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若者政策の変遷〜若者政策が目指してきたもの〜 (文字起こし)|ユースワーク・キャンプ2024特別プレ企画Vol.2
ユースワークキャンプ2024を控え、特別プレ企画を開催。2024年10月9日に開催されたプレ企画Vol.2 「若者政策の変遷〜若者政策が目指してきたもの〜」を考える対談の文字起こしを共有します。
◾️企画趣旨 : 若者政策の変遷〜若者政策が目指してきたもの〜
ユースワーク・キャンプ2024特別プレ企画Vol.1「支援とユースワークを考えるオンライン対談」に続き、第2弾のプレイベントを企画しました。ユースワーク・キャンプのテーマは「ユースワークがつくる未来」です。このコンセプトに向かうために、「これまで」を考える時間を事前に作りたいと思っています。
そこで、今回は宮本みち子さんをゲストに迎え、若者政策の変遷を振り返る学びの場をつくります。お話を聞きながら、「若者政策が目指してきたもの」を振り返り、学びましょう。
聞き手として、津富宏さんと佐渡加奈子さんがナビゲートしてくれます。下記のフォームからお申し込みください。
■日時
2024年10月9日(水)19:30〜21:00
■ゲスト(敬称略)
・宮本みち子 放送大学名誉教授・千葉大学名誉教授
社会学博士。専門は社会学。生活保障論、若者問題、社会的孤立等の問題についての研究と社会活動。社会保障審議会委員、中央教育審議会委員、こども政策の推進に係る有識者会議構成員、子どもの貧困対策に関する検討会座長。主な著書は、『若者が無縁化する』『人口減少社会の構想』『アンダークラス化する若者たち』『下層化する女性たち』『若者の権利と若者政策』など。
■聞き手
・津富宏 立教大学特任教授
少年院の教官を19年間務めたのち、大学に移る。しんどい若者の支援をライフテーマとしつつ、利用者を弱者化する「支援」に疑問を抱いてきた。宮本みち子著『若者が社会的弱者に転落する』を読み、後期資本主義により「すべての若者」が弱体化されているという認識に至り、かつ、宮本先生の著作を通じて、若者を主体化する北欧のユースワークを知る。スウェーデンには20年間にわたり通い続け、ユースセンターをはじめとするさまざまな取組みを訪ねる。同時に、勤務校においては、ユースワークをテーマにするサークルのほか、多くの学生活動にかかわってきた。現在の関心は、自治、ミュニシパリズム。
・佐渡加奈子 認定NPO法人カタリバ
東京生まれ東京育ち。学生時代、様々な対象(乳幼児~高齢者、障碍者)の活動に参加する中で、ユースワーカーを志し、2008年都内区役所に入職、中高生向け児童館で働く。2016年カタリバへ転職、b-labで日々中高生と関わったのち、アダチベースへ異動。アダチベース拠点長を経て、2024年4月よりアダチベース、ユースワーク統括チーム責任者、新規ユースセンターチームを兼務。2023年度社会構想大学院大学を修了、ユースワーカーのリフレクション研究で実務教育学修士(専門職)を取得。ユースワーク分野がより盛り上がるために鋭意楽しく活動中。
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音声での視聴も可能です。なお以下の文字起こしは、読書用に一部内容を修正しています。
前半ゲスト講義
こども・若者の実態と政策の流れ・課題
佐渡 加奈子
それでは改めて本日お集まりいただいた皆さんありがとうございます今日はこれからあのユースワークキャンプ2024特別プレ企画第2弾という形で若者政策の変遷というイベントを行わせていただきます。よろしくお願いします。今日ですね、お話しいただけるスピーカーとして放送大学名誉教授、千葉大学教授の宮本みち子さんに今日も来ていただいています。宮本さん一言お声を声聞かせてもらえますか。
宮本 みち子
はい、こんにちは宮本です。夜のお疲れのところをご参加いただいて、ありがとうございます。よろしくお願いします。
佐渡 加奈子
はい、ありがとうございます。それではですね、最初に今日宮本さんからお話をいただいて、その後ですね津富さんと私の方で一緒に話を深堀っていければと思ってるんですけれども、その聞き役の1人である津富さんもぜひ一声お願いします。
