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自分が読書を始めた理由。そして今も読書を続けている理由#240

思えば読書についてあまり文章を書いたことはなかった。
読書感想文みたいなことはちょくちょく書くけど、根本的な部分に関して外に向けて書くことは、おそらくこれが初めてではないかと思う。

この内容は出来ればこんな狭い自宅では書きたくなかった。もっと広い、たとえばスタバとかタリーズとか、それこそいつも行く図書館の作業用デスクとかで書きたかった。

でもしょうがない、だって書きたくなったんだから。
積読している本には「読み時」というものがあり、適切なタイミングで積読は消化されていくように、文章ももしかすると「書くべきタイミング」というものが存在するのかもしれない。

Twitterのプロフィールにもある通り、本格的に読書を始めたのは2年半前である。正確には2020年の9月。今でも覚えている。現在は2023年の6月か。それからもう2年半以上経過もしたのだなと思うと、何だか感慨深い。

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図書館好き。

これはお世話になっている人と相談して決めたプロフィールだ。その方がコピーがキャッチーでわかりやすいという事で。最初は恥ずかしかったけど、今では自分の中でのアイデンティティの一つとなっている。

同じく2年くらい前に、「今までに本を300冊くらい読んだ」という、とても頭の良い人ととお話をしたことがある。

当時は自分も読書を始めたばかりで、まだ右も左もわからなかった。
「どうやったら、こんなにも(300冊も)本を読むことが出来るのだろう。すごい」と思っていたが、気がづけば自分も同じくらいに読んでいた。

最初から「よし、数年単位で頑張って300冊読むぞ!」と目標を立てていた訳じゃない。「最初は10冊で次は20冊、そしてまずは年内に100冊到達するぞ!」とスモールステップ理論を実行した訳でもない。

目の前の本を1冊1冊読んで、読み終わったらまた次の本、そしてまた次の本・・ これを繰り返していたら知らないうちにここまで来ていた。冊数にこだわるつもりは全くないのだが、おそらく現在は350とかになっている気がする。まったく数えていないから、よくわからない。

世界のイチローが「小さなことを積み重ねるのが、とんでもない所へ行くただひとつの道だと思っています」とかなんとか言ったことがあるそうだが、自分の読書も、もしかするとそれに当てはまるのかもしれない。まぁ、これはある種の結果論であるため、単純にイチローさんが凄いだけだと思う。それだけである。わたしは何も凄くない。

イチローさん

自分はこの2年半で0冊から300冊弱まで読書数を伸ばした。
これは本当の話。

この読書界隈で「〇〇冊達成!(800冊読んだ!)」とか読んだ冊数を実績とする風潮があったりするのだが、正直あまり興味はない。読んだ本の数はどうでもよくて、それよりも、その本を読んで自分の世界がどう広がったかにとても興味がある。点と点が線になるっていう感覚あるでしょう? それだよそれ。

本を読めば読むほど、点が線になっていく。最近は特にそれが楽しい。でも強いて言うなら、今通っている図書館にある蔵書4万冊弱を全部読み切りたい。1日1冊読んだって物理的に死ぬまでに無理である。それでも読み切りたい。でも、読み切っても、たぶん「4万冊読みました!」とはたぶん言うことは無い。違う本を読みに行くか、旅に出ると思う。まぁ、4万冊なんて無理だと思う。でも読み切りたい。

単純に知らないことを知ることが楽しい。

幼少期には母親に読み聞かせをしてもらったり、自宅の棚には「マンガ日本の歴史」があったり(ちなみに姉は本を読むスピードがとても早いらしい。母親談)、小学校低学年の時は、低学年用の本を母親が買わせてくれたりと、昔から読書環境はあると言えばあった。でも、結果的には進学校へも大学へも行かず、今までずっと生きづらい環境で生活をしてきた。自己破産をしたり10年間結果の出ないナンパにハマってしまったり。

そのあたり、自分のことを知っている人はご存じだと思う。

2年半前に仕事やら何やらそれまでのストレスが爆発して、飛行機内で離陸前にパニック発作を起こした。それまでのクソ真面目な性格がたたったのだと思う。人間の裏側を見た気分だった。人間ってこんな闇の世界を持っているんだなと。当時の日記は今もデジタル上で保管しているが、しばらくうつ症状に悩まされたし、希死念慮(死にたい衝動)も何度か訪れた。

13歳の時からお世話になっている精神科医の先生に受診に行ったのだが、ものすごく深刻に考えていた自分に対して、主治医は「まあ大丈夫でしょ。とりあえず薬出しとくから♪」って感じで、診察は終わってしまった。

「こんなにつらいのに、先生はいったい何を考えてんだ? もっとちゃんと話を聞いてよ。何とかしてよ。」とやるせない気持ちでいっぱいになったのを覚えている。

他の病院にかかっても「あなたは違う病気で長く一つの病院にかかっているので、今回の病院だけでうちにかかられるのは困る」と言って取り合ってはもらえなかった。大人の事情なのだと思う。

このままだと、自分が死んでしまう。よくわからない薬だけ出されて、医師も臨床心理士さんもわたしの症状をまともに聞いてくれない(と当時は思っていた)。当時はうつ症状や希死念慮もひどかったし、毎日謎のノドのつまりにも悩まされた。

相談出来る人が誰もいない。違う病院に行っても「主治医のところに行って」と言われる。今みたいに「何とかして誰かを頼る」といった発想も全く無かった時。だったら仕方ない。調べてやろうと。

