見出し画像

激震ってほどじゃないと思うが、創価学会で小さな小さな対立があったそうな

週刊文春にこんな記事が出た。

ただし有料。

これ、簡単に言っちまうと、創価学会の元副教学部長の須田晴夫って人が、学会の教学は間違ってると指摘したという、ただそれだけの話。

須田晴夫のホームページ 宮田論文への疑問

須田晴夫のホームページ 『創価学会教学要綱』に関する原田会長宛て書簡

『宮田論文への疑問』はWORDのdocxファイルのダウンロードリンクが張られていて、[『創価学会教学要綱』に関する原田会長宛て書簡]の方はPDFファイルのダウンロードリンクが張られている。

『宮田論文への疑問』の目次はこんな感じ。

(1)「本門の本尊」があれば日蓮宗各派の信仰にも功徳はあるか
(2)「功徳と罰」を主張することは誤りか
(3)近代仏教学との関連
(4)日蓮本仏論
    ①日蓮本仏論はカルトの理由となるか
    ②日蓮自身による日蓮本仏論
    ③日蓮が末法の教主(本仏)である所以
    ④日蓮が釈迦仏を宣揚した理由
    ⑤曼荼羅本尊の相貌に表れる日蓮の真意
    ⑥天台大師が示す教主交代の思想
    ⑦仏教の東漸と西還――仏教交代の原理
    ⑧上行への付嘱の意味――教主交代の思想
    ⑨真偽未決の御書について
    ⑩日興門流による日蓮本仏論の継承
(5)釈迦仏像の礼拝を容認すべきか
(6)学説が確かな根拠になりうるか
(7)自分の判断が一切の基準か

[『創価学会教学要綱』に関する原田会長宛て書簡]の重要部分を抜粋するとこんな感じ。

なお俺は日蓮宗も日蓮正宗も全然知らんけど、言いたい事は読むと理解できるので、別に教学の知識がなくとも何となくわかるよ。

創価学会が元々は日蓮正宗という宗派の法華講(信徒団体。日蓮正宗では信者達が法華講と呼ばれる信徒団体を作る点に特徴があり、法華講は宗門である日蓮正宗と僧侶らに従うという関係になる)で、日蓮正宗は教義上の食い違いから日蓮宗を離脱したという点を理解していればOKです。

あと身延っていうのは日蓮宗の総本山久遠寺があり、日蓮宗の事を指してる。

それから下記の奴読んでもチンプンカンプンの人の為に、俺が読んで「こういう事だろうな」と認識した意訳を書きますので、読んで意味不明だったとしても安心して下さい(笑)。

 『教学要綱』を作成した中心は創価大学名誉教授の宮田・菅野両氏であると聞いておりますが、両氏は研究者としての立場から、日蓮学アカデミズムの主流である身延派日蓮宗から批判されることを恐れて、ひたすら身延派に忖度している態度が顕著です。そのために『教学要綱』全体が身延派の教義に同化していると判断されます。

 例えば『教学要綱』では日蓮大聖人について、最後まで「上行菩薩としての役割を果たす立場である」(同書四三頁)として「日蓮=上行菩薩」との認識を貫いていますが、大聖人を釈迦仏から末法弘通の役割を託された「釈迦仏の使い」であるとする認識は身延派の教義そのものです。これまで創価学会は、大聖人が上行菩薩であるというのはあくまでも外用の姿であり、大聖人の内証は久遠元初自受用報身如来であるとしてきましたが(二〇一五年創価学会教学部編『教学入門』一七一頁)、『教学要綱』は「久遠元初自受用身」の用語を一切用いず、従来の立場からすれば専ら外用の位置づけにとどまっております。

(中略)

 また『教学要綱』は「一大秘法」と「法宝」についても従来の曼荼羅本尊から南無妙法蓮華経の題目に改めておりますが、拙著で詳しく述べました通り、これもまた身延派の教義そのものです。 このように『教学要綱』では身延派と同化している内容が余りにも目立ちます。

 『教学要綱』が「本因妙抄」「百六箇抄」「御義口伝」の名前すら出していないことも、これらを偽書としている身延派から突っ込まれることを恐れる『教学要綱』執筆者の在り様を示していると思われます。

