長女が学校を脱走したのはその血の運命(さだめ)だった話
8月。
地獄の夏休み真っただ中である。
去年まで学校行き渋りがひどかった長女氏だが、6年生の1学期は頑張って登校した。
病欠も多少はあったが、不登校までは行かなくとも毎月行き渋って休んでいた去年に比べたら信じられない進歩である。
何より、自分の意思できちんと登校していることが感慨深い。
いや、それだけではない。
我が強く、考えなしで、一切の未来予測をせずに今だけ生き続けて来た長女であったが、高学年になってからはずいぶんと落ち着いた。
かつては色々と心配もしていたが、ひとまず常識的な日常生活を送れるくらいにはなったようである。
感慨深いついでに、私は3年前のある出来事を思い出した。
コロナ禍で続いた3カ月間の休校がようやく明けた2020年の初夏のことである。
当時小学3年生の長女氏は、学校を脱走した。
長女氏は元々学校が嫌いだった。
小学1年生の時から嫌いだった。
もっと言うと幼稚園も嫌いだったし、その前に通っていた保育園も嫌いだった。
同級生同士のトラブルや少し嫌なことがあった際はもちろん、特に何もない時でも学校に行きたくない、休む、と癇癪を起こす。
朝は毎日戦争だった。
学校には仲の良い友達もいるし、長女氏は自分の意見も比較的きちんと言える方だ。
困ったことがあれば先生に相談することもできる。
嫌だ嫌だと言って登校しても、帰って来ると楽しかったと言う。
むしろ学校を休んだ時の方が体を動かさない分、ストレスで機嫌が悪かった。
最初こそ色々心配してフォローなどもしていたが、年月をかけてよくよく話を聞いてみると、どうやら彼女は勉強が超絶大っ嫌いであることが発覚した。
たしかに成績は惨憺たる有様である。
さらに話を聞くと「やること(勉強、外遊び等)を先生に勝手に決められること」が嫌なのだそうだ。
自分の行動は自分で決めて、自分のペースでやりたいらしいのだが、自分のペースでやらせたら勉強なんか一つもするわけがない。
学校を休んでの自宅学習は不可能である。
試しに「もし学校が遊びに行く場所だったら毎日行くか」と問うてみたら、当時同級生間トラブルの真っ最中であったにも関わらず「それなら毎日行く」と嬉々とした表情で答えたので私はそっかあー、と思った。
その日の朝、戦況は熾烈を極めていた。
夏休みをもしのぐ長いコロナ休校期間で登校に対するハードルが上がっていた上に、進級後の新しいクラスにまだ慣れていない時期である。
長女氏の言を借りれば学校のある平日は「さいていさいあく」であった。
脱衣所で亀のポーズになり力ずくで休もうとする長女氏を、夫氏が何とかなだめすかして送り出すことに成功し、私は胸を撫でおろした。
読者諸君の中には「そんなに嫌がるなら休ませてあげればいいじゃない」と思う方もいらっしゃるだろうが、そこはそれ、数年に渡るここには書ききれない様々な試行錯誤と家庭事情があるのだろうとさらっと流して頂きたい。
電話がかかってきたのは、ちょうど学校で朝の会が始まる頃合いだった。
もしもし、と出ると、担任の先生があいさつの後にこう言った。
「長女さんが来ていないんですけど、登校されてますか?」
そんなバカな。
長女氏はいつもの登校時間に家を出たはずだ。
私は朝の光景を思い返した。
学校休むと叫ぶ長女氏。
癇癪を起こしてうずくまる長女氏。
夫氏に機嫌を取られながら、グズグズと立ち上がる長女氏。
ブスくれた顔で玄関を出た長女氏。
そして、更に過去。
いってきますと言った後、登校したフリをして家の周りをぐるぐる走り回って遊んでいた長女氏(うるさいのですぐバレる)
パズルのピースが、カチッとはまった。
彼奴め、サボりやがったな。
問題は、どの時点で集団行動から外れたか、である。
家を出るのは見たが、登校班に合流したことまでは確認していない。
かと言って、家の周りにいる様子もない。
担任にそう伝えると、同じ登校班の子に確認してまた連絡をしてくれることになった。
電話を切ると、とたんに不安になって来た。
今までの経験上、サボタージュをキメる時は家の近くで時間をつぶすのが長女氏の常だったので、朝の会の時間には既に「ただいま」と帰ってきているか、勘の鋭い私に発見されているかどちらかだったのである。
それが、何の気配もないのだ。
事故、誘拐、迷子…
悪い憶測が頭の中をかけめぐる。
場合によっては警察へ連絡しなくては。
夫氏の職場にも連絡して、あと何かしなければいけないことは…
自分の身体から血の気が引いて行くのを自覚しながら、できるだけ冷静でいようと努める。
学校からの連絡待ちをする間、家の前の通りだけでも見ておこうと靴を履いた瞬間だった。
「ただいまあ~」
勢いよく開いたドアの向こうに、はちゃめちゃに間抜け面をした長女氏が、すっごくゴキゲンな感じで立っていた。
まるで何かをやり遂げたような、充実感あふれる間抜け面である。
狭い玄関先で私はドリフのようにズッこけ、膝がくずおれるってほんとにあるんだなあー、と妙に感心した。
どうしたことかと聞くと、長女氏は悪びれもせず「脱走してきた」と答えた。
ひとまず私は学校へ連絡し、平謝りに謝った。
その様子を当の長女氏は不思議そうに眺めていた。
自分がやらかしたことを全く自覚していないようである。
通話を終えた後、私は長女をダイニングテーブルへ案内し、お茶を出した。
