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シャバは美しい所 別れと出会い


私が留置所に来て五日が経った頃、同部屋初期メンバーの一人が不起訴の判決を受け、美しきシャバへと帰って行った。


檻が並ぶ廊下の向かいには被疑者専用のロッカーがある。そこには被疑者番号の書いたシールが貼ってあり
[午前中に自分のシールが剥がされていれば、その日の内に留置所を出れる]
という暗黙の合図の様なものがあった。

今でも、最初にシャバに帰った彼女の番号を私は覚えている。とても純粋で、可愛らしい顔をしていた彼女の国籍は日本では無かった。“でも日本が好き!”と、一緒にいくつかの日本語を学んだりもした。


 三月半ばのある日、彼女はソワソワした様子で朝食もろくに食べず、朝からずっと檻の前で体育座りをしながら、自分のロッカーを眺めていた。担当がその前で立ち止まる度に動物の様に反応し、自分のシールが剥がされないとしゅんとしながらもまた、ロッカーを見続けた。早くここから出たくてたまらないのが伝わる。こっちまでもどかしかった。

昼食時間になる前ギリギリで、ついにシールが剥がされた時は、同部屋に居た全員が“ようやく今日だね”と、一緒になって喜んだ。

彼女は、親族のキャッシュカードを許可を得た上で使用。それだけなのに、日本語が上手く話せず、説明出来なかったからという理由で約一ヶ月間勾留されていた。結果は不起訴で当たり前である。    彼女は泣きながら、悪い事をした覚えも無いのに、調べの度に警察から強く当たられ、嘘をついているのでは無いかと攻められ本当に辛かったと途切れ途切れの日本語で必死に話してくれた。

それでも今日シャバに帰れると分かってからは、今迄見た事無い位に彼女が心から笑っていた。昼食を食べながら、堪えようとしてもにやけが溢れてしまっているという感じだ。


 そして昼過ぎに彼女の番号が呼ばれる。
担当はその時、これが最後だという事は全く伝えないが、部屋に残った私達はもうこれで彼女は戻って来ないと分かっていた。彼女はサンダルを履き、檻の外から小さく手を振って                                     「ありがとう」と何度も言った。私達も     「ここでは“またね”はダメで“バイバイ”だね」なんて事を言いながら軽く手を振った。
一瞬、留置所とは思えない気持ちの良い時間が流れたと思った矢先に、彼女を呼んだ担当、女警察官が常時苛立っている癇癖な奴だった事に気付く。

「そういうのやめて、手を振らない!こっち見ない!」
と怒鳴ってきた。一気に空気が悪くなった。最後の最後まで嫌な場所だ。結局彼女との別れは、その場に居た全員がむすっとした、悲しげな表情の状態でのものとなってしまった。



彼女が居なくなって、留置部屋には私(エリカ)と、とんでもなく優しいフィリピーナ(オーバーステイ)と、一日中スウェットの毛玉を取っている美人なおねえさん(万引き)の三人になった。


その日の夜、就寝時間が近いにも関わらず担当が檻の扉の鍵を開けた。今迄には無い事だった。もしかして、と思っていると
「ったく だっりーなー!畜生またかよクソダリー!!!」
と異常にハイテンションな四十代女性が、同じくグレースウェットを着て部屋に入って来た。



私は、この場に及んでの彼女のテンションと声のデカさ、目が合った時の目を見て分かった。

しゃ
しゃ
しゃぶちゅうだ、、、♡と





⊃⊃″< ?




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