豊島5丁目団地ー北区

空想地図から考える、医療とまちづくり(1)

「空想地図」をご存知でしょうか。

空想地図作者の地理人さん、こと今和泉(いまいずみ)さんの講演会@日比谷図書文化館に参加してきました。
地理人さんの話を聞きながら、自身の関心である「医療とまちづくり」を考えてみました。


地理人さんは、実際には存在しない架空の都市の地図を幼少期から作り続けている、というかなり突き抜けた方ですが、
先日偶然に根津の町でお会いして以来、彼の空想地図という行為がずっと心に引っかかっていました。

わたし自身は、正直これまで地図には全く関心がなく、google mapができるまでは地図が読めませんでしたし、さらに遡れば、中高生の時も社会科は全力で地理の選択を回避していたくらいです。
そんな自分が、空想地図と聞いて見過ごせない、何がすごく心に引っかかるものがあったのです。
その引っかかりってなんだろうかという問いを抱えて、それを確かめるために今回の講演会に足を運んでみたのでした。


ちなみに実際の地理人さんの地図は、こちらから見られます。
とにかくまず見てください。
http://imgmap.chirijin.com/viewmaps/n_d04/

半端ないクオリティ。。。


講演会では、彼が空想地図を作るに至った経緯や、その具体的な思考と実践の方法をダイジェストで語られていました。


その中で、
空想地図は本来地図好きじゃない人が関心を持つことが多い、これってどういうことだろうかという、まさに今回の自分の問いと重なるテーマが話題にあがりました。
それに対して地理人さんは、「現実の地図は目的地への最短経路を探す道具である一方で、空想地図は想像するしかない(道具)であることが関係しているのではないか」と分析されていました。

確かにそういう面はあるかも、と思いつつも、
なぜ空想地図に惹かれたのかについてわたし自身に特化して
(講演会からの帰り道の地下鉄の中で)ぼんやりと考えていると、
そもそも彼の地図を描くという行為そのものに自身の関心があることに気づきました。

「なぜ空想地図を作るのか?」という問いに対して、
彼が戸惑いながらも、振り返って言語化した現在の答えは、
「どのようにして都市、日常が成り立っているのか、という関心を地図という手段で理解しようとしているから」(意訳)というものでした。

この言葉をあえて質的研究での分析に倣って解釈すれば、
彼の行為は、
”都市と日常がいかに成り立っているかという問いを探求するための実践的行為として、地図という記述の仕方を取っている”
と言えるのかなと思います。

彼のその実践は「アート」と言われることもあるとのことですが、
わたしには、ある世界を“妄想で”フィールドワークして、文章ではなく“地図として”記述する、人類学という実践、そして地図という形の民族誌として映りました。


ここで、空想地図がわたしにとって引っかかった理由がひとつ見えてきました。

わたしは、これまで家庭医として医療の場で働きながら、病院から地域における「健康づくり」「まちづくり」へと関心と活動を広げつつ、
また、医療の場や地域コミュニティで起きていることを捉え記述する営みとして人類学の世界にも入門しようとしています。

地理人さんは、(わたしの勝手な解釈ですが)分野や表現方法は違えど、惹かれる道の先を行くひとなんだ、と気づきました。

当初の問いである、何かしらの引っかかり、は「あこがれ」なのでしょう。あこがれであると同時に、他人事じゃいられない、自分も自分なりの方法であとを追いかけたい、そんな気持ちが存在していることに気づきました。


医療とまちづくりに関心のあるわたしが、なぜ空想地図が気になったのかを書いていました。
引き続き(2)で、空想地図をつくる地理人さんの在り方が、医療とまちづくりに関わる医療者の在り方にある示唆を与えてくれるのではないか、ということについて書いてみたいと思います。

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