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自己紹介します!



😊僕は車いすに乗って生活をしているオジサンです!

20歳ごろから車いすに乗って生活をしているオジサン「ヨワヨワマン辛島(からしま)」です。これからもよろしくお願いします!

あっ、ヨワヨワマンっていうのは〜

蚤の心臓でいつもオドオド・自分に自信がなく自己決定がなかなかできない・気にしすぎ、考えすぎで失敗を繰り返す…

なので…😌

そんな僕に追い打ちをかけるようにやってきた車いす生活は、最初は苦難の連続でした~😭

このままではいけないと焦った僕は、以下のような目標を掲げます。

単身生活をしながら車を運転して仕事ができるように頑張ろう!(僕の考える自立した生活がしたい)」

車いす生活であっても自立したい!
車いす生活であっても自立したい!

時は流れ、立派なオジサンになってしまいましたが、そんな目標であった全てを叶えた僕がいます。

ですから~車いすに乗ったら、その腕前はプロ級と言っても良いですよね?

というわけで…

「今の僕って、ヨワヨワマンでありながら、プロ車いすマンでもあるのかもな~」と思っています。

※車いすマンっていうのは、生活全般を車いすに乗って出来る能力がある人のことで、僕が勝手につけた名称です

そんな僕ですが、どうかこれからも見捨てないでくださいね!🙇

📘noteを始めようと思った理由と、書いてみたいこと

体を壊してから車いすマンになるまでの過程で…

  • 出会えた尊敬する人たちのこと

  • 体験したことや考えるようになったこと

  • これまで書きためてきた病気に関すること

それらを紹介することで、誰かの力になれたらいいなと思うようになったのが大きいです。

それが巡り巡って?障がいのある人への理解につながるきっかけになれたら感無量

今の僕が、自分が描いた目標に向かって元気で健康であり続けることが、支えてくれた人に対する一番の恩返しになるのかもしれませんが、今の僕が書ける全てを注いでみたいです!(多少の無理はしても無茶はしませんよ〜)

少しでもみなさんにプラスになれますように〜

※note開始は2023年12月です

👍僕の記事は、こんな人におすすめします!

僕からのアウトプットなので…

  • 障害者スポーツのことを知りたい!

  • 障害者スポーツ指導員のことを知りたい!

  • 障がいのある人が運転できる車の情報を得たい!

  • いろんな病気の知識を増やしたい!

  • 僕(一応プロ車いすマン)の生活を知りたい!

  • 僕が出会った良き出会いを知りたい!

そんな人には、プラスになることがあるかも?

🌸ページ内の紹介

2024年7月時点で130近い記事を書いていて、以下のマガジンに振り分けています。是非とも興味があるマガジンを覗いてみてくださいね!

①マガジン名称:車いす

車いすについて、車いすでの生活を紹介する記事を集めました!

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②マガジン名称:障害者スポーツ(パラスポーツ)

障がいのある人が行っているスポーツに関係ある記事を集めました。

僕が学んだ知識を元に記事を書いているため、情報が5〜10年昔です。障害者スポーツは日進月歩ですから、「あれっ何か違う?」と感じる情報があるかもしれませんので、その点はご了承ください…

現在は、名称が「障害者スポーツ」ではなく、「パラスポーツ」に変更されていますが、ここでは「障害者スポーツ」と表記していきます。

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③マガジン名称:障害者スポーツ指導員

僕が取得している障害者スポーツ指導員という資格に関係ある記事を集めました。

この資格は、障がいのある人が、安全に安心して体を動かすことを楽しめるよう知識や技術を有して、障害者スポーツの導入に携わることができるもので、現場での経験や講習会などを受講し知識を高めることで、「初級」「中級」「上級」と資格のレベルアップが可能です。(僕は一応、中級ですが体調を崩してからは活動していません…)

現場というのは、パラリンピックなどの競技スポーツ大会や地域のイベント・自分達が働く職場・障害者スポーツチームが練習する場所など。

そういうところで、ゲームの審判や補助員をしたり、障がいのある人と共に楽しく時間を過ごすことで経験を積んでいきます!

