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八重垣大明神 Part 5 見付かった骨は幽霊の遺物か

●幽霊騒動の真相とは ー 2018年(平成30年)4月

 X氏からの電話の4日後に、私はZ神社を訪ねました。目的は大阪市水道局扇町庁舎で起こったとされる幽霊騒動とお祓いの裏取りです。

 社務所の巫女さんに取材で訪れた旨を伝えると、奥から1人の男性が現れました。同社の禰宜を務めるZ氏(伏せます)です。

 吉野「お忙しいところを恐れ入ります。
    私は大阪市北区に在住の吉野と申します。
    周辺の歴史を研究しておりまして、
    そのうえで伺いたいことがあります」

 Z氏「はい。存じております。
    あなたが吉野さんですか。
    八重垣大明神についての取材ですね?」

 どうやら事前にX氏が私の氏名と取材の概要をZ氏へと伝えてくれたらしいのです。これは話が早いと思い、単刀直入に聞いてみました。

 吉野「大阪市水道局扇町庁舎に現れた幽霊を、
    Z神社さんがお祓いされたそうですが、
    それって本当なんですか?」

 Z氏「はい。その通りです。
    私の祖父にあたる先々代の宮司と、
    父にあたる先代の宮司がお祓いしました」

 吉野「差し支えがなければ、
    ご本人から直にお話を伺えませんか?」

 Z氏「…それがですね、2人ともに故人なんです」

 吉野「…失礼しました。
    では、Zさんは先々代の宮司と
    先代の宮司から何か聞かれましたか?」

 Z氏「特に祖父は口が堅く、
    聞いたところで何も答えませんでした。
    ただ、たった一度だけなんですが、
    父が酒の勢いで漏らしたことがありまして」

 吉野「何を漏らされたんですか?」

 Z氏「父によると、
    三度目に現れた幽霊は女性だったそうです」

 吉野「三度目?」

 Z氏「はい。幽霊騒動は三度も起こりましたから」

 驚きました。幽霊騒動は一度でなかったのです。この時にZ氏から伺った幽霊騒動の概要をまとめると、次のようになります。

在りし日の水道局扇町庁舎。Googleより拝借しました。


●一度目の幽霊騒動 ー 1955年(昭和30年)頃(正確な時期は不明)

 大阪市水道局の職員を名乗る男性から、Z神社の社務所に1本の電話が掛かってきました。

 職員「折り入ってお願いがあります。
    扇町庁舎に幽霊が出まして、
    職員が恐怖に怯え仕事にならない状況です。
    どうか、幽霊を祓っていただけませんか」

 依頼を受けた先々代の宮司は大阪市水道局扇町庁舎へと向かい、現地でお祓いを行いました。

 ここで、Part3の扇町(公園)と天満堀川の来歴の抜粋を再掲します。幽霊騒動の頃の出来事に注目してください。

 5)1934年・・・・大阪市水道局扇町庁舎の竣工
            (八重垣大明神の向かい)
 6)1956年・・・・日本道路公団の発足
            (東京都)
 7)1959年・・・・阪神地区高速道路協議会の
            発足
            (大阪府)
 8)1961年・・・・阪神高速道路公団の発足
            (大阪府)
 9)1966年・・・・阪神高速道路12号守口線の
            建設に先立つ
            八重垣大明神の数十mの遷座
            (八重垣大明神の現社地)
10)1966〜8年・・天満堀川の埋め立て 及び
            天満堀川の埋立地に
            阪神高速道路の建設
            (天満堀川)

 気付かれましたでしょうか。幽霊騒動に相前後して、日本道路公団と阪神地区高速道路協議会が発足したのです。

 私はX氏の言った「大阪市水道局扇町庁舎で幽霊騒動の起こった原因が八重垣大明神らしい」が、ここを指すのだと思います。高速道路の計画が立てば、自ずと八重垣大明神の遷座の話も出たでしょう。それらの時期が同じであったなら「神社を動かそうとしたから幽霊が出た」と職員が恐れてもおかしくありません。


●八重垣大明神の遷座 ー 1966年(昭和41年)頃

 阪神高速道路12号守口線の建設に先立ち、先々代の宮司が八重垣大明神を現在地へと遷座しました。金網で囲まれた現社地です。


●二度目の幽霊騒動 ー 1975年(昭和50年)頃(正確な時期は不明)

