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かごしま森のようちえん 市川雪絵さんロングインタビュー

不自由な環境でリスクを背負いながら子どもに体験させることの大切さを

土屋・・・本日は、お忙しいなかありがとうございます。現在話題になっている「かごしま森のようちえん」を鹿児島市でも運営されている人がいるということで、鹿児島市議ののぐち英一郎んに無理をいってこの場を用意してもらいました。よろしくお願いいたします。 
市川・・・よろしくお願いいたします。 
のぐち・・・よろしくお願いいたします。
土屋・・・市川さんの森のようちえんは、いわゆる本拠地みたいなものはあるのですよね? 
市川・・・事務所はあるけど、いわゆる園舎がない園で、しいて言えば、森そのものが本拠地です。 この4月からは認可外保育施設にすることにしたので、現在の事務所を<園舎>として登録したということはあるんですが。
土屋・・・園舎がないのですか!?それはすごいですね。私はこのインタビューにむけて「ルポ 森のようちえん SDGs時代の子育てスタイル (集英社新書)」を読んできたのですが・・・ 

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市川・・・えぇぇー--。すごい。 
土屋・・・ぼくはそういう気持ち悪い奴なんですよ。(笑)ここでは全国各地のいくつかの「森のようちえん」を紹介しているのですが、そのなかでも一つかなり原理主義的なところがあるのですがそこと似ていますね。 
市川・・・最初は事務所もありませんでした。認可外保育施設として登録するためには、鹿児島市の場合、園舎が必要だということで、今回やむなくです。でも全国的にみると鳥取、広島、長野、岐阜、滋賀などには里山保育や自然保育という分類や、自治体独自の補助金が確保されていてたり、園舎の有無も問わないところも多いんです。教育の多様性を重視し、多様なスタイルの園もしっかりサポートしていこうということなんですよね。土屋さんが読まれた本が出版されて、『森のようちえん』に注目もあつまっているし、国(内閣府)は柔軟に園舎がなくても認めるって言ってくれているのですが、鹿児島にはまだその波は届いていません。安倍元首相の時代、森のようちえんがこれだけ全国でひろがっているので、無償化に当たる森のようちえん独自に対する補助金も確保されましたが、運用は自治体の裁量となっていて、鹿児島市では実現していません。 
土屋・・・市川さんの「かごしま森のようちえん」はかなりとんがっている印象ですが、同じようなところは全国的にはけっこうあるのですか? 
市川・・・ここまでとんがっているのは、あまりないかもしれませんね(笑)。森のようちえん事業だけでは、先ほどご紹介したような一部の自治体を除き、補助金もないので、運営は参加費だけで賄うことになるから、会員数が一定以上ないと運営は難しいんです。それも無償化の対象外だから、選ぶほうも結構悩みます。うちがここまで原理主義を貫いてこれたのは、もちろん私たちのこだわりや戦略でもありますが、いろいろラッキーなこともありました。参加者は年間延べ3500~4000人、15年で5万人以上になるんですが、その方々が参加費や月謝を負担してくれ、長年、こんなとんがった組織を支え続けてくださってます(笑)。