※現在は、名称が「障害者スポーツ指導員」ではなく「パラスポーツ指導員」に変更されていますが、ここでは「障害者スポーツ指導員」と表記していきます。

※体調が優れなくなってからは活動を自粛しているため、ここで紹介していることは活動していた当時の記憶を頼りに作成しています。そのため、日進月歩の障害者スポーツの今の情報と異なる点がある可能性があって、「あれっ何か違う?」と感じる情報があるかもしれませんので、その点はご了承ください…

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④マガジン名称:自家用車

障がいのある人が運転できる車の紹介や、運転が苦手な僕の珍道中を紹介する記事を集めました。

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⑤マガジン名称:エッセイ

これまでに経験した病気の経過や学んで得た知識・考えるようになったことを書いた記事を集めています。(それぞれ長文です)

※これまでに経験した病気というのは以下の通りです。(掲載予定含む)
①悪性脳腫瘍(あくせいのうしゅよう) 
②脳内嚢胞(のうないのうほう) 
③顔面神経麻痺 
④皮膚癌
⑤過敏性腸症候群(かびんせいちょうしょうこうぐん) 
⑥お尻のケガ 
⑦40肩 
⑧放射線障害(聴力低下、側湾、間接拘縮、排尿障害など)
⑨皮下膿瘍(ひかのうよう)

※これらは、ネット検索や辞書では得られない情報(僕がその時々で書き残してきた記録)が多いです。

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⑥マガジン名称:出会に感謝!

体を壊してから出会えた人との貴重な体験を書いた記事を集めました。そこから学んだ多くのことは今の僕に活かされています。

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⑦マガジン名称:こんな記事はどうですか?

他のマガジンには入れられそうにない、体を壊してから考えるようになったことや、体験したこと・行動に移したことなどを書いた記事を集めました。

😉僕が書く記事を読んでいただける、すべての人へ


これからも、たくさん記事を書いていきます。
それらが、何らかの形で、みなさんのプラスになったら…
スキを押してもらったっり、コメントを書いてくれると励みになります。

また、フォローも大歓迎です!

頑張って書きますよ~(マイペースですが)
頑張って書きますよ~(マイペースですが)

☕️病歴?

五体満足で高校2年生まで行けてたので、そこから2023年ごろまでの簡単な病歴をいかに書いてみます。少し長いですので、僕のことを今すぐに詳しく知りたいという方以外は、お時間があるときにでも目を通していただければうれしく思います。


①1995年  (平成7年) 18歳のとき

・高校3年のころです。時々なんですが、後頭部を時々トンカチで殴られているような激痛がするようになって、病院を受診して調べてもらったら、頭蓋内(脳)に腫瘍があることが判明して、開頭による腫瘍摘出手術を受けました。(腫瘍の種類は悪性度が高い髄芽腫:ずいがしゅ)

そのおかげで一命を取り留めることができましたが、左半身が麻痺し一時的に声を出すことができなくなってしまいます。状態が少し落ち着いてから、放射線治療と抗癌剤を体の中に入れる治療が始まります。(抗癌剤は、ACNUという薬だったと思います)

・放射線治療中に、「脱毛」「嘔吐」「食欲不振」の各症状が出てきます。おそらく、これらは放射線障害だと思います。

※2~3か月後に、治療が一段落して声も出るようになって左半身麻痺も改善して歩行ができる状態になったので退院。大学へ進学しました!


②1996年 (平成8年) 19歳のとき

・大学生活を初めて1か月も経過していないころ、段々と「聞こえづらさ・排尿障害・歩行障害」が出てきました。(感音難聴・神経因性膀脱・放射線障害?)そこで、大型連休中に帰省し病院を受診します。

検査の結果、血行障害?が判明。命の危険もあるらしいので、残念ながら大学は中退して治療に専念することに…

インターフェロンという薬を体内へ入れたり、高気圧酸素という日焼け装置みたいなBOXに入る治療を受けたり、大量化学療法という血液成分が低下する治療?のため無菌状態の部屋に閉じ込めらたおかげで再び一命を取り留めることができた僕は、翌年1月ごろに何とか退院にこぎつけることができます。ただし…これまでに書いた3つの症状は改善せずに残存していました。

・この頃から右側の顔面神経麻痺が出てきていました。(額を縦に半分にしたときの右側にシワが出なくなったり、右側の目元が時々ピクピクと動いたり…)

それが手術の影響なのか、術後に受けた治療が影響しているのか、僕にはいまだにわからない謎です…

※その後は、「確実・安全な歩行ができるようになるため」専門病院で訓練を積んだのですが、残念ながら車いすでの生活を勧められてしまいます。そこで、(かなリショックではありましたが)日標を修正し「車いす生活で社会参加するため(単身生活をしながら仕事をして車を運転する)」の訓練を専門施設で受けることを決心します。その一環で、自動車の運転免許取得に挑戦し、なんとか手だけで全ての運転ができる免許証を手に入れました!
3~4年という長い時間がかかりましたが、車いす生活で自立可能なレベルとなり施設を退所した僕は、障がいのある人が通うことができる専門学校へ入学しました。