ちょうど近くによさげな図書館がある。

それが今の図書館に行き始めたことの始まり。

とりあえずは最初はメンタルヘルス系の本から読み始めた。

パニック発作について解説している本。
パニック障害の経験談。
パニック障害の第一人者(貝谷先生)の本
認知行動療法の本。

それまで、毎日仕事ばかりで、家に帰ればインターネットサーフィンかスマホ。読書週間なんて全く無かった自分にとっては、1ページどころか0.5ページ読むのもやっとだったけれど、それよりも「今の状況を何とかしたい」という思いだけで本を読み進めていった気がする。

ちなみに認知療法は主治医から教わったものではない。図書館の本で学んだもの。
生兵法もいいところである。

ただ、それだけでもかなり救われたのは事実である。インターネット、youtubeの情報も玉石混合で、自分が納得できる、また正しいと思われる情報へのアクセス手段がそれしか無かったからだ。また「図書館」という公共施設に置かれているという性質上、その情報には根拠がちゃんとあったように思えた。

当時は仕事終わりの2時間、3時間。毎日足しげく通った。

暴露療法(電車に乗るのが怖い→少しずつ電車に慣れていく)を知ったのも、認知療法の本だった気がする。ここはうろ覚え。

そこから、同じメンタルヘルスの棚にあった、いろんな本に手を出して読み漁っていった。とにかくいろいろ読んだ。内容は覚えているものから、覚えていないものまでさまざまだけどとにかく読んだ。たくさん読んだ。本当にたくさん読んだ。いっぱい読んだ。

たくさん、いっぱいとは書いているけど今みたいに早くは読めなかったよ。
ゆっくり。でもそれを積み重ねていっぱい読んでいった。

自分が通っている図書館は「借りられない図書館」というちょっと特殊な図書館。その代わりに読書環境が整っていて、ジャズのような音楽が流れていたり、ソファーがたくさん置いてあったりとにかく読みやすい環境が整えられている。本が借りられないという事は裏を返せば「その場に行けば、読みたい本はだいたいある」という事である。なぜなら、4万冊もあるけど、図書館には常時200人もいない。他人と読みたい本がバッティングすることはほぼないからである。

「生きづらい、自己破産」などと前述したが、もしかすると「本を読むことによって、自分の生きづらさが改善に向かうのでは? 自分がこれまで生きづらかった理由のひとつは間違いなく知識の無さ」。うっすらそう思っていた自分は、本を読み続けてみることにした。パニック発作の調査だけが目的であれば、もう図書館へは通わなくてもいい気もしたが、最終的な目標を「生きづらさの解消。今まで経験してきたつらい生活からの脱出」に位置付けて、勉強という意味で本当に本を読み続けた。

最初は読む体力(読書体力なんて言われたりするけど)がまったくなかったので、まずは写真多めの本から。

旅行の本。
街歩きの本。
絶景の本。
雲の本。
天気の本。
写真の本。

それから少しずつ文字多めの本を読むようにしていった。

考え方を学ぶ本。
思考術
宗教学
人間関係。
恋愛。
働き方。
社会学。
IT
読書法
お金の本(運用)
暮らし方。
栄養
体の動かし方

などなど。

文化人類学や経済学などは難しくてさすがにちょっと・・・という感じだったけどいつか読んでみたい。あと、最近は法律に少し興味がある。

いわゆる「抽象化と具体化」というフレームワークも図書館においてある本で学んだ。まだ学んでいる最中。

また、参加しているコミュニティに頭の良い方がたくさんいたことも幸いした。これは本当に運が良いとしか言いようがない。コミュニティの中で適時フィードバックを得て、議論のようなものも行うことが出来て、それをもとにまた読書をするという正のループが働いていたことも大きい。自分ひとりでここまで歩んできたかというと全くそんなことはない。絶対にそのようなことはない。

「本を読んだ後、コミュニティの中で何らかの形で発表できる場がある」ということも大きかった。議論をしている最中にこれまでに読んだ本の知識を出す場面が出てくる。ポケモンかよ。

そうして読書を続けて、途中ブラックな部署に異動して全く読めなくなった時期とかもあったけれど、そこは退職して今また順調に読めている。

つい最近東京に20日くらい長期で滞在していたのだが、それが終わったのちに、読書をしてみると以前よりも格段に点と点がつながる感覚が増えた。
わたしは今まで東京にほとんど行ったことが無かったのだけれど、外の世界を見たことで、何かシナプスが活性化したのかもしれない。わからない。気のせいかもしれないね。

今通っている図書館の選書は本当に素敵で面白い本しかない。もちろん図書館に置いていない本もたくさんあるのだけど、逆にあの図書館においてある本はだいたい面白い。読書環境も素敵で、あの図書館が徒歩圏内にあったことは本当にありがたいと思っている。

読書を続けたことで、いろいろな人と本をキーワードに話せることが増えた(読書会への参加や、古本屋に訪れて店主と話すなど)し、何より本を汎用的な仲良しツールのひとつとして使うことで、以前よりも外の世界に出られていることがうれしい。そして本を読むことで世界が広がって、自分の認知の偏りも徐々に徐々に修正されているような気もしないでもない。少なくとも読み始める前のあの時よりは、まともになっている気はする。

これから先も本を読み続けてもっともっと世界を広げていきたい。
そして、また生きづらさの解消にもつなげていきたい。

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