津富 宏
津富です。今日もよろしくお願いします。この前のプレ企画にも出させてもらったんですけども、今日は宮本さんのお話楽しみにしてます。
佐渡 加奈子
はい、ありがとうございます。前回ですね、プレ企画第1弾では津富さんと櫻井さんと竹久さん、今日竹久さんも来てくださってますね、と3人で「ユースワークと支援」という形でお話をいただいたかと思います。今日とはまた違う形でですね、3人が熱く語っていた会が結構面白かったですね。それとはまた違う形で今日はまずはお話いただくような感じになるかなと思ってます。
自己紹介が遅れました私NPOカタリバで働いています佐渡加奈子といいます。ユースワークキャンプの実行委員も務めていて、大学卒業後、いわゆるユースワークの現場と言われるようなところでずっと働いてきました。ユースワークって多様なので、津富さんから言わせたらもしかしたら佐渡さんのところは、ユースワークじゃないよと言われてしまうかもなと思いながら今ちょっとドキドキしながら喋ってますけれども、今日ですね、宮本さんのお話、、それから津富さんのツッコミに対してしっかりと私も聞きながら、皆さんと一緒に理解を深めていくような時間になればいいなというふうに思ってます。
ご質問はぜひチャットに随時送ってもらえればと思います。私の方でしっかりと見ていきたいと思ってます。それでは皆さん待ちに待った時間かと思いますので宮本さんからお話を先にいただければというふうに思います。お願いしてもよろしいでしょうか?
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宮本 みち子
私の題目は何かとっても大げさかなと思うんですけれど、このテーマを緻密にやるということになるとずいぶん時間をかけてやる必要があると思いますので、今日はピックアップしながら、あとは佐渡さんと津富さんとで足りないところを突っ込んでいただけることを期待して、始めさせていただきます。
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この2冊は数年の間に私が編者になって作った本です。左の『アンダークラス化する若者たち』は、生活保障というものが、若者にとっていかに脆弱な状態にあるかということを明らかにしようとしたものです。津富さんもこの本の一章分を執筆されています。それから右の『若者の権利と若者政策』は、去年出したんですけれども、後でお話しますように、こども家庭庁ができ、それから同時期にこども基本法が成立しました。それを受けて作ったものです。
こども家庭庁発足前の内閣府のあたりから子どもや若者に関して行政にかかわってきました。わたくし千葉市に住んでいるのですが、去年4月に、千葉市がこども基本条例を作ることになり、千葉市こども基本条例委員会が設置されまして、私委員長を引き受けました。今パブリックコメントが終わったところですけど、つくづく強く感じたことは、子ども政策と比べて若者政策というのは本当に脆弱で、地方行政においては十分な理解がされていないことを強く感じているところです。そのあたりのところも含めて、お話させていただければと思います。
前半の講演内容の続きについては以下のPDFファイルをご覧ください。
後半クロストーク
若者の捉え方
佐渡 加奈子
宮本さんありがとうございました。ボリューミーな内容をギュッとまとめながらお話いただいたかなと思います。ありがとうございます。ここからですね、津富さんと一緒にお話しながらと思ってるんですけれども、ディスカッション始める前にちょっと1個だけ言葉のところで前提として確認させてもらえればと思ったのが、「若者」って言ったときに宮本さんが今回この若者政策と言ったときの「若者」っていうものの存在がどれぐらいの年代を指しているのか、もちろん年年代で何歳までって区切ることがむしろ良くないことだっていうようなお話もあるかと思いながら、最後の方のお話で(準備委員で)学童期思春期の仕事に就いてる人がほとんどで若者期の人はいなかったっていうようなお話もあったので、なんか私の中では思春期の一部は、若者期とも入る含むようなところもあるなというふうに思っていたので、何か宮本先生が「若者」というふうに捉えたときにどれぐらいを指してるのかっていうお話先に伺えればと思ったんですがいかがですか?
