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長野駅前殺傷事件

1人お亡くなりになり、2人が怪我を負った殺傷事件の犯人が捕まったようです。
3人とは面識がないような報道です。痛ましい話です。
昔から通り魔事件はありましたが、どうして全く恨みがない人に殺意を持って行動出来るのかわかりません。その後に容疑者は殺意を否定しますが、人を刺すとか言う傷つける行為はかなりのエネルギーを要します。

後で思い出すと殺意はなかったは、感情として殺意が他の感情で人を傷つける行為まで至るエネルギーがあったと言うことです。
そこには、人を殺すと言う感情より勝るエネルギーがあるか、人を殺すことのエネルギーが著しく低いのではないかと考えます。

前者の場合は許せないとして、人を殺す行為を上回る何かがあるので殺意は無くても、殺意以外の何かを表明するでしょう。
後者の場合は、人を殺す行為のエネルギーが著しく低いなら殺意が無くとも、その行為に殺意がないから罪が下がるとはならないのではと考えます。

つまり、殺意がある無しが判断基準なら、その人の殺意の位置付けが何処にあるかも必要なのではないかと思います。

今回の事件は真相は良くわかりませんが、人を殺害し、さらに人を傷つける行為は許すことはできない。本人にしかわからない葛藤があるのかもしれない。
この種の事件を聞くたびに、胸が締め付けられる気がします。

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