着る喜びのこと
引越しの作業はいやでも自分の持ち物と向き合わされる。
本や雑貨類はすぐに「残す・残さない」の判断ができるのだが、洋服だけはどうしてもだめだ。
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洋服に興味を持ったのは高校生のときだった。安く買った服を切ったり縫ったりして自分の身体に合わせて着たらとても似合っている気がした。
大学生になると空いた時間に洋裁教室に通って、布地からワンピースやスカートを作る楽しみに目覚めた。母や祖母の昔の服をもらって、お直し屋さんで私のサイズに仕立て直してもらうこともあった。
会社員になると、トゥモローランドやユナイテッドアローズで服を買うようになった。
ファッションビルで3万円するニットをびくびくしながら買ったことを今でも思い出す。ニットの袖はレース生地になっていて手洗いしかできないけれど、着るたび繊細なレースを撫でながらうっとりした。
他にも決して安くはないパンツスーツやブラウスを、食費や生活費を切り詰めながら買った。
社会人になってから一度友達に「洋服に一番お金がかかってる」と言うと、「会社に着て行く服なんてユニクロで良くない?」と返されたことがある。
でも私はどうしたって、うっとりする服が好きなのだ。
セレクトショップで広い空間に綺麗に並べられた、光沢のあるブラウスや柔らかなカシミヤのニットが着たいのだ。
私は食費を切り詰めてでも、「着る喜び」が欲しい。
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もし今、自由に外出できて、自由に人に会えるなら私は何を着るだろう。
友達と会ってカフェでお茶するなら、とろりとした生地の薄ピンク色のワイドパンツにオフホワイトのブラウスを合わせて、麻のベージュのジャケットを羽織りたい。
ちょっといいレストランで食事をするなら、身体に沿うユナイテッドアローズの紺色のワンピースに赤のベルトとスウェードの赤のパンプスを合わせたい。耳元はパールがぶら下がったゴールドのフープピアスがいい。
もし美術館に行くなら、金ボタンの白いカーディガンに水彩画のような花柄のシルクプリントのスカーフを合わせて、ハイウエストのワイドデニムを履きたい。
行きたい場所、会いたい人に合わせて服を考えるとき、じわーと脳が幸福感に包まれるような気がする。
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今は毎日、黒か紺色のTシャツにデニムを履いている。汚れても気にならない家事に適した服装だと思う。引越しのために洋服を段ボールに詰めながら、「着る喜び」は贅沢品だったことを今さら実感している。
着るものがすっかり変わって、生活もまたすっかり変わってしまったことに気がついた。
着たい服が自由に着られる日を、私はじっと待っている。
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