宮本 みち子
そうですねとても難しいところがあります。たとえば法律ごとに対象とする人たちの年齢規定や、呼称が異なり必ずしもぴったりしてないわけですね。そんなこともあるので、厳密な議論できない面があると思っているんです。でも例えば義務教育までは基本的には家庭でくらし、義務教育が終わりもう働くという人も出てくるというようなことからすると、やはり義務教育が終わる15歳は一つの区切りかと思います。だからそれ以降に関しては、さっき思春期って言いましたけれどもそうですね思春期あたりのところも若者に入れてもいいだろうという感じがしますよね。ただ未成年であるということは親の管理下に置かれている段階だとか法的には大人としての権限がないということは重要で、例の子どもの権利条約は未成年の子どもの権利を守るというスタンスです。
また18歳までは、大半の人は学校にいる生徒で経済力はなく自活することは難しい。だから親の家を飛び出すというようなことを考えると18歳ぐらいからが一つの区切りになっているような感じはします。ただし7割以上の人がその後も高等教育を受けている状態にあることを考えると、トータルな意味で自立した状態になるのはもっと遅いでしょう。
成人期に達するまでに長い時間が必要な現代の若者たちの状態を前提にすると、「成人期への移行の時期」というステージに注意を払う必要があると思います。ある時代まで、子ども期が終われば成人期で、子どもと大人は完全に分離したものとして位置付けられていましたが、時代の変化のなかで、子ども期はいうに及ばす青年期から成人期へと一足飛びに進むわけではなくなりました。成人期への移行の時期が長くなり特有のテーマがあることが認識されているのです。しかし、こども基本条例の制定過程で強く感じたのは、成人期への移行の時期に特有の達成課題があること、そして付随するリスクと対策が必要だということがいまだに認識されていないということでした。
佐渡 加奈子
上はどれぐらいって思いますか。
宮本 みち子
ヨーロッパなんかの例では、国によっては25歳までをユースといってる。場合によっては30歳といってるように、国によっても違い目的(問題意識)によっても違うと思います。日本は今35歳までは一応「若者」というふうにしてますし、それから子ども若者育成支援推進法にもとづく子ども若者総合相談センターは今39歳まで一応「若者」という範疇で相談を受け付けています。中年といってもいい年齢まで若者として施策の対象としているのは、中年期施策がないためだと私は考えています。そんな状態にあるかと思いますね。
佐渡 加奈子
ありがとうございます。なんか法律や自治体によっても全然その異なる若者感っていうものが、あの、多様だからこそよりそこにフォーカスがされにくいのかなっていうのも、今お話聞きながら思ったところでした。
津富さん、今の宮本さんのお話を伺いながら、まずは何か津富さんからあの感じたところとかここの議論を深めると面白そうみたいなところってあったりしますか。
これからどのような取り組みが求められるか?
津富 宏
深めると良いところって多分たくさんあると思うんですけど、これからどういうことをしていったらいいのかという切り口について、一つか二つか三つか、いくつかわからないんですが、ちょっと聞かせていただきたいと思います。どうでしょうか?
宮本 みち子
そうですね、悩ましいところなんですが、一つはこども基本法ができたということを、絵にかいた餅で終わらせないよう、法の理念の実現に向けて展開することが必要です。特にこども基本法で「こどもの権利」といったときに、一番守られなければならない人たちは誰かという問題を明確にすることが必要です。これが何となく明らかにされないまま一般論でこどもの権利と定め上滑りしそうなところが問題だと思います。今の日本の子どもたち若者たちの実態を見ておりますと、権利侵害をされている人たちが非常に多くなっているのですが、侵害されやすい子どもや若者は明確だという感じがします。
それから社会保障の権利というものから考えて、少なくとも3割くらいの若者層は社会保障の権利の埒外にある状態、そこらあたりをきちんと権利論からしても整理をして、権利を剥奪された状態にある子どもや若者たちに対してこども基本法が政策のベースとして位置付けることが必要ではないのかと思います。
それからもう一つは、いろいろな弱点や課題はありますけれども、こども家庭庁ができたことは画期的なことで、そこでめざしたものをいかに実現していくかという点にあるのではないかと思います。
津富 宏
二点目ですが、具体的には、子ども家庭庁が、いつどうのようにして力を発揮していくというイメージなんですか?
