袴田さんの再審無罪
袴田さんの再審無罪が地裁判決で下されました。社会的な項目は様々な意見を呼ぶのでここで書くのは良いのかということはあるかもしれませんが気になったので書いてみます。
死刑囚として世間の逆風にさらされ、無罪の主張も取り上げられずということに耐えてきた巌さん、ご家族に対してお疲れさまでしたとまずは伝えたいです。巌さんは長い拘束のあいだに精神的にも不安定になって会話もすることが困難であるとの報道もされています。
血痕のついたシャツ、ズボンの切れ端など証拠のねつ造が認められる、自白の強要をがあった、3点の実質ねつ造があるとされているとの判断で無罪に繋がったということです。
警察も検察も犯人の特定をしたあとはそのことを確かなものとするために全力を注いでいく性質があり、放火殺人事件であることで凶悪犯罪を防ぐというなかで、ものすごい暴走があったのでしょう。
今回、袴田さんに死刑が執行されていなかった、長命であったということ、家族や弁護団が粘り強く支えたことなどで冤罪にたいする取り組みがされてよかったのだと思います。
冤罪の怖さは警察の捜査、検察の判断が裁判所ですべてが正しいものとして動いていくことに最終的にはあると思います。
警察の捜査の途中で判断が揺らぐという事態は犯人逮捕を妨げるでしょうし、節目節目で振り返る場面が設けにくいでしょう。
検察も警察の捜査を否定から入ることは実質難しいのだと思います。
その上で裁判に入る前にやはり要所要所でやはりこれでいいのかと見直す方法が問われているのではないかと思います。理想論といわれるかもしれませんが、どれだけ理由をつけても人の人生を阻害することは避けるべきことだと思います。
また、今回のような証拠のねつ造が疑われることに対する歯止めはいるのでしょう。
他人ごとではないと思っています。思いかけないことで自分が事件の中心に据えられるかもしれません。
最後に今回の事件で、警察が機能していないとか、検察がとか、裁判所は何をやっているのだと言いたいわけではありません。真犯人はだれだということを言いたいわけでもありません。ただ、古い事件であっても冤罪が起こるなら、冤罪に対する手立ては修正していって欲しいと切に願っているということだけ伝えたいと思っています。
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