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外出のきっかけとジブリ的な空間と

書こうかなと思ったら、その日のうちに書いた方が良いと思って、書く。

正確な日時は覚えていない。
杖をついてはいなかったと思うから、2020年の初秋頃か。

当時、日常でやり取りをするのは主に妻だけ。
しかも、穏やかな時間がある訳はなく、暗く、重く、殺伐とした空気が充満していた。

その他にやり取りをするのは、リハビリ先の理学療法士と警察か弁護士くらい。

あとは、仕事に行くと言う能面をつけるだけの日々だった。

その息苦しさと、破滅的な空気に、妻がこのままではただ沈んでいくだけだ、もたない、そう危機感を覚えたのであろう。
私を何とか外に連れ出そうとした。
私は元々、極度にインドアな人間で、非アクティブである。
唯一好んで外出するとすれば、外食であった。

娘とも好んで外食にでかけた。

事件後はとにかく人目につく事を恐れた。
知っている顔に会うのを恐れ、家族連れが多くいる場所を恐れた。
近所のスーパーに行くのさえも恐ろしい、そんな状態であった。

妻は、子連れ客が居ない店ならばと、いくつか飲食店を検索した。

さすがにここは贅沢すぎるかと言われた店が、向島の鮨屋だった。
かつてなら、絶対にしない贅沢。
しかし、もはやそんな事はどうでも良い、子の気配がしない人生になった。
杖が取れたとは言え足は痛い。だから遠出もしたくない。
向島なら遠くはないし、絶対に子供が客として居ない店だから行く事にした。

不思議な店構えに不思議な大将、敢えてよそ行きにならなくても良い、何となくジブリ映画的な雰囲気があった。

出てくるものの美味さと量に驚いた。

非現実的な空間で非現実的な食事をし、ひと時の現実逃避が叶った様な気分になった。

店内には、娘が成人していると思われる年頃の3人家族が記念日と思しき食事を楽しんでいるテーブルがあった。
事件後初めて接した家族の風景。
しかも3人家族で、子は女の子。
その事に心が静かであった訳ではない。

しかし、そのジブリ的な空間の鮨屋においては、その家族の風景も、なんだか当初から設定されていたもののようで、恐れていた様に心が粟立つ事も無かった。

浅草の鮨屋のグリーフケアへとつながる道は、このジブリ的な向島の鮨屋から始まった。

今日、久々にジブリに触れて来た。

あれから3年が経ち、この3年間に体験してきた、いくつもの事を思い、その事をnoteに記しておこうと、そう思ったのである。

帰宅後、数か月ぶりに線香を焚いた。






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