宮本 みち子
例えばこども家庭庁の理念を見ると、こども若者政策は妊娠期から大人になるまで終始一貫して切れ目のないものにするとかですね。今までは複数の省庁がバラバラに担当していましたし、法律ごとにバラバラだった。その欠陥をきちんと見据えて、より良いものに変革するんだという意気込みで作ってるわけなので、それを実現してほしいとそういうことでしょうか。
津富 宏
ありがとうございます。ちょっと1個目に戻って、要するに権利の保障っていうのをやっていくんだってことですね。
こども基本法は、十分か?
津富 宏
さっきも、法律ができるということは、とても大事なことだというお話があったと思うんですが、今回のこども基本法で、法的に十分なんでしょうか。私はもう少し権利保障を具体的に書き込んだ法律が必要だと思うのですが、宮本先生が法律を好きに作っていいよって言われたら、こんな法律があった方がいいんじゃないかというご意見をお伺いしたいです。
宮本 みち子
こども基本法は対象を「発達の途上にある者」と表現して上限を年齢で区切っていません。つまり子どもの権利条約のように未成年者にみを対象にしてはいないということになります。私はこの点がよかったと思っているのですが、しかし内容をみると、明らかに未成年者(子ども)に係る文言が大半を占めていて、成人年齢に達して若者に関して何を権利として守らなればならないのかが極めてあいまいです。
もっというと、10代の後半以後も弱いと思います。例えば親にも保護されず、労働市場へ出ても食べていけるだけのお金を稼げない若者たちは、若者であるということで、生きていく権利を保障されないわけです。つまり若いから働けるだろう、努力すれば何とかなるんだという意識が根にあって、若者の権利を守ることの意味が認識されていない。高齢者を対象とする議論とも扱いが違うわけです。そういう意味で年齢がどうであろうとその生活を保障されない(人間としての尊厳を保障されない)状況にある人に対しては、きちんと補償をしなければならないという理念を確立しなければいけないと思います。
それをしない限り、若者たちの3割ぐらいは生存権の保障がない状態で生きてることになるわけで、経済状況も悪い時代が続くとするとそういう若者たちが中高年になる頃にどうなるだろうか、というようなことを考えると、とても恐ろしいことだという感じがいたします。
津富 宏
やっぱり、そういう権利保障ができるような、もうちょっと具体的な法的な仕組みがあった方がいいってことですよね。僕、たまたま去年、ドイツに行って、ドイツは27歳で切っていたんですけど、成人に達した途端に青少年局の支援を受けることが権利になっているという説明を受けました。ソーシャルワーカーが支援をするわけですけども、生保もソーシャルワーカーがついて取れます。職業相談が中心ですが、居住支援もやるし、とにかく27歳までは、いろいろな社会適応について困難を抱えている若者に対し、手厚くずっと面倒を見ていく仕組みがあると説明を受けました。例えばイメージとしてはそういうものですかね。
宮本 みち子
ドイツの考え方はいいですね。27歳で区切っているということは、おそらくその後は別の制度体系があるのではないでしょうか。それが日本にないないまま、いろいろな現象が起こるたびにピンポイントで対策事業が作られていきますよね。ヤングケアラーといえばヤングケアラーの予算ついていきなり動き出すとかですね。このような方法で断片的・単発的に若者支援が行われていくわけですけれども、どのような若者も、いかなる状況にあっても、きちんと守られているんだという安心感をもてるような政策がないわけです。だから養護施設を出た子たちがですね、親から何の保護も得ることができないまま施設を出て、住む家にもこと欠くような状態になる例が少なくないのです。施設を出たらそれからは自分でやれという状態になっています。施設を出たあとも独り立ちでみるまでは最後まで見守るというような制度や体制がないわけです。こども基本法はそこまでを保障する理念法にはなっていません。こども大綱は、基本法を土台にしてはいますが法律ではないので強制力はありません。
3割の若者の権利保障がない状態
津富 宏
