ヤッパリ「まちづくりはひとづくり」でしょう〜その2『出かければ気づきがある』

南アルプス市役所の保坂久さんの連載レポートです。前回はこちらです。

転機となった自治大学校への研修


さかのぼって2013年。当時の私は、市の政策担当として、改めて取り組むべき方策は何だろうと考えていました。2008~2011年も同じ職でしたので、目先のことでは効果は出ない、もっと本質的なことに取り組まなくては、との思いを強くしていました。そして、やはり「まちづくりはひとづくり」の言葉のとおり、将来のまちのために人材育成に取り組むべきだと考え始めていました。そんな考えに至るには、いくつかの要因があったように思います。

まず、2008年に教育委員会学校施設担当から政策秘書課政策研究担当に異動になったときです。それまで私は、保健課や簡易水道、広報担当、教育委員会などの部署を経験してきましたが、住民との関わりを強く意識したことはありませんでした。

異動したその年の5月に立川にある自治大学校に研修に行くことになりました。「新世代地域経営コース」で3週間ほど、30余名の講師から地方自治の基礎から、地方分権、社会傾向、パブリシティ論までの基本的な考えを包括的に、そして先進自治体の事例など短期間でしたが濃密に学ぶことができました。

自治大学校は総務省が所管する施設で、著名な講師陣を擁しています。その名のとおり、地方自治の理念に基づく教育研修を行っており、自立した自治体としての誇りを持つように認識させられました。特に大森彌、神野直彦、藻谷浩介、椎川忍、各先生の講義が印象に残っています。

国や県に従属するのではなく、自治体は市民が主体となって自らの力で将来を切り開くのだと教わった気がします。その影響で、その頃、松下圭一「自治体は変わるか」とか、西寺雅也「自律自治体の形成」なども読んでいます。

反省半分 悔しさ半分

その後、中部横断道沿線地域活性化協議会の事務局運営や、市長公約を実現するプロジェクトの企画設立などに従事しました。自治大学校での学びをベースに、市民や民間企業の巻き込みを意識した方法を模索しながら仕事を進めました。

また、職員の自主研究事業として、若手職員が企画立案事業化を体験する「政策づくり勉強会」を企画し運営も始めました。2012年には、荒廃農地を活用したオーガニックコットンの栽培を、地域住民グループと企業の連携事業として行い、耕作放棄地対策と地域コミュニティーの再生に取り組んだりしました。

すべてがうまく行くわけもなく、首長の意向の変化や私自身の異動もあって、それぞれが中途半端になってしまいました。反省半分悔しさ半分でしたが、地域や人々、企業が関わり合って、ひとつのことを成すことの難しさを経験しました。

しかし、現在つながっている多くの方々と知り合ったのも、この期間のプロジェクトや会議でした。特に協議会の座長だった青木茂樹先生(現駒沢大)には、地域資源活用や行政と民間の連携について、刺激を受けました。また、WAKAMONO大学のコアメンバーとなるみなさんとも、この時期に知り合っています。

出かければ必ず気づきがある

協議会やまちづくりプロジェクトの企画を進めているころ、地元紙のある記者から言われました。峡東など他の自治体では、若者が主体となる活動が活発に行われているが、南アルプス市にはそういったものが見られない。自治体の政策担当者としてこれでよいのか?(税金払ってるンだから、市民の期待に応えて、もっとしっかり働け!)と叱咤されました。

「むっ」とは思いましたが、他の様子も知らずに反論もできないので、情報収集をして、甲州市や山梨市で活動している方を訪ねたり、異業種交流会などに参加したりするなかで、地域が元気になるには、住民が活発に活動していることが大切なのだと感じることができました。情報収集の手段としてSNSを始めたのもこの頃です。

それまでは、仕事として市民や民間と連携することを進めてきましたが、この頃から、公務員は勤務時間だけの仕事でまちづくりを進めることは困難で、積極的に日常から市民とコミュニケーションすることで、必要な情報を得ることができる。よりよいまちに変革する力のようなものが生まれる感覚を持ち始めます。

いつもは出不精で、自分の趣味に没頭する私が、関わりあった市民等と話をするために、積極的に出かけていくようになります。出かける前は、人に会うのが億劫で、足が重いのですが、出かければ必ず新たな気づきをもらえるので、それが面白くなり、次第に市内外の様々なイベントやワークショップに顔を出すようになりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?