「三者懇談2日目。親の悩み。子どものアフターフォロー」

今日は三者懇談会2日目。

今日も昨日と同じ流れで、15分という時間の中で子どもを中心としてより良い未来に向かうようなアプローチをするべく始まった。

基本は順調に進む。

通知表を改めて提示し、子どもの想いや保護者の想いを聴きつつ、その想いに応えられる範囲で担任として返していく。

その後に担任としてこの半年間子どもの素晴らしい面をポジティブにフィードバックしていく。

そして、本人に半年間を振り返って、学校はどうたったか。不安や気になる事、聴きたいことはないかを確認する。

それに対して応えるだけ。

2日間を終えて感じたことは、思っていた以上に子どもよりも大人の方が、過剰に心配したり気にかけ過ぎたり、時に怒ったりする場面が多いことだ。

懇談の場でありながら、親子関係や保護者の在り方に違和感を覚え、大きな声で怒ったり、関係性があまり良くなかったり、子どもが求めていないことを親が出てきて喋ったりするなど、親の心配の方が強く出るケースが多かった。

変な話、子どもよりも親の過剰さ、子どもに対して手をかけ過ぎているような印象を受けた。

少し前までは、それが親というもの。保護者として当然の姿であり、なんなら私自身も子ども(生徒)にその場で求められていない助言や指導をしていたが多かった。

そういう時の子どもの微妙な表情の変化や内心良く思っていないけれど出さないところなど、私自身が、ちょっとした子ども心を配慮するようになったと思う。

「良かれと思って」

これこそが大人や親、先生の危ない考え方かと思う。

愛情はあるかもしれない。

でもそれが本当に相手にとって良いことなのか。

求めていることなのか。

ただの押しつけでは。

親や先生が言うからなんとなく聞いているだけではないのか。

本心はどうなのか。

相手の本音を聞いたのか。

子どもだからと思って下に見ていないか。

数年前まではそんな心持ちで三者懇談、いや教師として子どもに接していたと思う。

今日も保護者から子どもについて、保護者の主観で私にある懸念を伝えてきた。

子どもの人間関係についてだ。

子どもはその件について何とも思っていない。問題もない。

結論からいうと、それはその保護者の想い過ごしで完全な勘違いだった。

後から聞いたらその子どもはその保護者についてかなり怒ったようだった。

なぜかは言うまでもない。

子どもはそんなこと(先生にいうこと)を望んでいないから。

もう1件、提出物が出ていないことで保護者が子どもに三者懇談の場でかなり怒った。子どもの表情は当然曇った。その場はなんとかその子が自ら次に行動に移せるようにアプローチできた。しかし、その場しのぎのような雰囲気でもあった。


あとから、その子どもたちには寄り添って話を聴いた。これからの行動について自己決定するとともに私がサポートできることを確認できた。


親・教師の想いも大切だが、子どもの未来を考えて先手を打とうとするあまり、子どもの想いに配慮、大切にすることを置いていっていないか。


そう感じた今日の三者懇談だった。

明日は3日目。どんな日になるのか。楽しみだ。

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