シャバは美しい所 外出
これは私が留置所に来て以降、初めての外出の記録である。
午前七時半
朝ご飯を食べ終え、また昼食の時間まで空白か…と思っていると外から番号を呼ばれた。(以下私の番号は”69”とする)
「69、護送だから出て」
護送と言われてもはじめ、全くピンと来なかった。
護送とは、被疑者が集団で身柄を拘束されたまま検察庁や裁判所に送られる時の事である。
既に何人かグレースエットの女達が並んでいる場所に着くと、軽く身体チェックをされ、両手錠を限界までキツく閉められた。
私の前に立っていた女が、手錠のキツさにイライラしているのか、大袈裟に舌打ちと溜息を繰り返す。
自分が精神を保っている中、他人の舌打ちを耳がキャッチしてしまうと瞬間的に、小ダメージではあるが心が擦れるものだ。
同じ留置所から十人程が手錠に紐を通され繋がれる。長く此処に居る被疑者達はこれを”ムカデ”と呼んでいた。
ムカデ状態のまま、私達は護送バスに乗った。
地下駐車場から発車し、坂を上がってバスがシャバに出る。
窓ガラスには暗いスモークがかかっていて、外がよく見えないように作られていた。
しかし、貼られた黒いシートを以前誰かが引っ掻いたのだろうか。一部破けている箇所から、唯一外の世界が綺麗に見えた。
重苦しい車内から覗けた景色は、圧倒的に明るかった。私は窓側の席で平然な顔をしながら、その光を見て涙が出そうになっていた。
留置所の中に居れば、その日の天気もろくに知る事が出来ない。
”今日は晴れ”だと、自分の目で知れただけで異常に嬉しかったのだ。
護送バスは原宿から湾岸、西が丘と順に周った。各留置所から被疑者達が続々と乗ってくる。
途中バスがレインボーブリッジを渡る時、私は窓に釘付けになって海を眺めた。
いきなりワー!!と叫び散らかし、窓ガラスを割り、橋の上からジャンプして海に飛びこめたら…なんて事を妄想した。
シャバは、海の見えるその景色は、開放感に満ちて見えた。
しかし、現実は両手が不自由なまま。私が髪を耳にかけようと片手を少し動かすだけで、紐で繋がれた隣の人にも影響が出てしまう為、身動きが全く取れなかった。
窓の外を眺めて一時間半が経ち、ようやく検察庁へ到着した。因みに、この検察庁での一日がなによりの地獄であった。
バスから降りた三十人程の被疑者達が、三部屋の檻の中に区分され、硬い長椅子に詰めて座らされる。一人当たりのスペースは自分の身体一つ分のみ、両手錠は着けたままだ。
検事調べと昼食を除いた約九時間、その場所で無言で座り続けなければならなかった。