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カルトを隔離する必要性

はじめに

日本でカルト教団と言えば、真っ先に思い浮かぶのは、多くの人は創価学会だと思います。

統一教会も問題を起こしていますし、オウム真理教もありますし、その他の団体もあります。

特に統一教会は解散命令請求が文科省より裁判所に出されている為、この問題は避けては通れない問題になります。

カルトの問題点

カルトと言っても、例えば、エホバの証人も最近ではカルトではないかと言われ始めているようですが、確かにカルトではありますが、彼らは外部に対して直接的な迷惑行為をする事はありません。

輸血問題等で病院側が対応に苦慮する等はありましたが、あるとしてもその程度です。

では創価学会はどうでしょうか。

流石に最近は、しつこい勧誘は減っていると言われています。

しかし、勧誘を断った人に嫌がらせを働く問題については、寧ろ、昔よりも増えているというのが体感です。

原因はわかっています。

追い詰められているからです。

創価学会のボリュームゾーンとされるのは、大体、1970年頃までに入信した人達です。

ボリュームゾーンの最下限の年齢でも50代中盤です。

非常に高齢化の進んでいる団体で、しかも、過去に起こしてきた問題の数々、社会との軋轢、また、安倍元総理殺害事件でカルトに対する国民の警戒が再燃した事による忌避感情などから、新たに入信する人など殆どいない酷い状態に陥っているとも言われています。

実質、会員世帯に新たに生まれた子供が入信しているだけでしょう。

だから、学会が入信させられると目を付けた個人や世帯から勧誘自体を拒まれたり、聖教新聞の購読を断られると、見せしめとして、並びに学会員らに恐怖を植え付ける目的で、組織的な嫌がらせを働いて追い込み、勧誘の障害となる邪魔者を市外に転居させようとしているものと推測されます。

問題は、こんな事をされたらどうなるのか、という事です。

地域住民の学会員達が徒党を組み、組織的に連携して、行動を監視してくる。

ターゲットとその家族の個人情報を、例えば、自宅で会話していた内容を盗み聞きしたり、周囲の人達と話していた内容を拾い集めて、学会員間で共有し、嫌がらせに利用する。

騒音攻撃から始まって、執拗な嫌がらせを働き、ガスライティングと呼ばれるような行為も嫌がらせとして行い、事実無根の中傷を、学会員である事を隠して地域社会や職場でばら撒く。

そうして地域社会や職場で孤立するよう仕向け、会社を退職させようとしたり、市外や県外に無理矢理引っ越させようとする。

中傷が原因でそれを信じた地域住民から嫌がらせを受けたり、鬱やノイローゼになったり、酷いケースでは自殺に追い込まれています。

特に創価学会の場合は、警察官の10%~20%程度が学会員だと言われ(ちなみにその自治体における公明党の得票率とその地域り警察官の学会員の割合は近い数字になるとも言われています)、警察署などは学会員だらけ、幹部は創価学会に喧嘩を売りたくない、トラブルになりたくないと考えている人達ばかりなので、ひとたび陰湿な嫌がらせの被害に遭ってしまえば、警察は全く役に立ちません。

酷いケースになると警察が創価学会の嫌がらせに加担する事さえあります。

つまり、普通の住民と学会員とを同じ地域で居住させると、トラブルの元になるという事です。

地域住民の生活が脅かさせる事は言うまでもない事です。

テロやクーデターを企てるカルト

オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こした理由はご存知でしょうか。

ウィキペディアにある程度の事が書かれています。

迫る強制捜査
1995年(平成7年)1月1日、読売新聞朝刊が「上九一色村でのサリン残留物検出」をスクープ[9][10]。読売のスクープを受けオウム真理教はサリンを処分し第7サティアンに建設中だったサリンプラントは神殿に偽装した。しかし中川智正がサリンの中間物質メチルホスホン酸ジフロライドCH3P(O)F2(裁判での通称「ジフロ」、一般的には「DF」)を密かに保管しており(諸説あり、後述)[6]、これが地下鉄サリン事件に使用されることとなったとされる。

麻原は1995年1月17日の阪神・淡路大震災により警察の強制捜査はいったん遠のいたと考えていたが、同年2月末の公証人役場事務長逮捕監禁致死事件でのオウム真理教の関与が疑われ、麻原ら教団幹部は強制捜査が切迫していると危機感を抱いた[注 6]。教団内部では、1994年11月ごろから東京の現職警官信者からの情報として強制捜査の噂が流れていた[11]。警視庁公安部内のオウム信者の情報では、薬品の購入ルートが調査されていることが麻原に報告されていた[12]。

地下鉄サリン事件 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

補足情報を出すと、オウム真理教は教団内部に中央省庁の名を冠した組織を配置し、国家としての体制を整えており、同時に外国から武器や兵器を購入し、武力革命を起こしてオウム真理教を国教とする宗教国家を建設しようとしていた事が判明しています。