こんな風に仕事帰りに日常的にできる鹿児島って最高の環境だよなぁって。



土屋・・・どういった経緯で「森のようちえん」をはじめることになったのですか? 
市川・・・平成15年に鹿児島県が環境教育施設(生命と環境の学習館)を県庁跡地(現在のかごしま県民交流センターの6F)に設置することになって、私はそこを受託運営する財団の職員になりました。ハンズオンといいますが、いわゆる大型の仕掛け展示がいくつか設置してあって、スイッチを押したり引き出しを引くようなアクションをすると、しかけが動き、映像や情報が表示されるといった体験型展示が無数置いてある、最新のハンズオンミュージアムでした。そこの立ち上げや企画運営のお仕事を頂き、実家の横浜からIターンしてきました。 ミュージアムには、地球温暖化のことや、自然のこと、例えばカエルの生態とかいろんなテーマの展示があったんです。子ども達は本当によく勉強して何でもよく知っていたのですが、生のカエルに触れたことがないとか、温暖化を遅らせるためにライフスタイルを変えるみたいな行動変容は起きない、といった状況で、このままここで働きかけを続けても、何の成果にもつながらないんじゃないか、他の方法でアプローチしないとまずいんじゃないかって悩んでいました。一方、プライベートでは5歳になる長女を育てていて、平日の仕事上がりに娘を連れてよく森を散歩していたんですよね。娘の自然体験の少なさも気がかりでした。だから、こんな風に仕事帰りに日常的にできる鹿児島って最高の環境だよなぁって。もしかしたら、ほかにも同じように欲しているお母さんたち、いるんじゃないかってことが頭をよぎりました。で、「ミュージアムでの体系的・総合的な学習」に加えて、「幼いころからの生の自然体験」という、もうひとつの片輪をつくるつもりで、親子むけに自然体験プログラムを企画してみることにしたんです。それが平成19年の秋。そしたら信じられないくらいのスピードで評判になっていって、3年目ぐらいには2000人とか来るようになっちゃったんです。あくまで県の環境教育事業の片輪でしたし、小さい子供の命を預かるリスクもある。なので、3年もたつと、県としてはもう充分所期の目的は達成したのでは?というような話がでてくるんですよ、当然。ところが、それまで参加してくれた人たちがぜひ継続していってほしいと声を寄せてくれて、県の事業とは完全に切り離し、平成24年にNPO法人として事業を独立させ、今にいたります。 
考えてみたら、15年間森のようちえん事業一筋でやってきて、その過程でいろんな子供たちが来るようになって、療育を始めたりもしたんですが、そもそも幼児教育をやりたかったわけではなんですよね。いわゆる自然体験の場を提供して、環境教育がちゃんと行動変容までつながるような流れを作りたかった。あくまで、それがゴール。
土屋・・・親の意識も変わっていきそうですね。 
市川・・・そうです。子どもより、大人が変わることが必要なんです。森のようちえんでは、子供はもちろん、保護者のマインドが育っていき、ライフスタイルがどんどん変わってきましたね。例えば、保護者自身が生活の中でゴミや環境のことをかなり意識するようになったり、食材選びや休日の過ごし方など、あらゆるフェーズでガラリと選択や意識が変化してきたと思います。今後、吉野の森に貯水池ができるという話があるのですが「本当にそれでよいのか?」と思った大人たちが、みんなで勉強会をしたりと、実際にアクションを起こしたりもしています。子どもたちが、自然体験を重ねることで価値観を変化させ、自然や環境問題に対して深い関心を持つようになってきたことに、保護者自身が大きく影響を受けていることの現れだと思います。
土屋・・・通われるお子さんは、未就学児に限定されているわけではないんですか? 
市川・・・最初は親子で来てもらうことから始めて、その子たちが2年経つと親の手を離れて子供だけで通えるようになったので、毎日通園するいわゆる幼児クラスを作ったんです。次にまた、その子たちが小学校へあがると「小学生向けの機会が世の中にないのよね」ということで、ジュニアクラスという週末の小学生クラスを作りました。今では、そこで育った中高生や大学生が森に通い、小さい子たちの面倒を見るという連鎖が生まれています。 更に、そんな活動を後ろ支えするのが保護者で、基本的には送迎したり見守るっていう立場なのだけど、子供たちが大きく変わっていく姿を見ていると、親も変わらざるを得なくなってくるんですよね。