そうですよね。だから権利っていうふうに考えれば、普遍的になるはずですよね。ヤングケアラーの権利とか、養護施設を出た人の権利っていうふうに切り分けるがなくなりますよね。さきほど、さらっと、3割くらいの人が権利を剥奪されていると言われたんですが、皆さん、そのような認識は、多分、権利というか、まず、生活・生存保障がされていないという認識を持っておられないとと思うんですが、3割という数字はどのあたりから出てきた数字なんでしょうか。
宮本 みち子
非正規雇用の若者や無業者状態の若者の数を見ると、3割はいきますよね。増加傾向にあると思います。そのうえに、多様な困難を抱えた若者たちがいると思います。
津富 宏
十分に生活の糧を得られるような状態にない、かつて「ワーキングプア」と言われた人たちや働いてない人たちも含めて3割ということですよね。
宮本 みち子
そうですね。それらの方が中年期に入ってもその状況が良くならないんですよ。つまり、若者期にアンダークラス化した人たちは、中年期も同じように、あるいは年を取るに従ってもっと悪くなるという状況が見られます。若者期にこれだけ厳しい状態に置かれた方々が、あと2、30年経ったときにどうなるか。初老期までに食べられなくなる人が相当出るのではないかと考えるのは当然のような感じがしますよね。
津富 宏
だから、現実問題、いつの間にか、地域若者サポートステーションの年齢上限が49歳になって、ほぼミドル期をカバーしつつあるわけですよね。サポステができたということの意義は、サポステがたくさんの方を支援してきたということでは必ずしもなくて、むしろ、サポステという支援機関が存在したからこそ、いろいろな人と出会うことができ、問題を発見することができたということだと思います。サポステに来られる方も変化して年齢上限も上がってきたということもそのひとつです。その結果、他機関との関係も変わってきているわけです。何と言っても、サポステは法律上の根拠を持っているわけですよね。権利保障をしましょうっていうときに、サポステよりも強力な支援機関が法的に設置されれば、よりたくさんの問題に気づくことができ、人々の意識が変わっていく可能性があると思うんですが、どうでしょうか。
宮本 みち子
そうそうだと思いますよね。
佐渡 加奈子
今のはごめんなさい1個だけちょっと津富さんの話で確認させてもらいたくて、それは何かその広く全ての若者に対して権利をとか、支援をっていうところを言い続けてもそれは結局今のこども家庭庁のこども基本法だと同じことを言っていると私は認識はしています。でも実際にそうではないっていう実態があるよねっていう中で、よりスペースを決めてというか、ターゲット、こういう人たちっていうのを見つけて、そういう人たちに向けたあの支援施策っていうところとかサポステっていうものがあることが強くなるっていう意味合いで合ってますか。
津富 宏
半分くらい合っていて、サポステは、権利とまでは言わないのも法的根拠があるわけですけども、さっきなんかドイツの話とかが念頭にあって、27歳までは青少年局の支援が受けられます、それは権利ですと明示することによって、漏れのないセーフティーネットができるわけですよね。お金もかかるし誰がやるんだって話はあると思いますけれども。
宮本先生が『若者が社会的弱者に転落する』って本を書かれて、それはそれなりに読まれたのは事実だけども、一方、世の中の多くの人は若者が社会的弱者だと思わないままいろんなことをずっとやってきて、また、行政としてはお金をかけたくないのもあって、結局、子どもにはお金をかけるけれども若者にはお金をかけなくていいというのが、まさに宮本先生が今日言われていた、世間一般の反応だと思うんです。だからこそ、ここのところの意識を変えていくにあたっては、サポステ以上に切り分けのない支援機関を、というか、支援機関というよりも、権利基盤の支援制度を作ることが、先だと思うということなんです。支援制度がないと、まさにさっき言われたように、権利はありますって言っただけだと、人々は、権利を行使しなければいけないような困っている人はごく少数なんじゃないかと思い込んだまま、今までの暮らしを送っていこうとするんじゃないかなと思うんです。
