振り返ればヤツがいる。
この世の中が仮想現実だったらどうだろう?
人生ゲームという、いわばすごろくの進化版があったように
人生がゲームだったら、とたまにゲーム仕様にして状況を思い至ることがある。
ちなみに人生ゲームは世相をとても反映させていて、バブルならバブルの悲喜こもごもの喜びが泡と弾けるような、泡銭となるような、そんな天地への振り幅がデカいのもある。
また現代版の人生ゲームがやはりバージョンアップされて出されてるようだ。
さて、今の状態をそのゲームに落とし込むと、どのように反映されるだろう?
コロナの前をビフォア、後(最中)をアフターとすると、かなりシビアに色々反映されるものと思う。
“飲食店を開業しようとしたが、自粛、時短短縮営業を強いられ、-100万”
“給付金が降り、何とか資金調達ができ、お店を存続させる事ができる。+200万”
とか…。
まさに今最中にある状況でマジマジとそんなゲームをするなんて、自分を追い込むようなものかもしれないし、人によって状況は様々だ。
でも、
混迷を極めた状況だからこそ、
俯瞰で見る力が試される。
それは、もう10年経とうとする震災だってそう…。
コロナ禍に巻き込まれるより、渋滞に巻き込まれるより何より、パニックに巻き込まれるのが実際のところ一番危険だからだ。
蜘蛛の子散らしたように、じゃないけど、
状況を冷静に観察し、見れないまま、
ほぼ本能によって動く…というのは、
「蜘蛛の糸」で、
細い糸のカンダダの後を追う、亡者の群れのようなものである…
と私は思う。
湖面の上の仏さんは、仏の顔でその地獄絵図をみている。
そして、仏の意思でもなく、
糸の意図でもなく、
その欲求に突き動かされた群がった者たちによって、
もう二度とその世界への釣り糸は切れてしまった。
ウイルスはあって無いようなものだ。
ウイルスによって、そのあり方を、心を測られている…
この節目に、
世の中に蔓延ってる鬼、自分の心の鬼と向き合うのだ。
いつまで経ってもカビルンルンみたいに、ウイルスはそこにいる…