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僕が障害者スポーツ指導員の資格を取得した理由

障害者スポーツ指導員(以下:指導員)って言われても、ピンと来ない人のほうが多いと思いますが、いかがですか?

僕は車いすマンになるまでに、その言葉すら耳にしたことがありませんでした

そんな僕が指導員の資格を取得したきっかけは、障害者スポーツであったと思います。

プロ車いすマンになるために入所した施設では、訓練の一環で様々なスポーツを行っていました。

僕は運動音痴とはいかないまでも、運動神経抜群でスポーツで好成績が残せるタイプ?ではありません。体を壊してからは、痩せが進行し、小脳あたりにあった脳腫瘍のせいなのか…以前にも増して思うような結果を残せなくなってしまいました。

例えば…(以降すべて、スポーツ訓練中で車いすに乗った状態)

テニスラケットを握り、ネットの向こう側から職員がバドミントンの羽根?をふわりと打ってきても、返すどころか頭上に羽根?が当たってからラケットを振る始末…

頭上に羽が激突!
頭上に羽根が激突!

卓球台でラリーをする時は、返すどころか額にボールが当たってからラケットを振る始末…

バスケットボールをしていて、仲間がボールをパスしてきても、うまく取れずに突き指してしまう始末…

そんな僕は、毎年大分県で開催される「大分国際車いすマラソン大会(以下:オオイタ)」へ施設から代表として出場する一人に任命され車いすマラソン(車いす陸上)を始めます。

※このように、今では威張ってフルマラソンを完走したんだと書いていますが、車いすマラソン(車いす陸上)を始めたきっかけは自分の意志ではなく、訓練の一環として施設側から勧められた(命令された?)からなのです…

そこからの珍道中は、また今後少しずつ紹介できたらと思っていますので今回は省略~

車いすマラソンの珍道中は豊富にあるよ!
車いすマラソンの珍道中は豊富にあるよ!

「オオイタ」でハーフマラソンを完走するんだ!という思いで必死に取り組んだ僕が、いつしかフルマラソンをも完走。そして、夢見ていた「僕が考える自立した生活(単身生活をしながら車を運転し仕事をすること)に挑戦できる今がある

僕はなんて恵まれているんだ…障害者スポーツに育ててもらった恩は、必ず何かの形で返したいな!」

そんなことを思っていた時、ある書類で「指導員の資格が取得できる講習会が近くで開催されること」を知ります。

(障害者スポーツ指導員?ってことは、マラソンとかの障害者スポーツをサポートする人材ということかな…あっ!そういえば…オオイタで、青い帽子を被って沿道や競技場内で安全確保や事務処理をしていた多くの人を見かけたけど、あれが指導員?)

(正解なのかはわからないけど、指導員の資格を取得して活動をしていくことで、車いすが必要になった人はもちろん、身体・知的・精神に何らかの障がいを抱える人のサポートができるのかもしれない…)

ということは、障害者スポーツに恩返しができるということにもつながるのかな!)

(よし…講習会を受講して資格を取得してみよう!)

そう思い立ったのが、指導員の資格を取得した理由であり、これから始まる多く出会いの幕開けでした。




いかがでしたか?

今回送った「僕からの手紙」が、何らかの形で、みなさんのプラスになれたら、とても光栄です!これからも、たくさん手紙を送りますので、どうか目を通してほしいです。

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伝えたいメッセージをみなさんへ~

僕が書くすべての記事(手紙)は、長い時間かけて継続して書いてきた記録や、そうでなかれば得られないであろう考え方や貴重な体験を基にしています。いただいたサポートは、その評価だと捉えさせていただき、それを糧に今後も多くの記事を書いていきますので、どうかよろしくお願いします。