八重垣大明神 Part 6 偶然か霊障か
●偶然か
大阪市水道局の関わった工事、庁舎に現れた女性の幽霊、見付かった背骨。これらに因果があるのかどうか、私には分かりません。私はそう思いながら、X氏との連絡の途絶えた期間にまとめた資料を読み返し、あることに気付きました。
『津国女夫池』の著者・近松門左衛門は虚実を織り交ぜる作風の持ち主なのですね。つまり、『津国女夫池』が完全な創作でなく、事実を基にした半創作であるなら、造酒之進と清滝の遠いモデルとなった人物や、舞台となった場所が実在したかもしれないのです。ここで、Part2の八重垣大明神の由緒として噂される怪談の一説から、お糸の遺言を振り返ってみます。
いつの世までも 悪霊となって
堀川林の恋を呪って
実は怪談に登場する固有名詞の中で、実在したと言い切れる二つの場所があるのです。天満堀川と堀川林です。天満堀川はPart2で触れた通りですが、一方の堀川林が現在の何処に相当するかを示したいと思います。下に1657年(明暦3年)の『新板大坂之圖』と現代の地図を並べてみました。
分かりますでしょうか。背骨を祀った八重垣大明神と、女性の幽霊の現れた大阪市水道局扇町庁舎(現在は跡地)が、まさに堀川林の中なのですね。これが偶然であるか必然であるか、私には分かりません。造酒之進と清滝の遠いモデルが与八とお糸だったとしたら…まさかね。
●霊障か
2018年(平成30年)8月26日に大阪市中央区で某怪談トーナメントの大阪予選が催されました。私は会場で観戦しまして、とても良い思い出になりました。
さて、この翌日・8月27日に審査委員の1人である作家のNさんが扇町の付近を散策されていると知り、住民である私が八重垣大明神を含む何か所かを案内させてもらい、その際にこれまでのレポートを伝えました。
その夜、正確に言うと日付の変わって8月28日の2時30分頃です。Nさんから僕へSNSのダイレクトメッセージが届きまして、その内容に驚きました。例の神社を訪れてから、耳の聞こえが極端に悪くなったと言うのです。これには僕も思い当たる節がありまして、X氏との連絡の途絶えた頃だったと思います。Part3までの資料を整理している最中に、書斎の照明がゆるやかに消えましてね。一度きりなら電気の調子が悪かったと済ませられるのでしょうけど、二度も起こりまして。正直に言うと「これは金網の中に立ち入るなという合図なのかな」と感じてしまいました。
しかし、私は偶然だと思います。2017年(平成29年)12月から集めた資料や当時のレポートを加筆・修正しつつ、noteに本記事を転載していますが、特に何もありません。
「Part 7 八重垣大明神を建てたのは誰か」に続きます。次が最後です。
https://note.com/yoyoyonozoo/n/ndea10614e613