親が子どもを心配するのは当たり前?
「親だから子どものことを心配するのは当たり前」
私はこの言葉に違和感を覚える。
なぜ「心配する」のが当たり前なのかな。
親に心配されて嬉しい子なんて、いるのかな?!
親が忙しくて構ってもらえなかったから
心配でもしてもらえて嬉しかった
ということはあるかもしれないけど・・
それは「心配」が嬉しかったわけじゃなく
「関心を示してほしかった」んだよね。
「心配(しんぱい)」と「信頼(しんらい)」。
ひらがなにすると
たった一文字違い。
だけど大違い。
心配は。
恐れから発せられる。
「本当に大丈夫なの?」と
可能性に疑いを持っている。
信頼は。
愛情から発せられる。
「あなたなら大丈夫よ!」。
可能性を信じている。
「心配された子」の結果
例えば、入園や進学、就職のとき。
受験や発表会や何かにチャレンジしようとするとき。
子ども自身が一番不安なんだ。
「大丈夫!」なんて言える子は、そんな多くない。
不安なところに
親から「大丈夫?」なんて言われたら。
子どもは更に不安が増して過緊張状態になっちゃう。
子どもが不安に耐えられなくなり
気を紛らせるために他のことをしていたら
親からは矢のように言葉が飛んでくる。
「そんなことをしていていいの?!」
「もう準備はできているの?」。
子どもは正直
「うるさい!放っておいてくれ!」と言いたくなる。
それをまだ親に言える子どもはいい。
それも言えない子どもは悲惨だ。
「良い子」ほど
親の期待に応えようとして
重い重いプレッシャーを感じて
実力を発揮できず結果を出せない。
そこへ更に親は
「あぁ、この子はもう・・本番に弱いんだから」とか
「本当に何をやってもダメな子なんだから・・」とか
自分の言動を省みることなく子どもの責に帰させる。
子どもは
親のせいにもできず
「全て自分が悪い」と自己肯定感を下げる。
「子どものことを考えています!」という
【親の気持ち】を優先するのではなく
不安・心配になっている
【子どもの気持ち】にこそ
寄り添って受け止めてあげてほしい。
「信頼された」子の結果
例えば、入園や進学、就職のとき。
受験や発表会や何かにチャレンジしようとするとき。
子ども自身が一番不安なんだ。
「大丈夫!」なんて言える子は、そんな多くない。
子どもは不安を素直に親に伝えてくる。
親に受け止めてもらえると思っているから。
親に不安を受け止めてもらえた子どもは
心が少し軽くなるし
「ちょっと気分転換に漫画を読むね」と言ったりして
漫画を読み始めたりする。
親は子どもの気持ちも
どうして今、漫画を読んでいるかも分かるから
余計なこと言う必要もなく
黙って見守ることができる。
本番で実力以上の力を出せるかもしれないし
もし失敗しても
親に責められるとは思わないから
素直に振り返りをして次に生かすことができる。
親としても
子どもが何を学び得てきたのかを
子どもからの報告で分かるから
「結果」だけに一喜一憂せずに
子どもの成長を共に喜び見守ることができる。
信頼して見守っていれば会話が成り立ち
親も子もHAPPY!
「親だから心配して当たり前」ではなく
「親だから信頼して当たり前」。
それが当たり前になってほしいと私は思う。
皆さんどう思いますか?