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「目にうつらないこと」をいかにメッセージとして伝えるべき相手に伝えるか?

メディアの方に、私の思いをどの様に伝えて頂きたいのかと、その詳細を訴えかけるのは結構難しい。
彼らも仕事であり、記事という商品を売れる形で出荷せねばならない。
単独で動いている訳ではない。
会社員として動いている。
こちらの思惑や抱えている問題意識をそのまま、記事に落とし込んでくれるとは限らない。
その事に歯痒さがないわけではない。
しかし、世にあるおかしなものの現状を変えたいと思う時、メディアの協力を得る事は不可欠であろう。

私は一つ一つの事件に、それぞれ多くの課題が詰まっていると思う。
それこそ、深堀りすれば、メディアのネタの宝庫だろう。
しかし、そのネタが商品たる記事になり、世に出るかどうかは別問題だ。
だから事件の「旬」が過ぎると、課題に光は当たらぬまま、また別の当事者がひっそりと課題に苦しむと言う事が、地味に、しかし確実に起き続けていると思う。

今日、読売新聞の記者と会って話をした。
長く我々を取材してくれた前任記者の安田氏の後任として、わざわざご挨拶に来て下さった。

こうして後任の方に追って頂けるのも、前任の安田氏と人間関係を築けたからこそであろう。

結局は人と人なのである。

私の場合、Twitterやnoteでシコシコ何かを書いたところで、その影響力は微々たるものだ。
本当に関心を持ってくれている人に届いているかどうかも分からない。
しかし今日、後任の記者の方と話しながら改めて思った。
自らに起きた事、失った娘、そして何より生きたかった娘自身の悔しさを思えば、この事の全てを私は書かない訳にはいかない。

先日の岸田奈美さんのDM読み上げの際、彼女が私のDMを読み上げた後に語ってくれた。書く事により自分の思いが整理され、また新たな気づきも生まれるものだと。
それは、その通りだと思う。
また、彼女はユーミンの歌詞を引用して「目にうつる全てのことは、メッセージ」だから、全てのメッセージを発信しましょうと私を励ましてくれた。
この言葉に私は、「目にうつらないこと」をいかにメッセージとして、伝えるべき相手に伝えるかという事の難しさを改めて痛感したのである。


昨夜、警視庁での講演のレジュメを作った。
妻に確認をしてもらうべく見せたが、妻は事件の事をまた生々しく思い出さねばなら無いことが辛かったようだ。

「目にうつらないこと」をいかにメッセージとして、伝えるべき相手に伝えるか?

お付き合い頂けるマスコミの力も借りたい。
自身のSNSでの発信も続けたい。
学者の先生に文字にして頂きたい。
そして、警察官や検察官(こちらは難しそう)の前で、自らの体験を全身全霊で伝えたい。
政治家にも関心を持っていただく機会を作って欲しい。

ありとあらゆる所に訴えかけねばならない。

私は自分なりの「正攻法」で行きたいと考えている。
ある遺族に語った事だが、私は単独で切り込む。
それに呼応する別の方が、当事者であろうと非当事者であろうと雪だるま式に増えて行けば良いと思っていると。
互いにこれは「ねばならない」と共有できる人が雪だるまになれば、何か変化の兆しに繋がるのではないか、そう思っている。

皆それぞれ生活もある、悔しくても泣き寝入りせざるを得ない状況の人も沢山いると思う。
そういう人にも、「わたしもおかしいと思っていた」と共感して頂ける様な、雪だるまを作りたい。

まずは、私が可能な範囲で、やる。



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