『山賊の娘ローニャ』みたいですね。



土屋・・・ちょっと具体的な話を聞きたいんですけど、森では雨とか降ったらどうするのですか? 
市川・・・活動は基本的には変わりません。レインウェアを着るだけです(笑)。冬はダウンを重ねるだけ。子供たちは、その日の天気や気候を見て、厚手を一枚持っていこうとか、雨具を持っていこうとか、備品を自分で選んで森に行きます。 
土屋・・・知らないかもしれないですけど、『山賊の娘ローニャ』みたいですね。(笑)宮崎駿の息子の宮崎吾朗が作った作品です。最初の作品の『ゲド戦記』の悪評を挽回した素晴らしい作品です。一言で言えば、子供は成長のなかで自然とリスクを取るよ、というような話なんです。当然、森っていうのは危険なところもあるけれど、子供に限らず人間はみな、安心・安全・便利・快適な場所だけでは生きていけないから、怖さや「ここには近づいちゃいけない」とか、そういうことがわからないといけないよね、という作品です。 
市川・・・まさにそうです。不自由・不便ということを軸に活動しているので、水は運ぶか雨水を利用しないといけないし、電気も通すこともできるんですが、あえて便利にしないことにしています。それが自然だから。だから、1本しかないペットボトルの水をみんなで分け合うという体験も生じます。 こういう話をすると、よく「ボーイスカウト」のようなことを想像されたりするんだけれど、サバイバル技術やアウトドアスキルの習得を目指しているわけではないんですよ。不自由で不便な森の中に身を置くことで、感覚とか感性が研ぎ澄まされたり、想像したり創造する頭の使い方や、忘れていた感覚を取り戻したり、そっちのほうこそ大切にしたいんです。 実際に子どもたちを見ていると、森の中を淡々と歩いて、粛々と雨風や暑さをしのぎ、軽やかに遊んで帰っていきます。でも、その積み重ねが実はすごく大事です。例えば、今日の活動では、10匹ぐらいのスズメバチがぶんぶん飛んできて、土や水を集めていました。スズメバチと子どもたちが一緒にいれば、当然、子供たちの横をかすめていきます。でも、羽音がブーンって聞こえると、3歳の子がすっとしゃがみ込み、遊びをやめて動かなくなります。そして、スズメバチが去っていくと、何もなかったように、再びおままごとを再開します。 自然と一体化しているというか、スマートでしょう?
のぐち・・・いや素晴らしい。まさにその通りですね。それって一生使える技術ですよね。スズメバチは、出会えば大変だから。 
市川・・・今年の夏休みには小学1・2年生が来て、久しぶりに「藪こぎしたい」と、草がうっそうと生えているエリアに踏み入りゆうに背丈を超える藪をかき分けて、ずんずん入っていきました。しばらく進むと、その先で大きなスズメバチの巣とばったり遭遇。草を払うために伸ばした手があと数十センチずれていたら、触れていたかもしれないという距離です。当然、スズメバチは子どもたちを警戒して、数匹が巣から飛び立ち始めました。そのとき子供たちは15分ぐらいじーーーーーっとして“木”になり“石”になりました。しかも、炎天下の真夏に、です。(笑) 先頭は4人で隊を組んでいて、後ろは10人ぐらいの集団だったんですが、後ろの10人は後ずさりして、無事退避していきました。でも、先頭の4人は、目の前を飛ぶスズメバチと、汗だくで15分間じっと対峙していました。何をしたらスズメバチはどうなるか、子どもたちは幼少期から体験済みです。結局1人1人、ゆっくりゆっくりスズメバチの様子を見極めながら後ずさりしていき、見事無事に4人とも生還しました。 