 日寛上人の教示に対しても『教学要綱』は多くの点で違背しており、「本因妙抄」などの相伝書を一切無視していることと合わせて、『教学要綱』が日興門流から離脱する志向性を持っていることは誰の目から見ても明らかです。

 日蓮正宗から離れて三十年以上経過した今日、『教学要綱』が日蓮正宗を否定して創価学会独自の教義を形成しようとする意図は理解できますが、日蓮正宗を拒絶するあまり日興門流の根本教義まで日蓮正宗と一緒くたに否定するのは誤りであると思われます。なぜならば、創価学会は創立以来、日蓮・日興という師弟不二の血脈に日蓮仏法の正統性があるということを大前提にして今日まで存在してきたからです。

 形式的には今でも日興門流の教義が日蓮正宗の教義になっておりますが、日蓮正宗が邪教化したからといって日興門流の教義自体までが初めから間違いであるということにはなりません。日興門流そのものが邪義であったというのであれば、創価学会そのものが当初から間違いだったということになるからです。

 拙著でも述べましたように、日蓮正宗は創価学会の破門処分を強行したことによって日蓮大聖人と日興上人に違背し、日興門流としての正統性を喪失したのであり、日蓮正宗と日興門流の教義は立て分けて考えなければならないと思います。日蓮正宗が邪教となったとしても、日興門流の教義の正しさは揺らぐものではありません。日興上人が後世に正しく伝えられた日蓮仏法は日蓮正宗などという一宗派の占有物ではなく、人類全体のために遺されたものであるからです。

 創価学会は日蓮正宗などに囚われず日蓮大聖人と日興上人の御教示通りに日蓮仏法を実践してきたが故に、その信心に偉大な功徳が現出したと確信しております。しかしながら今後、創価学会が日興門流の教義を捨てて身延派などと同調する事態が生じたならば、これまでの功徳と成仏の道を閉ざすことになりかねないと憂慮せざるを得ません。

 『教学要綱』は、日蓮大聖人について言葉だけ「末法の御本仏」と称しながら、あくまでも「釈迦仏の使い」と位置づけ、「一大秘法」「法宝」の内容を身延派と同一にし、「僧宝」から日興上人を排除しました。これほど重大な教義の改変を行いながら、師範会議や最高指導会議など、会内で十分な議論がなされた形跡が見られません。創価学会の根本教義を変える重要問題を一部の研究者ら一握りのメンバーによる議論だけで決定してよいのでしょうか。

 日蓮正宗が邪教と化した今日、正しい日蓮仏法は創価学会にしかありません。しかし、その創価学会が『教学要綱』の路線を突き進んで日興門流から離れ、身延派と同化していったならば、それこそ仏法消滅となってしまいます。本当にそれでよいのでしょうか。それとも、相伝書や「御義口伝」などを一切無視していても『教学要綱』は身延派と同化しておらず問題ないと確信しておられるのでしょうか。

抜粋というか、大部分の転載になってしまったような気が(笑)。

結構深い話ですが、正直、信徒以外には全く関係のない話ですね。

で、ここからが意訳です。

べらんめえ調で書こうかと思ったのですが、滑り倒しそうなので普通の文体で書きます。

太字にしておきます。

今の創価学会の教学は、日蓮宗の教学そのものだ。
創価学会は日蓮正宗の法華講として始まったので、当然、教義・教学も日蓮正宗のものを継承してきた。
破門から30年以上経過したという事で、創価学会の独自色を出したい事は理解する。
しかし、日蓮正宗自体が、教義・教学上の対立から、日蓮宗を離脱して成立した日興門流の教義に基づく宗派である。
日蓮正宗は、創価学会を破門した事で邪教化した。
だが、日興門流が邪教になったという事ではない。
創価学会は日興門流の教義に信仰を置く仏教団体であり、日蓮宗の教学・教義に合わせて日興門流を否定するのであれば、それは創価学会の存在そのものを最初から「間違っていた」と否定する事に他ならない。
同時にその事は今まで創価学会の教義・教学を信じ、信心を怠らず、功徳を積んできた創価学会員らの信仰の成果全てを否定する事に繋がる。
断じて許される事ではない。
日蓮正宗が邪教化した今、日興門流を正統に継承する真の宗派は、創価学会に他ならない。
教義・教学を日蓮宗と同じくし、日興門流を離脱するというのであれば、そのような重要な信仰の肝(核)に該当する事は、一部の研究者ら一握りのメンバーによる議論だけで決定すべき事は許されない。

