私を想い返したら割とネタ帳③
こんにちは!Rinです。
今、人生で初めてお仕事の長期お休みをさせて頂いてるので、ずっとやりたかった韓国語を習い始めました!
まだ初心者コースですが夢のために楽しんで習得します♡
やっぱり不安定なきもちの時が多いけれど、自覚出来るようになってきているので、少しは向き合えてるかな…と。
そんなゆるーっとした近況です!(笑)
さて。またふんわり始めていきたいと思います。(急だな)
わたしは居場所もないのに、どうして頑張っているんだろう。
勉強を頑張る意味は分からなかったけど、とにかく怒られて殴られるのがこわくて必死だった。満点を取っても褒められる事はなかったけど、機嫌が悪くなかったからそれでよかった。
小学6年生になるころには、食べる事が好きだし資格も取れる。という理由で栄養士になると決めた。
でも本当に大きな理由は、資格を取れば怒られないし就職するのに少しでも困らないようにする為だった。
将来の夢を見る方法なんて分からない。自分の好きなことも。
みんなが。周りが羨ましい。
だけど、わたしはもう怒られずに…出来れば、褒めて認めて貰いたいと必死だったんだと思う。
目標設定が出来た。と思ったら、少しだけ楽になった。
頑張る意味を見出した気がしたから。
あとはそこに向かって、どうすれば怒られずに進めるか。最短距離で達成するかを考えればよかったから。
…そんな恐怖心を持ったり、どうやって最短距離で達成するかなんて考えてる時点で本当にやりたかった事なのかな。
もちろん料理を作る事も食べる事も大好きだし、大切な命を食事という最高の形でいただく事で、私たち人間の身体が成り立っている。
その現場に携わる仕事として誇りと責任感をもっているつもりだ。
だけど…この職を選んだ動機はそんな純粋なものではなかった。
だけど居場所がないのなら、そこに向かうしかない。
私と父と母と妹の関係。
唐突だが、これまであまり出てこなかった父とはどんな関係だったのかを記してみようと思う。
父とは幼少期や思春期でもかなり良好な関係だったと思う。
出張や残業が多く家にあまり居なかったが、休みの日があれば乗れるまで自転車練習に付き合ってくれたり、時間があれば一緒に買い物に連れて行ってくれたりしていた。
妹も一緒に遊んだりしていたし、父は本当に分け隔てなく接してくれていたと思う。
出張に行けば、姉妹おそろいのヘアゴムや色鉛筆セットとか何かしらおそろいの可愛いお土産を買ってきてくれた。
父と母の関係も悪くなかったと思う。一つを除けば。
それは父が私と妹に対する態度の違いを母に指摘すると途端にこじれて、空気が悪くなる。
そんな雰囲気がどうしても苦しくて居たたまれなくなるから、私たち姉妹は決まってそそくさと寝るフリをした。
そして私は、どう見てもやはり母からの態度はキツイのだな。と再確認するハメになるから、そのたびに毎回見ないようにしてきた心のカサブタが剥がれてジクジクした。
そんな父は一度だけ「本当に栄養士になりたいのか?」と寂しそうな何とも言えない表情で聞いてきたことがある。
正直戸惑った…そんな顔は見た事なかったから。
だけど、わたしは自分自身が分からないから。
なる!と言った以上、それしか選択肢がないと思っていた。
私は「なる!て決めた以上は頑張るよ」としか答えられなかった。
父は「分かった。どんな道を選んでもいいけど、精一杯頑張れ。」と伝えてくれた。
私がもしあの時違う答えを言ったら、なんて話してくれたのかな?
本当はもう、ずっと前から歪な家族関係だったのかもしれないね。
中学校は死ぬほど勉強と部活をして、学校生活が楽しくてキラキラした宝物みたいな3年間だった。
部活動はバスケット部に入った。絶対入りたいって決めてたから。
勉強も死にもの狂いでやった。それにも理由があった。
中間・期末テスト両方を5教科平均点70点を切ったら部活動を辞めさせる。という理由だったから。
朝練して授業を受けて、また部活して…そんな毎日の繰り返しだったけどもの凄く楽しかった。
家に帰れば部活を辞めたくない一心で勉強して、テスト前はひたすら机に向かって。
それ辛くなかったの?と聞かれたら、もちろん辛い時もあったけど、初めて自分なりに考えて行動してガムシャラになった日々だったから。
できるだけ、内申点を上げる為に(今でもあるのかな?)生徒会の中枢委員をやったりした。
その頃、初恋も覚えた。
1つ上のカッコいいと言われているグループの先輩だった。
でも憧れの対象の延長で、認識されたいとかそんな事は私には無理だと思っていた。
遠くから眺めてキャーキャー騒ぐ事が楽しかったし、嬉しかった。
あの時の私は、間違いなくキラキラした中学生だったと思う。
とてもとても素敵で宝物のような時間だった。
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