経験不足の大人よりはるかに冷静で客観的な判断力や行動力が、幼児にも身につきます。



土屋・・・それはすごいですね。ちょっと下世話な質問をさせていただきますと、15年も活動しているなかで、トラブルとか事故とかはありませんでしたか?もちろん致命的な事故がなかったから今でも活動できているとは思います。 市川さんお一人で子供たちをみているわけではないですよね?他のスタッフも十分そろっているので子どもたちを自由にできるのか。あるいは、多少のトラブルがあっても、親の理解があるから活動を継続できているのでしょうか? 
市川・・・その両方ですね。スタッフは当然ながらアウトドアスキルを含めた高い意識を持ってリスクマネジメントしているので、トラブルなどの発生率はイメージされているより、はるかに低いと思います。 
それと、本人はもとより、保護者にもそのリスクを共有してもらわないと、スタッフだけでは背負いきれないのも確かです。相手は自然ですから。ただし、仮に、大事故とか死亡事故が起きたときに、私たちスタッフが訴えられないかというとそれは別の話です。でも、そうしたリスクを買ってでも、この活動をやらないといけないと思っているし、続けないといけないという使命感と覚悟をもってやっています。 
だから、保護者にも定期的に森に入って子ども達とおなじようなことを体験してもらいます。スズメバチやムカデも身近で観察させます。台風がきたからと、単純に判断して活動を中止にするようなこともしません。台風だから危ないというのではなく、風向きや強さ、雨量など、日常的に全スタッフで細かい検討をして判断します。子どもたちにも、自分で考えて判断するという習慣を身に付けさせています。毎日異なる環境の中で考えたり感じて選択する、という日々の行動が3年間も重なると、経験不足の大人よりはるかに冷静で客観的な判断力や行動力が、幼児にも身につきます。 
土屋・・・市川さんがそうした考えに至ったルーツはどこにあるんですか?子供時代の経験とかですか?さっきの話で言えば、ご自身のお子さんを連れて一緒に散歩していたのが始まりのようですが・・・。 
市川・・・自分が育った環境は横浜の下町のど真ん中で、そこにあったコミュニティは面白かったけど、自然はほぼなかったです。我が家もそうでしたが、都会に住む家庭は、お金と労力をかけて自然体験をさせに、よそに行くんです。例えば、海に行くにも渋滞3時間覚悟で(笑)。私の場合、幸いそのように両親に連れて行ってもらったことで、かなり恵まれた原体験をさせてもらいました。ただ、実際に自分が子供を育てることになったときに、自分が体験したように、あれを見せたいこれをやらせたいって思っても、そのエネルギーやコストに呆然としました。そもそも、働きながら子供に自然体験なんて、巨大化した都市・横浜では更に難しくなっていました。当時横浜市は、待機児童全国ワースト1で、実際復職も叶いませんでした。これは地方に行くしかないかなと思っていたときに、学生時代を過ごした鹿児島でのお仕事を頂くという好機に恵まれたんですよね。当時から、鹿児島は、島も山も里もあって、日常的な自然体験機会のポテンシャルが高いと思っていたので、とてもワクワクして移住してきました。仕事帰りに海に行くとか、森を散歩してみるとか、まさに理想的なライフスタイルを実践しようと思っていましたし、実際にそうしていました。きっと同じような気の合うお母さんたちもいるだろうと。 
土屋・・・なるほど。ご自身の子育てから、同じ価値観の仲間もできるだろうみたいな。
市川・・・厳密にいうと、期待して鹿児島に来ましたけど、結局自分でやらざるをえないぐらい、実は当時、鹿児島には選択肢がなかったんですけどね。 
土屋・・・来てみれば理想と違ったと? 
市川・・・実際に入れた園では「園外遊びには、行きません」「職員の配置や安全管理の観点から、外遊びは30分だけです」みたいな感じでした。「え、そこに山や海、あるのに?」「10時間の滞在時間で、娘はわずか30分だけしか外にでれないの?」と驚きました。それで、3年間で3回ぐらい引っ越しちゃ転園していましたね。 孟母三遷(子供は周囲の影響を受けやすいので、子供の教育には環境を選ぶことが大切であるという教え)と言えば聞こえがいいけれど。
土屋・・・自然を生かす幼稚園や保育園の考え方っていうのは、自然なことだと思うし、僕も昭和の男なんですごくわかります。ご自身のなかにある子育てへの信念みたいな感じなんですか? 
市川・・・鹿児島にきた頃は、そんなに深くは考えてなくて、少なくとも自分が体験した量よりは、多くの自然体験をさせてやりたいというぐらいで、鹿児島ならそれが容易に叶うと思って、そのために鹿児島に移り住んだとも言えます。教育学部出身だったので、学生の頃に、海外には森のようちえんっていうのがあるということは耳にしていました。それでも「なるほどねえ」って程度で、スタイルの一つぐらいに聞き流しすっかり忘れていました。でも実際、娘をつれて思い切って移住した鹿児島には、これほど豊かな自然がありながら、そこを魅力として打ち出している園に、私は一つも出会えなかった。お母さんのおっしゃることはわかるけど「できない」と聞き入れてもらえなかった。車で市街地から10分も走れば、これほどのフィールドがあるのに、それを全く我が子に経験させられないと思ったときに、ここに移り住んだ意味って何だろうって思いました。私と同じ思いの人はいないのだろうかと考えたときに、とりあえず、共感してくれる人たちを探して、娘のために始めてみようって思ったんです。 

初期の頃は、変な新興宗教かと思われたりもしました(笑)