③1997年 (平成9年) 20歳のころから


・主に下半身がタコみたいにクネクネ?したり、意図しない動きをするようになります。(拘縮:こうしゅく)


④2000年 (平成12年) 23歳のとき

・専門学校の夏季休暇中に帰省し定期検査を受けたところ、脳腫瘍が再発したことが判明したため急遽入院。患部に一極集中たくさんの放射線を照射できるガンマナイフという治療を受けました。 

えっと…厳密に言えば再発でなくて、播種(はしゅ)と言って、髄芽腫という種類の腫瘍が頭の中の水を泳いで別の場所で大きくなった状態です。

※残念ながら専門学校が1年制だったこともあり後に中退しましたが、翌年再受験し今度は最後まで通い卒業します。しかし、就職先は見つからず…福祉ホームという障がいのある人が単身生活できるよう訓練できる長屋のような住宅に入居します。


⑤2006年 (平成18年) 29歳のとき

・2000年とは別の場所へ髄芽腫の播種が見つかったため、自身2度目のガンマナイフ治療を受けました。

※このころ、福祉ホームから一般住宅に移り、なんとか就職することができた僕は、いよいよ体を壊してからの目標でもあった「僕の考える自立した生活(単身生活をしながら仕事をして車を運転する)」に向け本格的に挑戦を始めます。


⑥2017年 (平成29年) 40歳のとき


・後頭部に皮膚癌が見つかって摘出手術を受けました。(摘出した細胞は基底細胞癌という種類)


⑦2020年 (令和2年) 43歳のとき


・これまでは右顔面だけに神経麻痺症状が出ていたのですが、このころから左側にも出てきてしまいます。いわゆる両側顔面神経麻痺の状態で、その後も緩やかではありますが症状は悪化傾向…

・後頭部に自身2回目の皮膚癌が見つかって摘出手術を受けました。(摘出した細胞は基底細胞癌という種類)

・お尻(仙骨部)に褥瘡が見つかって1週間ほど治療を必要としました。


⑧2021年 (令和3年) 44歳のとき


・後頭部に自身3回目の皮膚癌が見つかかって摘出手術を受けました。(摘出した細胞は基底細胞癌という種類)

・お尻(仙骨部)に褥瘡が見つかって100日間ほど治療を必要としました。

・2006年ごろから定期検査(MRI検査)で映し出されていた「出来物」に対して、開放を目的とした開頭手術を受けました。その結果、出来物の正体は放射線壊死の可能性が高いみたいです。

えっと…放射線壊死(ほうしゃせんえし)というのは、以前そこに放射線を照射したことで正常な細胞がダメージを受けてしまっていて、段々と腫れ上がったり傷ができたりすることなんですが、僕の場合は出来物が映るようになった場所に以前ガンマナイフ治療を受けています。(2000年)
これも放射線障害の一つなのかな?


⑨2022年(令和4年) 45歳のとき


・顔面神経麻痺の症状は以前悪化傾向でしたが、このころから顔面痙攣だけはなぜか改善傾向(少なくとも悪化はしていない)

・お尻(仙骨部)に褥瘡が見つかって18日間ほど治療を必要としました。

・額の左側(左眉毛の上あたり)に出来た豆粒大の隆起した皮疹から、ドロドロした液体が出てきたため検査したところ、鼻みずが溜まる空洞から漏れて額の内側に溜まっていることが判明してしまいます。(長期服薬治療でなんとか軽快)

えっと…これは皮下膿瘍(皮下膿瘍)という状態で、21年に受けた手術の合併症です。


⑩2023年 (令和5年) 46歳のとき

額の中央(髪の毛の生え際あたり)に出来た米粒大の皮疹から、ドロドロした液体が出てきました。診察の結果、これも昨年同様で皮下膿瘍の状態が悪化している証拠だということで、服薬治療が始まりました。


以上になります。これ以上詳しいことが知りたい人はは、「エッセイ」というマガジンにいろいろ書いていますので覗いてみてくださいね!🌈


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ヨワヨワマン辛島
僕が書くすべての記事(手紙)は、長い時間かけて継続して書いてきた記録や、そうでなかれば得られないであろう考え方や貴重な体験を基にしています。いただいたサポートは、その評価だと捉えさせていただき、それを糧に今後も多くの記事を書いていきますので、どうかよろしくお願いします。

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