ショートケーキが特別だった頃
好きなものはたくさんあった。
ピアノの一番右の鍵盤。少し重たく沈み、それからカンと音を鳴らす、端っこの鍵盤。
じゆうちょうに描いた4コマ漫画。
もう削れないほど小さくなった、そらいろの色鉛筆。
スキップをするときの、地面を蹴るリズム。
肋木のてっぺんから見下ろした、校庭の景色。
好きなアーティストのうたを焼いたMD。調子が悪く、よく音が飛ぶ。
わたしたちは忘れていく。
ページを捲る手を止めて栞を挟んでみても何か足りない。
味はするけれどピンとこない。
そんなことが増えた。
まだショートケーキの味が特別に美味しかった頃。特別にしか食べられなかった頃。
そのことを時々思い出す。
嫌いだった学校も、先生も、クラスメイトも、遠くへ行った。上京して両親との間にできた程よい隙間も、何もかもがわたしの心をぼかして、だんだんと鈍くなるようだった。
疲労をコートと一緒に着込みながら、コンビニの照明の眩しさに目を細めて、小さなケーキを手に取る。何を食べてももう「美味しい」とは思わなくなっていた。それでも、何かを食べずにはいられなかったから、あの頃感じた満足感や多幸感を求めて、特別だったものを気軽に買うようになった。
持続時間の短い幸福では、大人としてのしがらみは遠くへ行ってくれなかった。
迷子だな。
疲れたとか、きついとか、まあずっと言ってきたけれど。歩って、目指して、掴もうとして、その結果疲れてしまったら。
一寸先が崖ならば引き返すこともできたのに。わたしは広い海でしきりに歌い続けている。
クジラが迷子になるのは歌が下手だかららしい。
他のクジラよりもずっと高かったそのクジラの声は、どれだけ歌おうと誰の耳にも入らなかった。時折観測されるその声は、どんなに悲しいメロディだっただろう。
誰かと違うことを認めて、愛しても、わたしたちは淘汰されていく。否、淘汰されるべきなのだ。
もしも、もしもわたしが、赤色をあたたかいと感じて、春をやわらかいと思えたなら、この世界はもう少し容易かったかもしれない。
わたしがもし、自然界に生きていたならば、とっくに淘汰されて死んでいただろう、と思う。わたしたちは守られている。そのことが心を壊している。
見えない、見えないな。
夢を抱いて、ここまできた。
この数ヶ月はやりたいことに一番近いことをできていたと思う。
毎日大量の服に溺れて立ち止まる暇もないまま、睡眠不足や疲労で朦朧とする意識のなか、必死にしがみついた。
達成感、愉悦、驕り、わたしのものではないのに、この掌のなかに掴めていると錯覚する賞賛。
真っ直ぐに立っているつもりが、少しずつずれていく。
1月に背中を痛めて医者へ行った。
背骨が旋回しながら曲がっていると言われた。
わたしらしいなと思った。
正しく生きていたいのに、もう何も間違えたくないのに、人生は少しずつ旋回しては捻じ曲がっていく。
そうしてそれが限界を迎えた時、突然に悲鳴をあげる。
何を犠牲にしても行きたい場所があった。そのすぐそばまで来て、核に気がついてしまった。
わたしはさほど夢に価値を持っていない。
楽になりたい。
生きたくない。生きたくないよ。
でも朝は来るでしょう。
そういう覚悟の弱さが、何度も何度も心を引っ掻いて、自分はどうしようもないやつなのだと睨みつける。
人生を懸けて叶えたいと思いながら、わたしはこの人生をとっくにゴミ箱に捨てていた。賭けられるものなど、もう、ない。
あらゆる矛盾の種が涙になって溢れていく。
先日、やっと仕事がひと段落して、月曜日から2週間の有給休暇を言い渡された。
エスカレーターを降りながら、上っているような感覚がした。空気の抵抗か、視界がビリビリと痺れて何度も瞬きをした。
やり残した仕事を済ませるため、早朝事務所に向かい、すぐに終わらせて家へ帰ろうとしたが、一度集中力の電源を切ってしまったせいか、駅のホームで眠ってしまった。やっと乗り込んだ電車でも寝てしまい、数駅戻ろうとホームで電車を待つうちにまた眠った。
そんなことを繰り返して、家に帰るまで40分のところ3時間を要し、駅の外へ出ると雨が降っていた。
傘を持ち、駅へ向かう人に逆行して、丸腰のわたしはとても異様に見えたと思う。
弱い。弱いかな。
辞める理由を探してるわけでもないけれど、辞めても誰も責めないな、とは思う。
それでも今すぐに手放せるかというと、まだここにいたいとも思う。
最寄駅の近くで本屋に立ち寄った。紙の匂いが懐かしく、やさしい。
実に3ヶ月ぶりのことだった。
そうか、そんな時間さえもなかったんだな。そしてそれに気がつく時間もなかった。
いくつか気になった本を手に取ってはパラパラと捲った。文字が滑って上手く読めなかった。
わたしは相変わらず読書が下手で苦手だな、と思う。1年で調子良く本を読める時期というのはそう多くない。
それでも本を読むのが好きなことに変わりなかった。
ふと一冊の絵本が目に入った。
『ぼく モグラ キツネ 馬』
チャーリー・マッケジー/著 川村元気/訳
表紙に惹かれてパラパラと捲る。
やはり上手く字を読むことはできないが、やさしい言葉が並んでいることはわかる。
「うまくいかないときは、ケーキを食べよう」
はたと手を止める。
…ケーキは特別だから。
甘くて、やさしくて、特別な日にしか食べられない、特別な味。
誕生日とか、クリスマスとか、何かを頑張った日とか。
でも多分一番特別なのはそうじゃなくて、母と買い物へ行って、今日はケーキを買って帰ろうかって、何分も悩んで選んだ可愛らしい1ピース。父と兄の分は何がいいだろうと、笑いながら、大切に抱えて帰った。
ケーキが特別なのは、多分、そういう時間。
そういう記憶が、何より特別だった。
甘えてもいいかな、
うまくいかないときは。
いつまでも馴染まないマンションの一室で、口いっぱいのやさしさを咀嚼した。
間延びした空気のなか、堰き止められた「わたし」を眺めた。
気が付けば季節は春に変わっていて、わたしはまた泣きじゃくった。
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