土屋・・・ここまでの話を聞いただけでも、市川さんたちの活動が話題になるのはわかりますね。 
市川・・・今のかごしま森のようちえんが、ここ鹿児島でどのように評価されているのかっていうのは、正直全然わからないですね。森のようちえんは、全国には250カ所ぐらいあると言われていて、それなりに共通の考え方や価値観があんですが、鹿児島にはほとんどないので、私個人やうちの園の印象が「the森のようちえん」として独り歩きしてしまうところもあります。本当はいろんなスタイルがあって多様であることも森のようちえんの特徴のひとつなので、そこがすごく難しいところですね。鹿児島で森のようちえんが増えない理由も、うちのイメージが先行していることが、多少なりとも影響しているのかもしれない。 
土屋・・・この本(『ルポ 森のようちえん SDGs時代の子育て』)でも、全国9ヶ所ぐらいのいろいろなかたちのようちえんが紹介されています。森のようちえんのような活動をしたいということで山や森があるようなところに移住して、運営としては少しずつ順調になっているんだけど、地元の人たちは、あんまり普通の保育園と同じように見てくれないというジレンマを抱えてるという話も書いてありました。だから、はやりの言葉で言えば、ちょっと意識が高い親だけが利用させる状態だけど、運営側からしたら、普通の保育園と同じようにやっていきたいということですよね。この本のいいなと僕が思ったところは、「森のようちえん万歳」、「これが全てだ」みたいな本では決してなくて、多くある子育ての道のうちの一つにすぎないという姿勢で書かれているところです。 
市川・・・そういえば、初期の頃は、変な新興宗教かと思われたりもしました(笑)、周辺の住宅地は高齢化も進んでいて、子ども達の往来に対して風当たりや視線も厳しかった。ましてや補助金がないので、月謝や参加費を集めないわけにいかないから、確かに経済的に安定しているご家庭とか、意識高い人たちの集まりなどと思われている節もあって。制度上の問題であるのに、スタイルだけが注目されると「特別な家庭むけの、特別な教育なんでしょ?」みたいな話になりがちですが、もちろん、そうではないんです。 
のぐち・・・鹿児島の一般的なという言葉を使うと、土を触るとか、土をいじるみたいなことは見下されがちで、土に触らないのがいい仕事だったり、土に汚れないで生きていけることが進歩的だという認識がありますよね。もともとが、土に汚れまくった土地であったがゆえに、土から離れることの方が発展だし、進んだ状態みたいな価値観は相当根強いんだろうと思います。 
でも、本当はそのバランスが大事で、どちらかに過度に傾くのはどうかと思います。土を触っていると、危険回避能力が備わって、何が危険かがわかります。僕は、川と刃物と火遊びをすごく遠ざける教育委員会に対して、しょっちゅう「疑問だ」と言い続けているけれど、そこの溝はなかなかうまらないですね。でも、これまで遠ざけ続けてきた結果、土に触れたことも感じたこともない大人が今いっぱいいるわけですよね。いきなり人を刺してしまったら深く刺さりすぎて死んじゃうし、浅い川でもおぼれて死んじゃうし、不審者に怯えて玄関にはバットを置いたりする、今はそういう社会ですからね。「森のようちえん」のような活動は一般化されるに値するって、萩生田さんも安倍さんもかつては発言したこともあるんですけどね・・・。思惑もいっぱいあったと思うのですが、制度は作ったけれど結局は自治体の裁量ということでほとんど機能してない。 
