さびしさ#206

今日は友達と合流してカフェに行ったり、上野公園で歌ったり踊ったりした。外で人目を気にせず歌うことの楽しさが、何となくわかった気がした。とても楽しかった。

次の用事のために、みんなと別れた後、途端に寂しさが襲ってきた。ああ、今、自分を動かしているエネルギーはやはりここにあるだのと確認できた。というよりは、今の自分の欲求をただしく言語化出来たという感覚に近い。

わたしは道行く人に声を掛けることが多いが、このナンパ行為も、今は寂しさから来ているのだと思う。以前は「修行のため」とか「怒られ慣れるため」という、ひねくれた動機であったけれど、ようやく現在の欲求を素直に開放できたと感じている。精神年齢が少し成長したのではないか。

別の視点から言えば、東京に来てからここまで目まぐるしい生活を送ってきたため、少し心が疲れていると言えなくもない。みな華やかな生活をしているように見えるため、自分に無いものばかりに目が行く。少しでもメンタルが弱ると一気に持っていかれる。東京(人が多いこと)の負の側面と言えるかもしれない。

つまるところ「彼女が出来るか結婚相手が出来れば、全て解消するような幻想」を描いているが、実際のところはどうなのだろう。世の中にはたくさんの事例があるはずだが、フラットに見ていないのかもしれない。

まぁ、よくわからない結論になったが、今はそんな感情がある。
「他人と比較をしない」「自分に無いものではなくて、あるものを見る」ことでかなり解消されることにも気づいた。そしてそれは以前から気づいていたはずでもあった。

今までは読書で知識をたくさん得てきたが、使いどころがなく知識が宙を彷徨っていた。今は逆に、行動が先行しすぎて、頭を使う余裕がない感覚がある。一度立ち止まって、ここまでの行動を反省しながら、過去に得た知識を混ぜ合わせていくと、新たな気付きを得られるかもしれない。

少なくとも机上の空論ではなくて、行動の結果に対して知識を当てていくので、今までよりも有用な知識の使い方となるのは間違いない。

えらい。ほんとうにえらい。えらすぎる。


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