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青竹ご飯が炊けなくて泣いた子の話

今月から、プログラムを休みにして事業改革に取り組んでいます。
色んなことをキチンとしたい。
(何をキチンとしたいかについては、下の記事で触れています。)

でも、どんなにキチンとしても、ここだけは変えちゃいけないと思っていることがあります。

それは、子どもをお客さん扱いしてはいけないということです。

八郷留学を始める当初、オープニングプレイベントにスタッフ側として協力してくれた、聖のような仙人のような、芸術家のような劇団員のような人に言われた言葉です。

それまで直接的に教育というものに携わっていたわけではなかった私ですが、とてもすんなり腑に落ちました。
言い換えれば、細部まで準備された行程をなぞらせたり、あらかじめ用意された結果を "提供" してはいけない、ということです。


リピーターは知っていた。八郷留学の醍醐味とは?

上の記事を公開した翌日、あるリピーターの子の保護者の方から、以下のようなメッセージをいただきました。

リピーターとしての率直な思いですが、他にも自然体験的な催し物はたくさんある中でなぜ八郷留学1択だったのか、、、?をお伝えしたいと思います。一言で言えば「本物志向だったから」です。子供達にとって、楽しいとか感動するとか以外にも危ないと感じるとか悲しいと感じるみたいな感覚もとても大事だと考えています。しかしながら、多くの体験教室では、大人が用意したシチュエーションや人間関係の中で体験する感じ、、、準備された結果に喜ぶ感じで予想外の展開や結果はあまり無い、、、伝わるでしょうか、、、こんな風に思っていました。そんな中、八郷留学に出会いました。初めて参加して帰ってきた時の子供達のキラキラした目は忘れる事ができません。本物の中で学んだ事(負の感覚があったとしても)は、子供達の人生の中で必ず重要な役割を果たす、、、と思っています。

ある保護者からのメッセージ (一部抜粋)

この保護者の方は、私たちが据える「子どもをお客さん扱いしてはいけない」という考え方を「本物志向」という言葉で表現してくださいました。
「準備された結果に喜ぶ」というのは、たとえ対象が自然であったとしても、言うなれば誰がやっても同じ結果が出る実験キットや、誰が作っても同じ味になるインスタント食品とやっていることは同じだよね、ということだと理解しました。

それではわざわざ八郷に来る意味がないのです。
自然の中に身を置くことの醍醐味は、どんな外的要因がどんなふうに絡み合って、そこに自分がどう介入して、どんな結果が出るのかを楽しむことだと思います。
予期していなかった結果に踊らされるほど物語は面白くなるし、人生はセレンディピティがあるほど彩豊かになるというものです。

保護者の方からのありがたいご感想を読んで、八郷留学が大事にしてきたことが、ちゃんと伝わってたんだな、と思いました。


青竹ご飯が炊けなくて泣いたキャンプの夜

去年の5月、裏山でのキャンプで青竹ご飯を炊いた時は、子どもたちをいくつかのグループに分けてそれぞれ炊飯させました。

しかし、あるグループではいっこうに火が強くならず、米など炊ける気配がありません。
私たちスタッフは、手を貸したいのをこらえて見守りました。

いよいよ闇も深くなり、空腹も限界を超え、とうとう泣き出してしまった子がいました。
不安、恐怖、悔しさ、きっと負の感情がごちゃ混ぜになって押し寄せてきたのだろうと思います。

結局そのグループは、半生の米を最後のカレー鍋にぶち込んで再加熱し、混ぜて食べる経験をしました。
他のグループはみんなとっくに食べ終わって、寝支度をしている頃でした。

暗闇の中、見た目では何を食べているかもわからない(ぐちゃぐちゃだったので明るくても多分わからない笑)まま食べた、そのカレー雑炊のなんと美味しいこと!
まさに涙も吹き飛ぶようでした。
他のみんなが青竹の中で炊けた白いご飯にカレーをかけて食べるのを横目に見ながら、火と格闘して結果的にできた、みんなとちょっと違うもの。
あの子は、偶然によってできたあの味を、一生忘れないだろうなと思いました。


セレンディピティと安全管理のあいだ

実はその子が今にも泣き出しそうな時、あるスタッフがこっそり私に耳打ちしました。

「もしアレだったら、雑炊にしっちまえばいいべ」
「あーその手があったか!んだな、寝る時間見ながらタイミング図るわ」

この思いつきの最終奥義があったからこそ、子どもの負の感情が取り返しのつかないレベルに達する直前まで見守ることができたのです。

この時に起こり得た最悪なパターンとしては、

  • 結局何も食べられるものが出来上がらず空腹に苦しむ

  • 就寝が遅くなりすぎて次の日に体調を崩す

  • 生煮えを食べてお腹を壊して次の日の活動を楽しめない(途中離脱の可能性も)

といったところでしょうか。

偶然性や主体性を尊重したいけど、負の感情だけで終わってしまってはいけません。
八郷での自然体験で、嫌な思い出が楽しさに優ったまま帰るのでは、あまりにも可哀想です。

大切なのは、失敗があったとしても試行錯誤の末に成功体験につなげられるか、もしくは負の感情を上回る感動を得られるか、だと思うのです。
さらに楽しむためのベースとして、精神的な安心と、肉体的な最低限の安全(多少の怪我はそれもまた学びになるが、取り返しのつかないようなものは避けなければならない)が必要です。

八郷留学では今まで1泊2日から5泊6日までのプログラムを実施してきました。
子どもたちは親元を離れて他人と、慣れない空間で生活する中で、きっとネガティブな体験もすることでしょう。失敗も当たり前です。
一方で見守る大人は、たとえ「そのやり方だと絶対転ぶな」と分かっていても、安易に答えを提示してはいけないのです。
かといって、失敗が目に見えているのに見放すのは残酷すぎます。

この見極めのポイントは何なのか?
それは、成功体験に導ける見込みがあるかどうかだと思っています。

この時で言えば、「最終奥義カレー雑炊」か、最悪の場合は青竹ご飯を諦めて、もう一度釜でご飯を炊き直してもよかったのです。

限られた何泊かの時間の中で、どのタイミングならどこまでのヒントを出していいのか、常に即時的な判断をするのが、この場にいる大人に求められる役割です。
もちろん、どうしても時間的に間に合わなかったり、そこまで細かく見きれない時もありますが、もし次に来てくれた時には必ずや、、、!と思って、引き出しの中身を準備しています。


自然を相手にしてしか味わえないセレンディピティと、それをきっかけに湧き出す好奇心や主体性は、どんなに八郷留学をキチンとさせても、無くしてはいけないなと。
事業改革に奔走する中、ある保護者からいただいたメッセージをきっかけに、過去のプログラムでの出来事が追懐され、改めて大切なことを思い出しました。

もし私たちの活動に共感しサポートしてくださる方がいたら、差し支えなければお名前を教えてください。お会いできればもっと嬉しいです。いただいたお金は、子どもたちと八郷の里山のために使わせていただきます。