「どうやって帰って来たか、聞かせてくれるかな?」
もしにデスクライトがあったら、ライトヘッドを鷲掴みして容赦なく長女氏の顔を照らしたに違いない。
取り調べ開始である。
容疑者は悪びれる様子もなく、むしろ得意気に朝の出来事を語り始めた。
思わず舌打ちをしたくなったが、ここはひとまずこらえることにする。
聞き取りの結果、容疑者は以下のようなタイムスケジュールで犯行に及んだことが判明した。
登校時間 登校班と合流、いつも通り学校へ向かう
8時過ぎ 学校到着、下駄箱の前まで行くがそのまま引き返す
人波にまぎれて校門を出た後、通学路を逆走
朝の会の時刻 歌いながら歩く。一人の時間を謳歌
現在 帰宅したところを確保され、取り調べを受ける―
校門に先生も立っているというのに、白昼堂々、何とも大胆な犯行である。
児童数の多い学校であるため、朝の校門はいつも混雑している。
登校のタイミングで校門を出る生徒がいるなど、先生も想像しないだろう。
心理をついた、何とも大胆で鮮やかなトリックである。
そこには、親も登校班のメンバーも先生も、全ての関係者を謀ろうとする強い意志が存在した。
見事なり。
これには取調官の私も舌をまいてぐぬぬ、と唸った。
しかし、このままスルーしてはいけない。
ここで確実に理解してもらわなければいけないことが一つ、ある。
私は先生への連絡を怠ったことに対して叱責した。
みんな心配するし、手間も増えるし、要らん迷惑になってしまう。
安全確保もしなければいけない。
すると長女氏は平然と「下駄箱に帰りますってメモを残して来た」と言い放ったのである。
連絡が必要な事は分かるが、直接話すと引き留められることも分かっていたので、連絡と帰宅の両立する方法を考えた、ということらしい。
普段頭を全く使わない子が成長したものよ、と感心したが、手放しに誉めるわけにもいかない。
取調官はニュートラルに容疑者に当たらなければならないのである。
考えたのは偉いが、連絡は確実に伝わる手段でしなければ意味がないとたしなめると、ちょっと成長した長女氏はひとまず神妙にうなずくことにしたようだった。
そして私は爆笑した。
こらえきれなかった。
これは笑い話として、家族親戚中に報告しなければならないと思った。
そして、無計画で考えなしだった長女が自分の意思で決定し、一応は計画を立て、実行した行動力について、称賛を送った。
いくつか注意は加えたものの、私はついに脱走そのものについては叱らず仕舞いだったのである。
その日長女氏はそのまま学校を欠席し、担任の先生には電話でごめんなさいをした。
私の対応には賛否両論あると思うが、実は私が脱走そのものを叱らなかったのには、もうひとつ別の理由がある。
夫氏が脱走癖のある幼少期を過ごしたことを知っていたからだ。
長女氏の父親である私の夫氏は自由奔放な幼少期を過ごした。
家から徒歩10分もしない幼稚園に通っていた夫氏は、帰宅時間前に園を脱走して家に帰った過去がある。
何十年も過去の幼稚園のセキュリティなんてガバガバだった。
当然園は大騒ぎ、義母は平謝りだったらしい。
全然関係ないが、当時の夫氏の将来の夢は「いぬ」だった。
そんな夫氏でも、現在は立派に働いて人並みの生活を送っている。
むしろ、幼少期から学生期を毎日バカ真面目に過ごして来た私の方がクズ度が高い。
小さい頃の「やらかし」、つまり自己判断の経験が多いほど、人間としては成長するのではないか、と今の私は思っている。
長女氏も、幼稚園の年少時代は自由奔放だった。
クラスを脱走しては幼稚園内の至る所を「たんけん」していることで先生方の間でも有名人だった。
何度捕獲されてもめげなかったため、教室内に留めることを諦めた担任の先生(めっちゃ良い先生)と「給食の時間には戻って来ることにしようね」と約束を交わすことである程度の自由を認めてもらっていたようである。
当時温かく見守ってくれていた先生方には、今でも足を向けて寝られない。
これは夫氏の遺伝子のなせる業だろうか、と、園服姿の長女氏を見ながら思っていたが、彼女の脱走癖は年中さん、年長さんと成長するにつれて落ち着いたのでウッカリ安心していた。
しかし本質と言うのはそう簡単には変わらないらしい。
今回の学校脱走で、夫氏の血の濃さに思いを馳せる私なのである。
いや、こういうのって遺伝なのか?
顔は確かに夫氏の家系そのまんまなのだが。
後日、家族で夫の実家へ行く機会があった。
これは近況ネタとして語らねばなるまい。
使命感に満ち溢れた私は、脱走事件について語った。
孫バカの義父は予想した通り爆笑する。
長女氏はその横で、なぜかドヤ顔をしていた。
褒めてないからな?
ひとしきり笑い終わると、義父は長女氏の目を見つめてこう言った。
「学校なんて行かんでええなぁ。オレも小学生の頃は学校サボってずっと山で遊んどったよ」
よもや。
衝撃の事実発覚である。
なんと、夫氏だけではなかった。
夫氏と血の繋がった義父もまた、脱走少年だったのである。
これは、これはもう…まごうことなく遺伝なんじゃないでしょうか…
誰がどう見ても血の繋がった顔の長女氏と義父を眺める私の頭の中に、アニメ『ジョジョの奇妙な冒険』のオープニングテーマが流れた。
脱走。
それは、まさにその血の運命(さだめ)だったのである。