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今足りないことに気付いた話

今年度、初めて職場の異動。

前々から分かっていたことだったし、そんなに環境適応能力の高くない私は楽ではないだろうなと思っていた。

いざ異動してみたら、ホチキスの場所や起案の仕方、なにもかもが違っていて、「異動は転職だよ」という先輩の言葉がよく分かる日々。なんとか日々をこなす中で、いつの間にか自分の中で仕事観も変わっていった。

これまでは「仕事が好き!」という言葉に違和感がなかった。実際、うん十時間という長い時間職場にいたり、休日出勤したりしていても楽しかったし、やりたいと思ったことを全て叶えてもらっていた自由な環境だった。不満があっても、楽しさが上書きされるだけで日々過ごせていた。

今年度、職場が変わった。

「好き」なことには変わりない。授業のことを考えることは変わらず楽しいし、それがヒットすれば嬉しい。でも「仕事が好き」なのではないと思った。

「仕事が好き」への違和感と気付き

どちらかというと私が考えたことが全校を動かすことに直結していた昨年度に比べて、今年度の業務は「先生方に動いてもらう」という立場のものが多い。それに対して不満なのかというと「全校の前で何かしたい!という強い願望があって、それが満たされない」みたいな気持ちもない。何が好きなのか、考えて分かった。

私は、教員という“仕事”が好きなのではなく、教員という仕事を通して“人を育てること”を考えることが好きなのだ。

今年度初めて、自分の仕事の相手が子どもではなく大人になってみて「どうやったら快く引き受けてもらえるか?」「どう伝えたら作業がしやすいのか?」と考える機会が増えた。この立場の変化で、気付けたことはたくさんあった。誰かがやってくれていたことに乗っかっていたことも分かった。自分だけが分かる・できる仕事のやり方ではなく、仮に自分が倒れたときにすぐに誰でもできるようなやり方や記録の仕方が必要だと気付けたのが、一番の学びだった4か月。

仕事観が変わったから仕事に満足していないわけではないし、この夏季休業中に業務整理をしようと思う。

ふわふわした焦りの正体

ただ、今年度は、昨年度のような思考・価値観の広がり・深まりを感じられなくて、その“ふわふわした感じ”に焦ることが増えた。

この連休は特に。

仕事以外、何もしていない。何かしなきゃいけない。でも、何をしたいのか分からない。いろんな動画、本をあさってみても、これまでみたいにヒットしない。停滞している気がする。ほぼ書けなくなった日記帳を開いて、頭の中のことを書きだそうとしてもペンが動かない。私って、こんなにからっぽだった?

昨年度が、びゅんびゅん楽しく進んでいたこと。「ま、平日の仕事があるし」と休日には外(外出ではなく、外の環境)と繋がろうとしてこなkったこと。過去や周りとの比較をして、苦しくなった。


けれど、さっきお風呂に向かう途中で気付いた。

今足りないことって、

何かを始めること 誰かと繋がること どこかに所属すること

ではなくて、

今の自分がいい、大丈夫 と無条件で自分を許すこと

なのかもしれない。何かを始めても、誰かと繋がっても、結局は自分のことを許せないままでは、過去や周りとの比較は終わらない。自分のことを許せないままに、他人と関わるなんて不健康の極み。

では、どうするのか。

きっと、これまで自分がやってきたことにヒントはあるはず。星渉さんの「神メンタル」やNLP、星読み、ピアノの演奏。新しいことを始める前に、丁寧にあのころの自分をなぞりながら、前に進む夏休みにしよう。

たぶん、こう思えたのは、一つ決めたことがあったから。23日に友達とたくさん話して、その子が代表と務めるプロジェクトにスタッフとして関わることにした。超絶今更感は否めないけれど、それでもやります。うん。そしてイベントの中心でスタッフに指示を出している友達を見た。世の中は進んでいる。思考停止になっている場合ではない。

体も心もスッキリさせて夏を閉じる。


明日の朝、まとめればいいやと思ったら、きっと忘れると思ったので、遅い時間でも書き記したし、決意のために各SNSにのせます。読み直しも何もしてない、勢いだけで書いたnoteでした。


本日のヒットワード

「自分で道を選ぶっていうのは、その道しかないっていうこと。なんとなくでもその場にある道を選ぶと、自分が選ばない道でしか得られない気付きもあるのよ。」

マツコ会議でマツコが言ってた。聞いた記憶だけだから、これっぽい内容だったけど。無理に選ぼうとしない。選べないときは、流れに身を任せて、その道を進めばいい。

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