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10.頑張る理由

俺はなぜ大好きなサッカーができているのか。

それは紛れもなく両親のおかげだ。
今までなに不自由なく生活してきた。好きなことを好きなだけやって生きてきた。

それは親が好きなことをさせてくれたからだ。

5歳の時にサッカーと出会った。

小学生の時には所属しているチームの他に、2つもサッカースクールに行かせてもらっていた。

毎週水曜日はJリーグのジュニアの選抜スクールに通っていた。夜遅くに終わると毎週車で迎えにきてくれた。

中学ではクラブチームに入った。
学校では勉強に励み、サッカーも頑張った。

中1の頃、1番下手くそだった俺は、たった1人試合に出させてもらえなかった。

俺以外のみんなが試合に出ている姿を見て、悔しくて恥ずかしくて、サッカーをやめたくなったこともあった。
でも、その悔しさをバネに練習した。

中3で、学校では成績上位になり、サッカーでもスタメンになった。偏差値の高い高校を目指し、受験勉強をした。でも、結局受けたのは偏差値45の高校。

サッカーの仲間が何人も行くからその高校に行きたいと親に言った。

そしたら最初は反対された。でも、結局俺が望んだ道を選ばせてくれて、そしてその道を全力で応援してくれた。

高校はそこそこの強豪校で、部員も250人ほどいた。
1年からトップチームに昇格し、2年からはチームの中心になった。

3年になると同時にキャプテンに抜擢され、両親も驚いていた。

キャプテンになったということは、全部員の模範にならなければならない。サッカー部のことを第一に考えて行動しなければならない。

そして、高校3年は大学受験が控えている。
毎朝早く起きて学校に向かい、授業を受けて夕方に練習。その後塾で勉強して家に着くのは23時。

母は毎朝早く起きて弁当を作ってくれた。夜遅く帰ってきても毎日ご飯を作ってくれた。洗濯もしてくれた。そのおかげで俺はサッカーも勉強も集中できた。

高校はキャプテンだったということもあって、色んな人が期待してくれた。応援してくれた。支えてくれた。だから頑張れた。

大学受験も第一志望に合格することができた。

大学は家から近かったから、実家から通った。

毎日当たり前のように母親が作ってくれるご飯を食べた。洗濯も高校の時と変わらず親にしてもらっていた。交通費、食費、必要なものがあれば買ってくれた。

常にサッカーに集中できる環境を与えてくれた。

セカンドチームで俺が出た試合を毎回チェックしてくれていた。俺の活躍を楽しみにしてくれていた。

そんな親に喜んでもらうために、関東リーグでプレーしたかったが、結局できなかった。

大学4年になり、進路を考える時期が来た。

もちろん大学サッカーで結果を残せていない俺は、一般企業に就職するのが普通だ。親もそれを望んでいると思った。

俺はプロを目指したい気持ちがあったが、そんな気持ちと葛藤しながら一般企業から内定をもらった。

その後、日本でJリーグのチームに練習参加したが、声はかからなかった。

そこである程度区切りをつけるべきなのかもしれないが、諦めるということができなかった。

俺は両親に海外に挑戦したいと言った。そしたら、何一つ反対せずに、頑張ってこいと言ってくれた。

内心、会社に勤めて欲しいと思っているのかもしれないが、まだ俺の夢を応援してくれた。背中を押してくれた。

人生でたまに親から言われることがある。

「お前の夢をずっと応援してるから。
お前の夢が俺たち家族の夢だから。」と。

その度に涙が溢れてくる。

親はいつも1番大切なことをわかっている。両親は偉大な存在だ。普段は照れ臭くて感謝の気持ちを伝えられないが、心の底から感謝している。

家族は1番大切な存在だ。

今まで迷惑ばっかかけてきた。だから今度は俺が両親に恩返しをする番だ。必ずプロになって、這い上がる。活躍している姿を両親に見せる。

自分で決めた道を信じて進む。自分の人生は自分で責任を取る。

俺には応援してくれる人がいる。
だから頑張れる。

#感謝

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