市川・・・本当、残念です。補助金だけでなく、そもそも鹿児島において、多様な教育の一つとして市民権を得られていないという実態があります。私たちの力不足のせいでもありますが。 
土屋・・・たまたま昨日、NHKのBSを見てたら『いいいじゅー!!』って番組がありました。長野県の山に家族で移住してきて、家で「森のようちえん」を運営してるんです。夕方になると子供たちはそれぞれの自宅に帰りますよね。そのあとは家族4人でご飯を食べてっていうような生活していて、なんかとてもいい感じでした。 
市川・・・森のようちえん、あるあるです。補助金もなく、月謝も取るに取れず、苦肉の策で自分の家を園舎にとか、そうしないと成り立たないというのも一つの現実。ま、それで成り立つから広がっているということもあるかもですが。 
土屋・・・なるほど。僕が思ったのは、偶然だとは思うんですけど、その番組で紹介される2家族がどちらも国際結婚で、既存の日本の良い教育とは違うことをさせたいという意識をお持ちなのではないかということです。要は、「移住+子育て」という観点で、田舎に何かポテンシャルがあるのかなとか思ったりもしたんですけど、市川さんたちは鹿児島市でされてるわけですよね。 
市川・・・私たちはずっと、都会(鹿児島市)にこだわっています。ターゲットは、町の子とか町の家族です。その理由は、人口の多い街の人のライフスタイルや価値観が変わったときに、社会全体の変化の振れ幅や地球環境への影響がより大きくなると考えているからです。森の子どもたちの生活拠点はほぼ町で、一般的な消費生活、大量消費生活を送っているけれど、その子たちが週4~5日、朝から夕方まで森の中で過ごし、都会的な生活と森の生活を行ったり来たりしたりしてると、子供たちはやっぱり感覚的に「何かおかしいじゃん」、「私たちの今の暮らしって森のルールとちょっと違うよね」という、ギャップに気がつくんですね。 現に、家に帰ればいくらでも好きなお菓子を食べられると思うんだけど、森でおやつといえば、例えば、野いちごなんですね。それも、全員がお腹満たすほどの量が毎日取れないし、人間だけで全部とりきっちゃいけないんです。他の野生動物のえさだったり、子孫を残すための種子だったりするのだからね。以前、こんなことがありました。野いちごの群生を見つけた大きい子が小さい子を連れて自慢げに取りに行ってみたら、なんと実は1個しかなくて、つぶつぶを全部バラバラにして、1粒1粒あげるみたいなこともありました。でもそれを、彼らは美味しいって言ったり、ありがとうって言うんです。豊かさとか幸福とかっていうことを言語化することは、彼らには到底難しいけれど、体感しちゃんと本質を理解しているんですよね。だから、ケーキが山ほどあれば幸せか、いやそうじゃないなっていうことがしっかりと染みついていきます。何を大事にしなきゃいけないかとか、どちらを選択していかなきゃいけないかっていうことも、未来や全体という視座で、幼いなりにも考えてみる、という素地が育っていく。大人が森に調整池を作ろうとしてるという話についても、その理由や根拠を深く知りたがるし、市長に手紙を書いた小学生もいます。言われてするのではなく、本人たちが何かを感じて、アクションを起こす。結果がどうであれ、そういうマインドが育つということが、環境教育でも一番目標にしているところですから。 


