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先生…いや母親に電話をした!

以前、カヌーの恩師である先生のことを書きましたが、こんなこともありました。

それは、学生の頃に、初めて経験した開頭手術時(前日と当日)のことです。

入院してからの約3週間、検査づくしで病室にいない時間が大半だったのですが、先生は、僕が病室にいる時間を知っていたかのように、毎日多くの人を連れてお見舞いに来てくれました。

それも1人や2人ではなく、学生服やジャージ姿の仲間が、面会室が満席になる日もあったくらいです。

それは、当時僕が学生だったという年齢的な理由もあったのかもしれませんが、やっぱり先生がいろいろ手を回してくれたから可能になったことだと思っています。

僕はお見舞いに来てくれた全ての人に、毎回できる限り自分の症状や、受ける手術方法などをメモ書きして説明していたのですが、そんな僕を見て先生は「辛島、そんなことはせんでいいから少しは安静にしていろ!」と真顔で心配をしてくれました。

現役でカヌーを漕いでいた時は、先生のことを、どちらかと言うと怖くて近寄りがたいと思っていました。ところが、そんな親身になって接してくれる先生を見ていると、まさに、自分の母親のような暖かさを感じ…

この3週間で、考えが一変!

先生は、僕にとって大切な人だ!)

手術前日に、院内の理髪店でスキンヘッドになった僕は、病室へ戻る前に、今では死語になりつつある?テレホンカードを取り出して、テレホンカードが使える電話BOXへ向かいました。(それも少なくなりましたよね〜)

どうしても、先生に明日手術を受けることを報告するとともに、これまでのお礼とこれからの意気込みを伝えたかったから…

ところが、受話器の向こうにいる先生は泣いてばかりで話ができません。

仕方がなく、先生と満足に話すことができないまま受話器を置きました。

そして迎えた手術当日の早朝(多分5時台だったと思います)

やっぱり緊張をしていたのか、普段はそんな早くに起きたことなんてほとんどなかったのですが、もう目はギラギラして再び寝ることは難しそうです…

手術室へ行くにはまだ3時間程度あります。何をしようか一瞬悩みましたが、昨晩話ができなかった先生に、もう一度電話をかけることを思いつきました。

(昨日は十分に話ができなかったけど、なんとなく…今ならは大丈夫な気がする)

そんな僕の予想は的中します!

辛島、頑張れよ!
辛島、頑張れよ!

受話器の向こうの先生は泣いていなかったんです。

先生も、僕が手術直前の朝に再びかけてくると信じて待っていてくれたと…

そのことに胸を打たれた僕は、昨日の時点では伝えきれなかった「これまでのお礼とこれからの意気込み」を伝えます。

それを聞かれた先生は、元気な声で「辛島、頑張れよ!」と言ってくれたんです!

受話器を置く前に、僕は先生へ一つお願いをします。

「術後に面会に来られるのは、僕のOKサインが出てからにしてもらえませんか?」

お医者さんから、事前に手術のリスクを聞いていた僕は、術後の自分がどうなるのか不安で、先生とお会いする自信がありませんでした。ですから、そんなお願いをしたんだろうなと今思います。

(もしも、術後に厳しい状態になったら、先生にそんな姿は見せられない。もう一度先生に会うためには、どんな状態になろうとも、自分が納得できるところまで早く元気になる必要がある!

僕が、僕でなくなる可能性は十分あるのかもしれない…

でも、今の時点で、術後のことを気にしすぎるのはどうなんだろう?

受けてみなければわからない

きっと大丈夫だ。

僕にとって、最強の応援団長からエールをもらったんだから…

僕の意志がまだ残っていたのなら…

そこからどう動くかは僕次第だ!

意志あるところに道は開ける

地元で、一時からあげ屋さんを営んでいた先生

いかがでしたか?

今回送った「僕からの手紙」が、何らかの形で、みなさんのプラスになれたら、とても光栄です!これからも、たくさん手紙を送りますので、どうか目を通してほしいです。

また、スキを押してもらったっり、コメントを書いてくれたり、フォローをしてもらえたら…僕にとって励みになりますので、どうかよろしくお願いします。

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ヨワヨワマン辛島
僕が書くすべての記事(手紙)は、長い時間かけて継続して書いてきた記録や、そうでなかれば得られないであろう考え方や貴重な体験を基にしています。いただいたサポートは、その評価だと捉えさせていただき、それを糧に今後も多くの記事を書いていきますので、どうかよろしくお願いします。