その状況で過去に起こした幾つかの事件に関して警察の捜査の手が伸びていたので、捜査を攪乱させる目的で起こしたのが地下鉄サリン事件であった、とされています。

また、テロ事件の混乱に乗じて、あわよくば政府を転覆させて権力を握るつもりだったのではないか、とも言われています。

追い詰められてテロを起こす、クーデターを企てる、同じ思考を持っているカルトがあります。

創価学会です。

創価学会も1971年、青年部最高幹部達が謀議し、クーデター計画について話し合ったことが判明しています。

当時は言論出版妨害事件で創価学会が激しい非難を浴びており、学会の存続に危機感を抱いていた青年部の最高幹部らが、精神的に追い詰められて、クーデターを起こす事で権力を握るべきだと考えたようです。

創価学会もやはり、昔は国立戒壇(宗門であった日蓮正宗[≒創価学会]を国教とする仏教国家を建国する事)を目指しており、公明党自体がその事を目的として結党された経緯もあった為、表向きは別として、クーデターや革命を起こしてでもそれを成就しようと考えていました。

創価学会には軍事クーデターである二・二六事件や血盟団のような暗殺テロの元凶となった過激な日蓮主義を信奉する幹部達がいたようです。

隔離監視の必要性

カルトの信者達を他の住民達と同じ地域で居住させると、嫌がらせ被害に遭う危険性があるという生活上の脅威も問題ですが、それ以上に問題なのは、やはり、カルト教団は追い詰められるとテロや武装闘争に走る危険性があるという点です。

問題を起こして多くの人々を傷つけ、生命や財産、人生を奪い、その結果として解散命令を出されて宗教法人格を喪失しているのですから、その事で追い詰められたと感じてテロや革命を計画し、実行に移して更なる犠牲者を出すなどというのは身勝手極まりない話です。

ですが、そういった常識が通用しないのがカルトです。

例えば解散命令が出される可能性が高いともされる統一教会は約60万人とされています(信仰の自由に関する国際報告書(2022年版)-日本に関する部分 - 在日米国大使館と領事館より)。

しかも国際勝共連合と呼ばれる武装した軍事部門まで持っています。

解散させられた統一教会が、オウム真理教や創価学会のように、テロや武装闘争(武力革命)を目指さないという保証はありません。

そうである以上、徹底した監視が必要になるのです。

具体的な検討に入るべきだ

信者と言っても、全員が危険だ、という事ではありません。

もっとも、カルトの信者達はマインドコントロールされていますので、大抵、言動が異質、異常で、彼らが本音で話している時には、まずまともな会話が成立しません。

危険というのは、具体的には、マインドコントールが非常に強く効いていて、教団の為だったら命を捨てられるとか、人を傷つけてもいいとか、邪魔になる団体や組織は潰してしまえばいいとか、そのような好戦性、強い攻撃性があり、かつ、実際にそれを実行する行動力を持つか否かです。

それを有さないのであれば、マインドコントロールされていたとしても、少なくとも、幹部に指示されてテロを起こしたり、指示が出た事で武装闘争に加担する等の行動は取らない為、最高レベルの警戒は必要ないでしょう。

しかし、実行する意思と行動力を有する信者らに関しては、指示を出すリスクを持った幹部らと共に、最高レベルの警戒が必要になります。

信者全員を隔離するのが難しいという事であれば、テロ対策、内乱対策として、上述のような信者と幹部達を収容する隔離施設を設け、収容する形を取る必要が出てきます。

無論、カルトの信者は、自衛隊や警察、行政機関、インフラ産業をはじめとするテロの標的になり易い産業、武装闘争や革命を起こす際に鍵となる産業に従業員として勤務しているケースもあるわけですから、そのような場所での勤務を禁ずる必要も出てきます。

強制免職、強制退職もやむなしだと考えます。

今の日本でそれが議論されているかと言えば、全くないですよね。

この種の議論になると、隔離地域を設けて信者達を強制移住する事は憲法違反だ、人権侵害だという声が挙がりますが、現実的な問題として、テロや武装闘争を始める危険性がある事を承知で、それでも何の対策も取らずに野放しにしておく事がどれだけ危険で無責任な事なのか、考えた事があるのだろうかと思います。

現実に日本は地下鉄サリン事件を経験し、事件から時間が経ち、実行犯らが何故事件を起こしたのか、その経緯について語る事によって、普通の人でもマインドコントロールされたら狂ってしまう事、善悪の判断がつかなくなって、平気で大勢の人間を傷つけてしまうのだという恐ろしい真実を突きつけられているのです。

隔離を実行しないという事は、数百人、数千人、数万人、あるいはそれ以上の人が命を落としたり、怪我をするような、痛ましい大惨事の発生リスクを防止しないという事なのです。

信教の自由を持ち出す人もいますが、命の方が大事であり、重い事は言うに及ばずです。

政府も、国会も、責任を持って、具体的な検討に入るべきです。

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