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シャバは美しい所 地獄椅子


検察庁に運ばれ、指示通り約十人が一つの檻の中に入る。留置部屋とはまた違う、そこは鉄のにおいがした。
六畳程のスペースに、硬い長椅子が二つ並びその横にろくに隔ても無く洋式便座が一つ。(辛うじて手洗い場付き)

順番に座っていくが一人あたりの座れるスペースは本当に身体一つ分のみだ。
私は長椅子に腰かけてすぐに、感受性のレベルを大きく下げた。いつもの調子でここに何時間も居れば、他の被疑者達の感情を拾ってしまい自身が奪われると感じたからである。


“外出時の手錠はキツい”と留置所の中で聞いてから此処に来た。それにしても、手錠をはめられた時点で暴れる事など不可能なのに何故手首の薄い皮膚が食い込む程の調整加減にしてくるのかは疑問だった。実際にリスカ痕では無く手錠痕が赤く残ってしまっている被疑者が何人も居た。

状態、環境、共に地獄だと思った。


隣の檻から
「すみません、今何時ですか?」
「時間は教えられません。」
という被疑者と警察のやり取りが聞こえた事でさらに一段階心苦しくなる。
時間さえ分からないまま無言で座り続ける苦痛。
見ず知らずの人間に、指示された以外の行動を取れない不自由さ。
狭い部屋に、暗い気を放つ他人が集まっている最悪な空間。
私の性格上、これが一人部屋ならまだ良かった…

シャバで経験したどんな不快な出来事をもあっさり上回った心理的抵抗がそこにはあった。
しかし、私はこれを身をもって体験した時、今まで見てきた世の中・社会の仕組みがより立体的に見えたのも事実である。
いくつかの気付きを自分の中で得た私は少し心が軽くなったものの、やはり両手錠のまま座り続ける行為は中々の苦行であった。

映画「青い春」の撮影時、新井浩史が夜から朝になるまで一箇所で動かず立ち続けたという嘘かホントかも分からない話を、思い出したりして耐えた。



昼食時間の三十分間は片手錠になる。

私は嬉しくなって自由になった両手を組みグッと上に伸ばす。その様子を見て見張りの担当が睨んできた。ダメなの?これも?笑
もう呆れてこの日初めて自然に少しだけ笑えた。
片手錠になった被疑者達全員、腰と尻が痛そうな身振りをするが当 然である。そして無言のまま地べたに座り、硬い椅子を机代わりにしてコッペパンをお湯で流し込んで食べた。



検事調べの内容は省くとして

午後、手錠を両手に戻されて約五時間また無言で椅子に座り続ける。全員の調べが終わり、検察庁を出る頃には

”まだ座れと言われるなら座り続けられるぞ................”

というゾーンに私は入っていた。ただ、それは脳が守りに入った仕業だという事も分かった。本心は一刻も早く開放されたくて仕方なかった。手錠が外されて、身体が自由に動かせて、声を発する事も許されるなら何でも出来ると思った。




自粛嫌になりますが大体の人間手は自由ですし存分に手、使っていきましょう

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