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【読書】『リーダーの言語化』 木暮太一 著 ダイヤモンド社 2024年

今まで読んできた本と少し毛色が違う本を読んでみた。
本書の著者である、木暮さんの話を聞く機会があり、そのために読むという通常とは逆のアプローチからだった。
表紙に「「あいまいな思考」を「伝わる言葉」にする方法」とある。

本書の中にも出ているし、木暮さんの話の中に出てきて、相当に頭を殴られるくらい衝撃的だったことがある。
それは、自分の「べき」と相手の「だって」ということだ。
分かりやすく言うと、僕の世代の「べき」と例えばZ世代の「だって」をすり合わせる、または「べき」と思う世代はZ世代の「だって」を推測する必要がある、ということだ。

僕は、なになにをすべき、と思っていることに対して相手の「だって」という言葉を聞くと、言い訳というふうに断定してしまう。
そして、相手の「べき」が僕の「だって」につながり、相手は僕と同じように何かを断定する。例えば、話をしても無駄、とか。

僕は、先日あるところで自分の「べき」について披露する機会があった。
しかし、相手の「だって」については何も聞いていない。
一方的に「べき」の話をして自己満足に陥っていたのである。

木暮さんの話を聞いていて本当に恥ずかしかった。
顔から火が出るほど恥ずかしい、というような表現はこういうことなのかも知れない。

僕は年齢からいっても相手の「だって」を推測していなければならない、と思う。
これも「べき」なのかも知れないけど、少なくとも配慮の最初は僕から始めなくてはいけない。

きちんと「言語化」することの大切さについて書かれた本であるが、まず「べき」と「だって」を認識することが大切である、と気づくきっかけになった。
そして、「だって」をどのようにして推測し、僕の「べき」とすり合わせるのか、について良く考える必要がある。


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