見出し画像

2章 食べること(五感で感じる)

栄養を取ればいいのか

1章で「人が「豊かに」生きるために必要な最小の要素は「衣食住」だと思う」と書きましたが、その中でも「食」は人間の感覚機能の中で、五感全てを使うので一番幸せを感じる体験のひとつだと思います

 人は植物のように光合成で栄養を自分で作ることはできず、食べることで栄養を摂取する生き物です。
どんなに少食な人でも水を飲まなければ約3日程度しか生きることができません。
水が飲めても栄養を取らなければ1か月持たないです。
(人は口から食べ物を食べられなくなると、一気に体力が落ちるそうです…)
どうやら「ただ栄養を取ればいい」というわけにもいかないようです。

人が生きていくためには、食とは切り離せないのならば、その時間を豊かにすることが「幸せに生きる」ことの近道になるのではないでしょうか。

土地のものを食べる

そうはいっても、五感を使って幸せを感じるために何がおいしいのか、何を食べると良いのでしょうか?

例えば旅先で「おいしいものが食べたい」と思ったときに、何を選ぶでしょうか?
私はとりあえずその土地の伝統料理やご当地グルメを選びます。
特に「おススメ」や「名物」とあればそれを選びます。
なぜかというと、その土地で昔からつくられているものはその土地の人たちが好み、美味しいと思ったから残っていると思っているからです。
また、伝統料理は昔からその土地で作られている、その土地に合った食材でつくられていることが多いです。
その土地に合っているということは、その食材の良さが生かされていておいしいと思っています。
けれど、たまに私個人の味覚に合わないものもあったりするので、私が美味しいと感じた食べ物と出会ったときはとても嬉しくなります!

好き嫌いという個性

全てにおいていえることですが、「こうしなさい」「こうしたほうが良いですよ」と提案されたとき、それに絶対に従わなければならないということはないと思います。

「食」に関してもそうです。「伝統料理を食べた方が良いですよ」と提案したからといって、「絶対にそうしたほうが良い」というわけではないのです。嫌いならば、苦手ならば食べなくても良い。好きなものを食べてること。それが「あなたの個性」になるのだと思っています。

極論をいえば「栄養学的に良くないからこれを食べなさい!」とお医者さんに言われたとしても、食べるか食べないかを最終的に選ぶのは自分自身だということです。

例えば、私は「蕎麦」が得意ではないですが、温泉地など水がおいしい場所で手打ち蕎麦があればまずそれを選びます。
蕎麦が得意ではないのに、矛盾していますよね。

私がそばを苦手になったのは、小学生の時のそば打ち体験で打った蕎麦を食べたことでした。小学生が蕎麦粉100%の蕎麦を打つのですから、ぼそぼそした、とても「美味しい」とは言えないものでした。その蕎麦らしきものを無理に食べた(当時は完食しないと許してもらえない風潮でした(汗)結果、蕎麦の香りが無理になってしまいました。

そこからインスタント麺の蕎麦も、においが苦手で食べられなかったのですが、二十歳を過ぎて一人旅で寄った温泉地でふと「今なら蕎麦を食べられられそう」と思って食べてみたところ、癖もなくとても美味しく食べることができました。
その体験で、初めて行く温泉地で手打ち蕎麦があった場合は、おいしい蕎麦との出会いを求めて頼むようにしています。
そして、そこでわかったことはその土地土地でお蕎麦の味が違うということです。
味が違うということは好きな味、苦手な味が出てきます。
元々得意ではなかった蕎麦だからこそ、わたし基準の「好き」「嫌い」がはっきり分かれて選ぶことができます。
「美味しい」と感じれば、他の食べ物もおいしく感じるのではないかと期待します(笑)
そして、結果がどうあれその体験が私の「その旅の個性(想い出)」になっています。

食べることの楽しみ

私は美味しいものを食べた時、とても幸せを感じます。
当たり前ですが、好きなものを好きな時に好きなように食べることは、人の楽しみの一つだと思います。
そして「生きるために必要だから」とか「栄養さえ取れればよいのか」、そんな理屈はいらないほど直観的に人の幸せに結びついていると思います。

以前、多忙で「栄養素だけバランスよく取ればとりあえずよい」と思っていた時期もありましたが(実際、そういう時があることも仕方がないと思いますが)好きなものを好きなように食べる自由は、幸せに生きる上でとても大切なことだと思います。

だって、食べることは人生の一部なのですから。
それを大切にすることは、「幸せに生きる」ことにとって大切な要素であることは当たり前なんですよね。



よろしければサポートお願いします! いただいたサポートは活動費に使わせていただきます!