不自由な環境でリスクを背負いながら子どもに体験させることが大事だよね



土屋・・・それは本当に素晴らしいですね。 
市川・・・自分が考えて行動することで何かが動いたとか、結果が出たっていう経験って、それは絶対にその子の自己肯定感につながっていくんですよね。そのプロセスってたしかにいろんな環境でできるんだけども、やっぱり手入れの行き届いた吉野公園ではなかなかできない、森だからできるということなんです。なぜなら、森のような不自由で不便で予期せぬことが起きるということが、要素として必須だからです。森は、突然木が倒れてきたりするし、常に脅威を感じるシチュエーションだからこそ、仲間と手を携えるし、感覚が鋭くなる。 
土屋・・・のぐちさんのほうが詳しいとは思いますけれど、公園で遊んでいて、子供がケガしたことにこれは行政の責任だと本当に言ってしまう、困った大人が増えていて、そうなると行政としては対応しないといけない現実がある。僕たちが小学校に通っていたころはアスレチックがあり、地面に埋め込まれた高い丸太をぴょんぴょん飛ぶんですけど、当然それはケガの元で、そのことを前提に遊んでいましたよね。 
のぐち・・・何かあったときに周囲に頼れない人はすぐに行政に訴えるから、行政も対応せざるを得なくなってなんでも保障する社会になってきましたよね。 
市川・・・不自由な環境でリスクを背負いながら子どもに体験させることが大事だよねと、保護者が共感してくれて、許容してくれて、今があります。ちなみに、一般的な園によくある人工遊具は入れていません。森に不法投棄されているタイヤなどを見つけてプンプンに怒ったりしながら、子供たちはそれを逆手にとって、ブランコにしちゃったりしてます。自分たちで木に登っていって、拙いロープワークでタイヤを結んで、乗ってみたら外れて落っこちたりもします。でも、そういうエラーを繰り返しながら、こうしたら頑丈になるとか、こう使うと危ないとか、自分たちで作ったから壊れたとしても直せる、やり直せる、何度でも体験できトライできるんです。当然、それは自信がつきますよね。こういうプロセスや体験の場を一切合切、安全、綺麗さ、完璧という耳障りの良い言葉で端折っちゃうと、子供が学び試せる間合いというか、余地もなくなってきてしまいます。「森のようちえん」を15年やっているけど、手を洗いなさいと言うことは1回もないです。自分で汚いと思ったら洗えばいいし、ばい菌いっぱいの手で食べてお腹壊すことがあれば、次は洗おうかと考える。ご飯の前だから手を洗う、とか、台風だから外遊び禁止とか、そういう考えなしのマニュアルに陥ると、あらゆることが「みんなしてるから」って流れで思考停止にもなる。コロナ禍のアルコール消毒もしかり。子ども達の手の常在菌が駄目になっちゃっているけど、ほんとこの先こういうことが暗黙のうちに強制されたり、考えなしでものごとが動いていく流れは、気がかりです。
のぐち・・・ホームレスってちゃんと元気ですよね。彼らは風邪もひきません。 
土屋・・・ホームレス肯定ということで切り取って載せますよ。(笑)大丈夫ですか?(笑)
一同:(笑) 
土屋・・・ちょっと難しい質問になるかもしれませんが、僕の商売で言えば、うどんの味でお客さんを掴んでいるように、市川さんが保護者の気持ちを掴んでいるということは、外部から何を言われようとご自身たちの活動の自信に繋がっていると思います。また、この本を読んでいてもよく出てくることは、「森のようちえん」で育った子どもたちが、勉強とかではなく、やる気とか、やり遂げる力といった非認知能力(GRIT(グリット))を育むことができると。でも、これはエビデンスを出しづらいと思います。僕は、そもそも人間の評価を数字などのエビデンスで示すこと自体おかしいとは思っていますけれど、これらを求められる社会になっている状況を踏まえた時に、「森のようちえん」という環境の意味や、子どもたちの成長を表すときに一番合った言葉はありますか? 
市川・・・勉強がどのくらいできるとか、偏差値がどれくらい違うのか、といったことと同様な評価軸では当然表せないです。でも、確実に言えることは、森の子どもたちの「自分で選んだ」とか「決めた」ということが、その後の満足感とか幸福感とか充実感か自信に直結している、ということです。森の卒業生には、偏差値の高い高校に入った子たちもいれば、あえて高校に行かないという選択をした子もいます。そのどちらも、彼らが主体的に選んでいます。自分の人生を選択し、主体的に生きている感覚以外に、その子の人生の評価って何があるのかと思います。幸せは物差しなんかではかるものではなく、自分がそう感じること。幸福度の基準などなく、それは自分の中で納得するもの。森では多様性を認め、主体性を重んじ、足るを知るといった体験を日々積み重ねていくためか、そのような感覚や価値観が育まれやすいと思います。つまり、子ども達の幸福度が高い。
土屋・・・本当にそうだと思います。 

「今日も私たち、幸せだね」



市川・・・それこそ昨日、『かごしま環境未来館』で講演会があって、そのような話になったのですが、毎日、3,4歳児が幼稚園の帰り道に、「今日も私たち、幸せだね」みたいな会話をしながら帰り道をいったんだけど、そんなようちえんって、たぶん他にないと思います(笑)。 
土屋・・・すごい、それはほんとうにすごい。(笑)ちょっと新興宗教感が出てきた感じもしますけど。(笑) 
市川・・・自分が幸せだと思うことが森での毎日に起因しているということに、町との暮らしの対比があるから気づくのでしょうね。「森って最高だね」という言葉は、表面的でなく、心からの、彼らの決めゼリフなんです(笑)。でも、そんなことを実感している子どもたちは、今日本に一体どのくらいいるのだろうか。感じて言葉にできるということは、さらにものすごいことなんだけれど、日本の子どもたちの幸福度がどのぐらいなのか、ということです。仮に親が「一流大学に合格させ、一流企業に就職させたい」という考え方を持っていても、子供自身が「お母さん、僕は十分毎日楽しいよ」とか「家族がいてくれて、幸せだよ」と言うことで、だんだん親のほうも考え方がかわってくることがあります。もちろん、そこに行き着くまでには、親子間での長い時間や葛藤や混乱があったりもします。そんなところにも、私たちが関わらせていただくことも多々あります。そこも森のようちえんの醍醐味のような気もします。

メジャーになることなんて一切ねらっていません。



土屋・・・この本の中にも、かなり原理主義的にやっているようちえんが一つ出てくるのですが、市川さんの話を聞いていたら、そこよりもかなりとんがっていますね。けど、それがあるから15年やってこれたのかなと思ったりもしました。 



バスの置き去り事故は、私たちにとっても当然他人事ではなかった

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