『タンブンのススメ』
タイは仏教の国で街中でも普通にマリーゴールド色の袈裟を来たお坊さんをけっこう見る。
こういう異国情緒というのかオリエンタルと表現したらいいのかわからないけどそういう情景がなんとなく好きだったりする。
シティ化した直線と直角の中に柔らかな曲線の円が存在する風景。
そんな感覚。
だからか宗教色の濃い国を旅するのは私にとってとても刺激的だったりする。
そもそも服装によって何の信教とか出身国とかある程度わかるのけっこうおもしろい気がしてたりもする。
そして何より宗教色が濃い国はなぜか色彩が豊かでたまらない。
その色彩の中には「空気感」という、ものすごく曖昧で自分の琴線に触れただけの、感情の色にできない透明度みたいなものがあって、それをどうにか言語化してみた結果、
「宗教の洗脳度」という、伝わればうれしい独特な言葉がポッとでてきた。
洗脳っていうとなんかカルトっぽくなるけど、信教の本質は生活への浸透度だと思っていて「日曜には教会に行く」「豚肉も牛肉も食べない」「服装がみんなほぼ同じ」みたいなことが例えとしてわかりやすいかも。
そこで冒頭のタイのお話。
タイは仏教国だから徳を積む(タンブン)という行為を国民もけっこうする。
托鉢中のお坊さんに喜捨するのはもちろんなんだけど、街中でも祠(ほこら)みたいなのに向かってお祈りしてる人もけっこう見る。
仏教グッズに埋め尽くされたタクシーにもけっこう出会う。
タンブンはたぶん例を挙げ出したらキリが無い程ある。
そのくらいタイは仏教という信心が生活に根付いてる国だと感じれる。
その数あるタンブンの中で私が大好きなタンブンがある。
タイに行くとほぼ毎日するタンブンがある。
それが「動物を逃がす」というタンブンだ。
逃がす動物の種類もたくさんあって、それら全てに別々の意味や願いが込められている。
その中でも私は鳥を逃がすタンブンがとにかく大好きで、サイアム(渋谷原宿みたいなとこ)近辺にお気に入りの放鳥スポットさえあったりする。
魚とか亀とかも何度か逃がしてみたけど、なんか味気ないというか面白みに欠ける。あとくさい。
でも鳥を放つのはかなり楽しい。
5羽くらいまとめて放つと心が踊る。
周りの子供たちがきゃっきゃと喜んでくれる。
「あ〜今日も鳥さんをお空に放ったし徳積んだな〜」と思ったらなぜか結構気分が良くなったりする。
これが私が鳥を放つタンブンが好きな理由。
自分自身が特段何かの宗教推しとかではないからその行為に対する意味とか願いは無いに等しい。
でも、鳥を購入して空に放つという謎の儀式の結果、なんだか気分が良くなる、ということは間違いないのだ。
このことに気付いたときに、なんだか宗教って奥深いかもなあなんて思ったり思ってなかったり。
まあとにかく、もし今度タイに旅行行くときあったら寺院周辺の露店とか市場とかで売ってるから、鳥をお空に放つタンブンやってみて欲しい。
徳を積むってとても大事。
今日はそんなお話。
タンブン屋さんの親父たちが早朝の公園で小鳥たちをワナで大量に捕獲してるのは内緒のお話。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?