「求められていない助言をしてしまう自分に葛藤」
職業上なのか、子どものときからなのか、親、先輩、学生生活、部活動、今までの経験による自分の価値観からなのか、未だに整理がつかないが、人に対して
「もっとこうなると良い」
という自分の尺度で相手に助言をしてしまうクセがある。
教員という職務上、生徒に対して指導しなければならないこともあり、担任や授業、部活動などで自分の想いを言葉にして話すことが多かった。
自分なりの「指導観」を子どもに伝えながら、子どもを育てて行きたいという信念があった。
ただ、最近になって、相手が子どもであっても、家族であっても不用意に求められていない助言はNGということを学んだ。
私は諸先輩方や、同僚、親や先生たちにいろいろなことを教わり、言う事を聞いてきた。正直納得できないことも、その場でとりあえず形だけでもまず実行して、それなりに成果が出ると、あとになってその助言のおかげと正当化していた。
その時は多少理不尽であっても、嫌な気持ちであってもグッとこらえて我慢して、後にくる大きな成果の為と思ってやり切るように過ごしてきたし、それが正義と刷り込まれていたと思う。
おそらく今でも潜在意識としてあるような気がする。
ただ、結局それは「私の価値観」であって世の中の正義ではない。
もちろん法律で決まっていることや倫理観としての善悪はあると思うが、
それであっても相手や他人に求めていたと思う。
相手が大人であれば当然その人なりの考え方や価値観がある。
それを良かれと思って、求められてもいないのに
「こちらの方がいい」
「それはおかしい」
と指摘するのは
ただのエゴと思うようになってきた。
ただ、その場の目的や状況によっては自分の意見や助言が必要な場面もある。
・会議などで意見や疑問が必要なとき
・相手がアドバイスを求めているとき
・命に関わるとき
・いじめや差別につながる事柄
もちろん、その場に雰囲気、相手との関係性にもよるが
私は教員という立場でどこかで子どもに対して
「教えなければいけない」
という想いで子どもに接していたように思う。
子どもは成長過程であるが、一人の人間として対等に接し、
なんなら私たち大人が子どもの頃よりも圧倒的に賢く育っている。
子どもだからといって見下さず、子どもでなくても年齢の上下や立場、相手に関係なく経緯を持って接する。
家族であればもっと気をつけないといけない。
最も一緒に過ごすパートナーだから。
自分が大切にしていることほど相手に求めがちだ。
そういうことほど余計なことを言わない。
良かれと思っては相手が良いとは限らない。
むしろマイナスの可能性を含む。
相手が何を望んでいるのかは考えるが、自分の正義感を押し付けないように
よく考えて接していきたい。