見出し画像

僕たちの信じるもの。彼らの信じるもの。 カナルタ 螺旋状の夢

 インスタのストーリーを見ていたら文化人類学者の作った映画の広告が流れてきた。大学時代、文化人類学を齧った、いや、舐めた僕は興味をそそられ足を運ぶことにした。下高井戸にある映画館に行ってきた。小さな映画館であまり見ない映画を上映していた。僕はそこで「カナルタ 螺旋状の夢」を見てきた。
 この映画は映画作家であり、文化人類学者である太田光海監督が1年間、アマゾンのシュアール族の集落でフィールドワークを行って作った作品だ。とても難解な作品だったが、小さな頭と目で頑張って読み取ろうとしたので、咀嚼したものをここに書き出そうと思う。


 アマゾンの原住民たちは周りの環境が変化してゆく中で生きている。周りの環境の変化、つまり先進国の言う「近代化」だ。原住民はTシャツを着るしスマホを使うし学校にも通う。しかし、それで文化が変わるわけではない。彼らは自らに受け継がれてきた文化を生きていた。
 インフォーマントであるツァマラインは森で薬草を見つけて処方していた。それは彼らの文化の中で経験的に培われた「医療」であった。彼の息子は学校へ通う。医療系の学校だ。卒業式の後彼はこのようなことを述べる。「君たちの信じている科学は嘘をつく。科学は装うことができる。しかし我々が信じている文化は装うことができない。それは我々の文化の中で立証されてきたものだからだ。」
 またツァマラインはこう述べる。「昔はよかった。獲物がたくさんいて、肉が食べられた。お金なんて使って市場で買わなくてもよかった。」
彼らが何を信じるか。それはどれだけ科学が進歩しようと。資本主義が世界を支配しようとも変えることはできない。
 ツァマラインは放牧を否定していた。あれをするには森を切らなければならない。私が森を切ることはない。それは私自身を切ることを意味するからだ。先祖が代々守ってきた森を守らなければならない。それは彼らの「正しさ」であるようだった。

 それから数日後、僕の家のポストにチラシが入っていた。コロナワクチンの危険性を訴えるものだった。コロナウイルスは政治家やその他の権力者によって仕組まれたものであり、ワクチンは危険だという内容のものだった。
 彼らは科学を信じようとはせず、彼らの理論を信じる。彼らとツァマラインとの違いは何だろうかと考えてしまった。ツァマラインは善しとされ、後者は悪とされる世の中。僕は世間に迷惑をかけているかの違いではないかと思った。だとしたらツァマラインが世間に迷惑をかけることがあった際、彼らの文化は否定されるのだろうか。自分の文化を尊重するとはどういうことだろう。

 二郎を食べに行こうと思う。今や二郎も一つの文化だ。この文化を守るためにはどうやって尊重していくべきだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?