わたしが私なのはどうしてなんだろう?
意味の分からないタイトル。
けれど、物心ついた時からずっと思っていたこと。
母に認められたくても叶わなくて、お友達を作るのがとても下手くそで、要領よく勉強も出来ないわたしは、なんで私なんだろう。
そうか…傍から見たわたしは頑張ってるつもりなのか…なら、頑張りきれば私になれるのか?
でも、頑張りきるってどういう事?どこにどうしたらゴールなんだろう…と。
口にした事はなかったけど、とにかくそんな事ばかり考えていた。
とにかく頭の中の声が毎日うるさかった。
正直、今でもうるさい。
大人になって、いろんな気持ちに蓋をしてきたツケが回って適応障害とパニック障害になった。
でも、少しだけ理解した。
親は親であっても、どれだけ仲の良い友人でも、所詮どうしたって他人なのだ。
わたしが私を生きる為に他人の考えを優先しなくて良かったと。
気持ちに正直で自由にしても良いんだと。
今まで他人の迷惑になる事を恐れたり、他人からどう見られてるかをずっと気にして生きてきた気がする。
だけど。人間としている限り、他人に迷惑をかけたりかけられたりしながら生きている。
それなら私は迷惑をかけた分、どこかで沢山の恩返しをする努力をする。
そして何より、わたしが思うほど他人は私に興味はない。
自分の気持ちを他人の思考や気持ちに合わせる必要はないし、委ねたらつらいし苦しいと気がついた。
「そんなの当たり前でしょ。」
大体の人はそう思うし、コイツ偉そうになに普通の事言ってるんだ?と感じるでしょう。
けれど、私は心が悲鳴をあげて壊れてかけてやっと理解したんです。
だから、私は子供たちには心の底からこう言う。
「自分の気持ちやしたい事は何があっても、自分が決める。
他人が色んな事を言っても所詮責任は取ってくれない。
だから、全力で自分で考えて欲しい。
君たちの考えや気持ちは、他の誰でもない君たち自身のとても大切なものだから。
お母さんは、分かるまでに凄く時間がかかっちゃったから…だからこそ強く言うね。」と。
自分を大切にする事は、1番大切だけどとても難しい事だと思う。
わたしが私なのは、もの凄く遠回りをして辛いと思う事も沢山あって病気にもなってしまったけれど、だからこそ気づいたり、大切にしたいと思える事を沢山見つける為だったのだと思う。
わたしは私で良かったとほんの少しだけ思いたい。