自分にとって大切なこと
自分にとって幸せなこと
これが私にとって大切なことなんです。
自分にとって大切なことはおそらく考えても見つからないかもしれない。なぜなら私たちは自分にとって大切なことは考えることではなく感じることだと知っているからです。
どうも、心理カウンセラー大山です。
今回は自分にとって大切なことをお伝えします。
まずは目に見えることではないということをお伝えしておきます。目に見えないもの。だからこそ価値があります。価値があるのに見えない。あるかどうかも分からない。そんな感情になったことはないでしょうか。
結論ですが、私にとって大切なことは誰かを想うこと
文頭でも申し上げた通り、自分にとって大切なことは幸せな感情であること。その幸せというのが誰かの幸せだったりします。
大切なことほど見えなくなるのはご存じでしょうか。大切なことや好きなこと、幸せに想うことというものに一直線に向かってきた子供時代。
その頃に自分にとって幸せとは何か。と考えることはなかったと思います。つまり、大切なことを考えるときというのは失ったとき。大切なことに気づくのはなくなったときなんです。
あるときには当たり前のように思ってしまうものの中に大切なものが含まれているのですが、十分にある状態で大切とは思えないのが私たち人間ということです。なくなるから価値があり、失うのが怖いから手放したくない。
その気持ち自体が大切を創りだすもとになってます。
想像してみてください。
何もしなくてもなくならない。一生満ち足りているものの中に大切なものが存在するでしょうか。大切と思われるものでもなくならなければ大切という感情は生まれないんです。だからこそ、私は足りているかもしれませんが、なくなったら哀しいことを思い浮かべてしまいます。
それが、住むところなのか、お金なのか、働く場所なのか。
いろんな無くなったら哀しいものを思い浮かべますが、大切であっても改めて感じることはできないんです。
あると感じない感情。それが大切という感情で幸せという想いなのではないでしょうか。
では、どのようにして大切なものに気づけばいいのかというと、一つに絞らないということです。人は何かを選択するときに片方を選ぶと片方はなくなってしまうと思ってしまいます。
ですが、大切なものや幸せに想うことはたくさんあっていいんです。
子供と遊んでいるときが大切
パートナーといるときが大切
家族みんなでいるときが大切
仕事が大切
仲間が大切
一人でいるときが大切
つまり、いろんなシーンで大切なものがあって、無くなったり居なくなってから気づきます。実は大切だったことが。
いつも大切だとは思ってます。ですが、常に大切な扱いをしているかというとそうでもありません。毎日会う奥さんを大切だと思って接しているでしょうか。または旦那さんを大切だと思って接しているでしょうか。
おそらく大切だと分かっていながら大切だという接し方はしていないと思います。それはなぜかというと大切だからこそなんです。
このように、大切なことを考えると出てくるもの。それが大切であって大切だと思えないもの。常にあるものは大切だから持っていうはずだし、一緒にいるはずです。でも、大切な想いができるのは居なくなってから改めて気づく感情。常に持っているけど持ってないものです。
私の思う大切なことは誰かを想うことですが、誰かを想うという感情はいつ感じるものなのか。それは誰かが居なくなったときです。
私たちは大切なものを大切だと、有るときは感じることができない。
大切なことというのはあってないもの。矛盾を生きているんです。
目指している生活が手に入って、それを幸せだと思うときがあるかもしれません。ですが、それは一週間もすれば欲しかったものではなくなります。いつまでも感情を保つことはできないんです。
欲しかったものが手に入ってからも欲しいものじゃないように、ない状態が欲しいとき。欲しいと思う感情を持つことができます。
自分の持っているものは大切で大切じゃない。
例えば、私が次に乗りたい車があるとします。それはどうしても欲しいし手に入れるまで仕事を頑張るかもしれません。
手に入ったときのことを考えるとワクワクして眠れないほどです。
この感情は手に入れてからどのくらい持つでしょう。
3日くらいは眺めているかもしれません。大切だと思うかもしれません。
大切だと思う感情や、幸せと思う気持ちは常に持ち続けることができないことを理解して常に笑顔で人と接する。持っているものに感謝して大切にする。この毎日が自分の周りを大切なもので埋め尽くす考え方なのかもしれません。
テーマとそれてしまったかもしれませんが、私の大切なことは誰かを想うことです。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。