があります。Wikipedia(英語版)だと,次のように定義されています。

「フィクションにおいて,マクガフィンとは,プロットやキャラクターの動機づけには必要だが,それ自体意味がなく,重要でもなく,関連性がない物,装置,出来事のことである」

▼アルフレッド・ヒッチコック監督がこの言葉を広く知らしめたとされ,次のように述べたと言われています。

ラディヤード・キプリングという小説家はインドやアフガニスタンの国境で現地人とたたかうイギリス軍人の話ばかり書いていた。この種の冒険小説では、いつもきまってスパイが砦の地図を盗むことが話のポイントとなる。この砦の地図を盗むことを<マクガフィン>といったんだよ。つまり、冒険小説や活劇の用語で、密書とか重要書類を盗み出すことを言うんだ。それ以上の意味は無い。
私たちがスタジオで「マクガフィン」と呼ぶものがある。それはどんな物語にも現れる機械的な要素だ。それは泥棒ものではたいていネックレスで、スパイものではたいてい書類だ。

▼また,ジョージ・ルーカス監督もマクガフィンについて次のように言及したとされています。

これに対してルーカスは、マクガフィンとは「まるでヒーローと悪役の決闘シーンのように観客を虜にするものでなければならない」と語っている

▼『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』シンエヴァ を観終えて改めて思ったのが,人類補完計画も,○○インパクトも,ネブカドネザルの鍵も,槍も,そしてエヴァそのものでさえも,ある意味,壮大なマクガフィンではなかったか,ということです。そして,エヴァのマクガフィンは,観客を虜にしたという点で,ヒッチコック的ではなくルーカス的であると言えるでしょう。

▼TV版,旧劇場版の頃から,エヴァについては様々な「謎解き」「解釈」がなされてきました。その営み自体を否定するつもりはありませんが,エヴァのストーリーの中に無数にちりばめられた装置が全てマクガフィンだったとしたら,その謎をいくら解き明かそうと思っても無駄なことなのかもしれません。何しろ「それ自体意味がなく,重要でもなく,関連性がない物,装置,出来事」なのですから。

▼そして,私たちが『シンエヴァ』に感動したのは,最終的にそうした数々のマクガフィンを捨て去り,生身の人間の物語へと昇華させたことによるのかもしれない,とも感じました。

▼『シンエヴァ』に比べると,これまでのエヴァ(TV版~『Q』)では,マクガフィンそのものがクローズアップされ,そのため「人類補完計画とは何か」「エヴァとは何か」「アダム,リリスとは何か」といったことに注目が集められてたように思えます。その結果,ストーリーそのものが,また,人間の感情描写がマクガフィンの背後へと隠れてしまった印象を受けます。

▼しかし『シンエヴァ』では,父と子の対話,他者との関わりを通じた成長,自己を支える人の存在への気づき,終わりなき日常への回帰…そうしたものがこれまでの作品にはなかったほど饒舌に描写されていたことで,マクガフィンそのものへの注目が薄らぎ,人間の感情描写がよりストレートに伝わってきたのではないでしょうか。少なくとも私自身は『シンエヴァ』を観終えた時,数々のマクガフィンの存在への意識が非常に薄れ,主人公たちの心の動きだけが鮮烈に残った印象を受けましたから。

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