『シン・ゴジラ』発声可能上映で発声より心地よかったこと
『シン・ゴジラ』発声可能上映、行ってきました。
最初は、「あのセリフをシャドーイングしてやる!」みたいな発声モチベーション高めでドキドキしていたのですが、いざ上映が始まってストーリーが進んでいくと、だんだんと「あ、俺そんな叫ばなくてもいい派かも」と思ってきて、水ドンも無人在来線爆弾も結局うまく乗れなかったんですがまあいいかなという感じでした。ちなみに一発ネタ的な発声で笑いを取るとか相当ハードル高い。
サイリウムも、人気キャラ登場シーンとか、みんながわかりやすく盛り上がるシーンでは同じ色のフリフリで「うおおお!」という一体感が高まったりもしつつ、だんだんダレてきて最後の方は「まあいいか、振らんでも」みたいな感じでスイッチもオフにしたまんまでした。
自分がいいなと思ったところは、発声可能上映だからこその「沈黙」の共有。
こんなマニアックな上映に参加するぐらいなので、みなさんやっぱり『シン・ゴジラ』という作品そのものが相当好きなわけで。ガヤガヤしたシーンでは、わりと好き放題声出ししたりしなかったりするものの、ここぞという場面では、誰もが目の前のカットに黙って観入っている様子が強く感じられました。逆に。
発声はまあそこそこに楽しみつつそこまで自分向きではないかなと思いましたが、叫びがあるからこその沈黙の共有は、思いがけず映像作品の新しい楽しみというか、魅力に感じたわけです。
あとは、それと似たところでは「拍手」もよかったです。
セリフや感嘆やねぎらいを言葉にして叫ぶのはたしかに新鮮で楽しいですが、ここだという瞬間はわかっても、なんと叫ぶかはけっこう難しくて、自分の声もある意味作品上映の一部として他のお客さんに聞かれると思うと頭を使うんですよね。端的に言うと「スベりたくない」。
もちろん他のお客さんがぽつんと叫んだ言葉があんまり趣がない感じだったとしても、嫌な気分になったりはしないんですけど、自分がやるぶんには、自分自身のハードルが意外と高い。それもあってだんだん発声モチベーションが下がっていったのだと思います。
そのあたり、拍手はよいです。手を叩くだけですから。それに拍手するということは同じ賛同の気持ちがあるということ。発声だと叫ぶ内容やらトーンやら、ベクトルはいろんな方向を向くので(それはそれで面白いんだけど)、必ずしも一体感という感じではないんですが、拍手はわりとシンプルに「そうだそうだ!」「いいぞ!」という気持ちのあらわれなので、良い感じに一体感が得られます。
オーケストラのコンサートで、素晴らしい演奏をしたソリストへの拍手がわっと強まるような、そんな感じで、気持ちよかったです。
『シン・ゴジラ』発声可能上映、映画の楽しみ方がインタラクティブになるというのはなかなかにイノベーティブで面白いです。
もう一度機会があったら、また行ってもいいかな、他の作品にも広まったら楽しいかもなと思う一方で、ともするとオタ芸みたいに敷居が高い特殊芸になってしまう可能性もあるかなと感じました(そもそも発声可能上映に来てる時点でだいぶレベル高いだろという見方もあるとは思いますが)。広く受け入れられる文化になるかどうかは、もう少しやってみないとわからないのかなと。
まあ、なんだかんだ書きましたがとても楽しいイベントでした。ありがとうございました!
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