多分これで意味が解るんじゃないかなと。

細かいところ間違ってるかもしれんが許して(笑)。

はっきり言って相当ヤバい事が書かれてる。

宗教団体で信仰の核心部分にある教義やら教学やらを変更したら大変な事になりますよね。しかもその内容がこれまで信じてきた教義を否定するような代物だったとしたら、信者からしたら、俺達は一体何を信じてきたんだ?という話になる。

ところがそれを学会が学会員達に無断で勝手にやり、しかもきちんと説明すらしていないというので、その事に創価学会の元副教学部長の須田晴夫って人が痛烈な突っ込み(批判)を入れたって流れだ。

だけどねえ……。

でもご存知の通りで、創価学会ってとうの昔に宗教団体とは言えないような単なるコニュニティー団体に変質してるって話もあるんだよね。

この件、相当とんでもない話で、まともに宗教団体として機能していたら、大量の脱会者が出て分裂騒ぎになってもおかしくないような内容なんだけど、どうせ何にも起きません(笑)。

厳密には、非常に信仰心が篤く、教義や教学を熱心にやっていて、この変更に怒って脱会する人が出る可能性は全くないわけじゃないが、そういう人は恐らくとっくの昔に脱会しているだろうから、ごく少数に留まるだろうってのが俺の見立て。

ただ、この問題を利用して、今まで虐げられていた人達、例えば池田派と呼ばれている様な学会員グループとか、池田派で脱会済の元学会員のグループだとかが、戦いを仕掛けて学会を分裂させて、我こそは池田創価学会の正当な継承者だ、みたいな事を唱えて、新団体を設立するといった大分裂劇が起きないという保証があるわけじゃない。

が、10年くらい創価学会を見てきているが、どうせそんなものは起きないだろうなあ、というのが個人的な感想。

日蓮宗や日蓮正宗系は、昔から、日蓮に倣って正統派論争を繰り返し、我こそは日蓮の正統な継承者だと豪語して、それで分裂する事を繰り返してきたわけだけど、今回の須田晴夫氏による批判も、それに倣った典型的なものだと言える。

流石に「創価学会こそが日興門流の正統な継承者だ」と、本当に継承している伝統仏教の一宗派である日蓮正宗をさしおいて豪語するような失礼な真似をするとは思いもしなかったが(笑)(そもそも創価学会が破門されたのは学会側に非があるわけで……)、反面、こういう主張を聞くと、「ああ、やっぱり創価学会も日蓮系なんだな」と、思わず笑みがこぼれてしまうのもまた事実。

ちなみに創価学会の立場だが、これは日蓮正宗が言っている通りで、あくまでも信徒団体に過ぎない法華講から始まった在家信徒の団体が、宗門を乗っ取ろうとして謀略を仕掛けた挙句に見抜かれて失敗し、その事を理由に破門された時点で、信徒団体としては破綻している。

大体、信徒団体が破門した宗門を邪教呼ばわりして、自分達こそが宗門が継承してきた信仰の正統な後継者だと豪語するなんて、聞いた事がない。

なお須田晴夫氏を信仰を持つ経験な仏教徒と位置付けて発言を分析した場合には、この発言が正当なものであり、正当な批判に当たるという事は言うに及ばず。

所詮、カルト教団だから、教義も教学もいい加減だし、信者である会員の気持ちや信仰心の事なんて全く考えてやしないんだから、平気でこういう『創価学会の根本教義を変える重要問題を一部の研究者ら一握りのメンバーによる議論だけで決定』(『創価学会教学要綱』に関する原田会長宛て書簡より再引用)しちゃうわけで、学会が単なるカルトだって事を物語る出来事の一つに過ぎない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?