あなたのご褒美はなに?
決定的に自分の気持ちがわかる出来事があった。
1つ前のnoteに書いたように、制作系のお仕事をもう1度もっとやらないか、という趣旨のお誘いが頻発しているこの頃。(リンク参照)
朝1番に、制作系お仕事を一緒にやっていた人から電話があり、やはり何気なくまた一緒にやりたいという旨を私に伝えつつ、こう言った。
「俺らにとってはご褒美みたいなものだからさ。やってないとメンタルバランス崩れちゃうんだよ。」
あ、、、まったく同意できない。
「ご褒美」という表現
=そのために他のなにかを辛くとも頑張って、だからこそ得られた至福の時間
という意味だろう。
私にとってそのお仕事は、
有難いことであり
嬉しいこともたくさん起こるが
その仕事自体をご褒美と思ったことは、多分ない。
目指していた頃は何も辛くなかったから、ご褒美という感覚はなかったし、
その仕事に関わっている間は
ずっとしんどくて、
他の仕事が息抜きで、
たまに報われる瞬間があっても、苦しさが微妙に勝ってしまう。
ああ、だからか。
私にはご褒美ではないし、メンタルのバランスをとってくれるものではない。
まったく逆である。
その仕事をすると心が乱されるし、
ご褒美は今のギョロ目ちゃんとの生活である。
私が頑張れば、誰かが幸せになるという使命感
期待されているのにやりたくないと言った時に失望されるだろうことへの恐怖
これだ。
なんだ、私全然やりたくないんじゃん。
その仕事に関するすべてのことがやりたくないかと言われるとそうではない。
今の生活を送りながらできて、嫌な気持ちになることがなければ、やりたいのだ。
この話をギョロ目ちゃんにしたら、
「つまりあれやろ?
紅茶は好きで飲みたいし、近所の人に善意で振る舞うくらいはいいけど、大きなお茶会をお金取って開くのは嫌だってことやろ?」
そうです。まさにそうです。
そう言ったら自分がワガママ言ってるように感じてたけど、いいんじゃないだろうか。
それ言ったら、一緒にもう一回やろうよ、っていう人もワガママなんだし。
私だって、自分の気持ちや生活を優先してなにが悪いのだ。
誰かが責任とってくれるわけではないのだから。
自分にとっての「ご褒美」を軸に、折り合いをつけていけばいい。
他の誰かのご褒美だけを大切にしてはならない。
これからは、そうやって生きていきたいんだ。