【課金する①】 ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち。/穂村弘
「あらゆる言葉が無料なのが間違っている」と、同居人は一時間泣いたあとで言った。
もう辞めてしまえばいいと僕は思うのだけれど、同居人は職場で散々なことを言われているらしかった。そしてどうしようもないことに、職場の皆さんは総じて悪意がなく、これまで彼らが従ってきた「常識」に照らして、いつもの言葉を「普通」に使っているだけだった。彼らの「常識」や「普通」は、同居人を傷つけた。この世界には、その場にいない誰かを笑いながら罵倒することで親密さを共有したり、弱者は消費されてこそ価値が付与されると信じていたり、恋愛や性行為は人類共通の娯楽だと思い込んで生きている人々がいる。割と、かなりいる。そして声が大きい。
「チビもオカマもホモもデブもブスも有料になればいい。使えば使うほど金を取られて貧乏になればいい、あいつら」同居人はやっと水を飲んだ。僕は言った、
「それはいい考えだと思うけれど、そうなると多分、罵倒語以外の言葉も有料になると思う。回収した金は税金の扱いだろうから、対象はどんどん増えるだろうな」
「金持ちしか言えなかったり、ここぞと言う時に金を払って言うような言葉?」
「うん、たとえば『殺してやる』とか『死ね』とか『愛している』とか。挨拶まで対象になったら、すげえ収入になるよ」
「『苦しい』『さみしい』『助けて』」
「とか」
でもその辺の言葉は、無料である今だって声に出せないじゃないか、と僕は思う。思うだけで、言わない。
しばらくして僕らはそれぞれの部屋に戻った。それぞれの部屋で、それぞれの夜食をとった。カップヌードルの側面にはびっしりと言葉が書かれていて、僕はそれをたやすく読むことができるのに、なんていう体たらくだろう。僕と言葉は一緒に生活しているのに、どうしてもひとつにはなれない。
それから僕らは、それぞれに眠った。
◇短歌◇
ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち。
/穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』「Linemarkers」小学館
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