 大阪市水道局の職員を名乗る男性から、Z神社の社務所に1本の電話が掛かってきました。

 職員「また幽霊が出まして、
    職員が恐怖に怯え仕事にならない状況です。
    どうか、幽霊を祓っていただけませんか」

 依頼を受けた先々代の宮司は数十人に及ぶ水道局の職員をZ神社へと招集し、境内でお祓いを行いました。

 一度目の幽霊騒動から約20年を経て、再び幽霊が現れたのは何故でしょうか。私の調べた限りでは、この頃の扇町公園の周辺に目立った工事がありませんでした。


●三度目の幽霊騒動 ー 1975年(昭和50年)頃(正確な時期は不明)

 Z神社の社務所に水道局の職員を名乗るスーツ姿の男性が訪れました。

 男性「まだ幽霊が出るんです。
    どうか、幽霊を祓っていただけませんか。
    今回は水道局としての公的な依頼ではなく、
    私的な依頼でお邪魔しました」

 男性はそう言うと、先代の宮司に名刺を差し出しました。先代の宮司が肩書きを確認すると、高い立場の方だったそうです。先代の宮司は男性を本殿へと招き、お祓いを行いました。

 Z氏から伺った幽霊騒動の概要は以上が全てです。真相を知るであろう先々代の宮司と先代の宮司が故人ですので、これ以上の裏取りは不可能です。
 ともあれ、幽霊に怯えた大勢の人がいて、Z神社がお祓いを行った。これは真実でしょう。しかし、大阪市水道局の関わった工事と幽霊騒動の因果はあくまで私の推測であり、確証に乏しいのです。
 八重垣大明神の調査もここまでかと諦めた私に、Z氏から思いも寄らぬ言葉が続きました。

 Z氏「…実は、私も一度だけ怖い思いをしたんです」


●遺物の発見 ー 2010年(平成22年)頃

 Z神社の社務所に阪神高速道路株式会社の職員から1本の電話が掛かってきました。

 職員「八重垣大明神の境内に立つ樹木の横枝が伸び、
    12号守口線の扇町出入口へと進入する
    大型車にぶつかりつつあります。
    事故の原因となる前に、
    横枝の剪定をお願いできませんか」

 Z氏はどうしてうち(Z神社)に依頼するのだろうと疑問に思いながらも、先々代の宮司の遷座した神社という縁があるなと、快く依頼を引き受けました。

 後日にZ氏と造園業者が八重垣大明神を訪れてみると、無惨にも荒れた光景が目に飛び込んできました。玉垣が倒壊し、空き缶が散らばり、足元に雑草が茫々と茂ります。また、石碑に刻んだ「八重垣大明神」の文字にヤモリの産み付けた無数の卵が並び、神を祀る環境ではありませんでした。

 造園業者が枝を剪定する傍らで、Z氏は境内の清掃を始めました。玉垣を起こし、空き缶を拾い、雑草やヤモリの卵を取り除きました。さらに、雑巾で石碑や祠に溜まった排気ガスの汚れを拭き取ると、ようやく神社らしい姿になりました。

八重垣大明神の祠です。

 Z氏は粗方の清掃に区切りを付けたところで、祠の中のご神体を確認しようと思いました。観音開きの扉に両手の指を掛け、ゆっくり開くと…

 Z氏「とんでもない物があったんです」

 吉野「何があったんですか?」

 Z氏「…背骨です」

 吉野「…背骨!?」

 Z氏「はい。人間の背骨がご神体だったんです」

 吉野「死体遺棄の可能性がありますよね。
    大阪府警に通報しましたか?」

 Z氏「勿論です。
    背骨をご神体と考える根拠がありまして。
    吉野さんは神仏習合についてや、
    扇町周辺の歴史についてご存知ですよね。
    それらを踏まえると、
    八重垣大明神は神仏習合の下で成立した
    何らかの神仏であると考えてよいでしょう。
    それに、背骨は黒ずみ、カビが生え、
    見るからにここ数十年のものでは
    なかったです」

 吉野「…なるほど、単なる神社でなく、
    死後の誰かを神として祀った祠、
    あるいは弔ったお墓であると?」

 Z氏「そうかもしれませんね」

 吉野「背骨はどうされたんですか?」

 Z氏「某所(伏せます)に墓を用意し、
    その下に安置しました」

 誰も鍵の在り処を知らなかった理由がこれでしょう。遺物の発見により八重垣大明神がさらにアンタッチャブルな存在になってしまったのです。

「Part 6 霊障か偶然か」に続きます。
https://note.com/yoyoyonozoo/n/nab1742d9895c

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