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【日記】家にいる記録5

【月】
朝、窓を開けていると隣の部屋から女性の怒鳴り声が聞こえてきた。
「早くプリントをやりなさい」
「1日のスケジュールを立てなさい」
「どうしてこうだらしないの」
声の主はおそらく学校が休校になった子どもがいるお母さんで、私は最初こそ微笑ましく聞いていた。しかし2、3時間続くとだんだん自分も怒られている気分になりうんざりしてきた。

夜、ゴミ出しに玄関を出ると、同じタイミングで隣の部屋から小学3年生ぐらいの少年がゴミを持って出てきた。この子か!と思うと何だか笑いがこみあげて仕方なかった。
夏休みの終わりに、母に怒られて泣きながら宿題をしていた自分の子ども時代を思い出した。

【火】
「ここ最近、外からペチ、ペチって手で皮膚を叩いているような音がする。
日によっては朝から夕方までずっと鳴ってる。気が散って何も集中できない。」と夫に言った。

「お隣さんがマッサージしてるのかな。体罰ってことはないよね。もしかしてうちの生活音が大きくて嫌がらせだったらどうしよう。窓を開けて掃除機かけてるし洗濯機まわしてるからうるさいのかな。それにこんな拍手みたいな音がうちに聞こえるってことは、この部屋の会話も全部筒抜けなのかも」

「ほらまた鳴ってる」
夜、仕事の手が空いた夫を急いで呼んで聞かせた。夫は耳をすませたあと窓の外をライトで照らした。
しばらくじっと外を観察した後、「配管から水が漏れてる」と言った。
私は自分の勘違いに心底呆れて恥ずかしくて、「天才やな」と夫に言った。

【水】
夫が夜遅くまでテレビ会議をしていた。私は一人で先にご飯とお風呂を済ませた。 
夜中に夫が仕事を終えたので、豚肉を炒め、サラダと玉ねぎスープを作り、一緒に席についてしゃべった。
夫は「先に寝てて良かったのに」と言った。

私が会社員だった頃、残業を終えて一人暮らしの部屋に帰ると毎晩カップ麺を食べていた。自炊する気力なんて一ミリもなかった。
誰かが部屋で待っていてくれたら、健康的なご飯が食べられたら、どんなにいいだろうといつも思った。
私は夫を通してあの頃の自分をいたわっているのかもしれない。

【木】
いま仮住まいしている部屋の持ち主に初めて会った時、私たちとあまり年齢が変わらないように見えた。
夫とスーパーに行く道を歩きながら、そのことを思い出した。

「こんな年齢で大家かー」と私がつぶやくと、夫は「水木しげるは25歳で大家になった」と言った。
「戦争に行って片腕をなくして、傷痍軍人としてお金を集めながら100万円でアパートを買って、それから...」と水木しげるの人生を語る夫に「うんうん」と相づちをうった。
夫の中には私の知らないことが無数に積み重なっているんだなあと当たり前のことを思った。

【金】

夫は毛布を体に巻き付けるようにして眠る。
今朝、夫より少し先に目覚めた私はそのイモムシのような姿をじっと見ながら、小さい頃からこうやって寝ていたんだろうかと想像する。

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