佐渡 加奈子
津富さんがお話したことは理解をしました。すいませんそれを持って、宮本さんにまたボールをパスできればと思います。
若者サポートステーションの直面する課題
宮本 みち子
そうですね。若者サポートステーションの事業にはいろいろな問題が内包されていて、考えるにはいい材料ですね。例えば、サポートステーションに通える人というのは、その時間、働いてお金を稼がなくてもいい人なんです。ところが本当に生活に窮してしまった人は、サポートステーションなんかに行って時間を費やしてる暇はないわけですよ。もうとにかく必死でアルバイトでも何かもしなければ生きていけない。通うための交通費もないかもしれません。それを支給するという制度設計にはなっていません。そうでなければ、生活保護に頼るかですね。その生活保護だって若い人で生活保護を受給している人は多少増えてきているのですが、若い人が生活保護を受けることに対しては、行政は寛容ではなく本人も家族も受け入れたくない。若者がすることではないと思っている。
それから大学生なんかで養護施設で暮らしてきた方などは、奨学金その他いろいろお金を工面して、大学へ行ったんだけれども体調を崩してしまい授業に出られなくなり、留年せざるをえなくなった。そうするとアルバイトができなくて暮らしに困ってしまう。それから奨学金の権利も失ってしまう。それで生活保護を受けながら何とか大学に在学しようと思ったら、大学生と生活保護は両立しないよということで生活保護を受けることができない。生活保護を受けたかったら大学やめてください。これが日本の制度なんですよね。というようなことで、とにかく多くの日本の若者は、親というセーフティネットがあることが絶対条件としてあった上で、いろいろな選択肢が機能するということです。それができない若者には生存権も教育を受ける権利も社会保障の権利も役にたたないのです。
津富 宏
サポステの活動を通じて気付かれてきたいろいろな問題を潰すというか、そうした問題を検討して、サポステをインプルーブしたような何らかの支援制度を考えられたら、それはそれがいいってことですね。
ドイツでは、18歳になって自力で食べられていなければ、ワーカーについてもらって、生保を取りに行けて、職業相談がつくっていう形です。生保がついていてお金もあるわけですから、いろいろな問題はかなり解消されるんじゃないかと思います。あともう一つ思うのは、僕は、ご存知の方も多いと思うんですけれども、元々少年院で働いていたんです。かつては、少年院にいる子ってのは、特別な子だって思われていた時期が長かったんじゃないかと思いますね。そういう感覚は、貧しい人なんかいないという感覚と近いと思うんですけど、それが、失われた30年のせいだと思います。しかし、最近はどんどん少年院の子どもたちと、一般の子どもたちが地続きになってきて、特殊詐欺の子たちなんていうのは、大学生もいっぱい混ざっていて、一般の子どもたちと地続きになっているように思います。
この話は、社会的養護の子たちが大変だっていう話をしつつ、宮本さんが、大変な子は、社会的養護の子だけではなくて、その何倍も、家にいると言われたように、そういう見えない問題とされてきたものが、すごく大きくなっていると思います。それはさっき言った、サポステの拡大版が必要だという話ともつながります。
なぜ「しんどさ」に対する共感が広がらなくなってしまったか
津富 宏
僕が疑問に思っていて、宮本さんがお答えをおもちならうれしいんですが、本当にみんなが貧しかったっていうのはちょっとオーバーかもしれませんけど、かなり多くの人が貧しかった時代には、例えば永山則夫が事件を起こしても、ある程度人が共感をしたわけですよね。ところが、その後、そういう共感が失われてしまったまま、貧困というか困窮というか格差が拡大してきて、この格差がまさに共感性を失わせていると思うんですが、しんどさが増しているのに、なぜ、しんどさに対する認知だとか共感が広がらないまま来てしまったのかが疑問です。この点を乗り越えないとお金もつかないと思うんですが、そもそも何でそういう時代になってしまっているのかという点をひとつ伺いたいんですが。
宮本 みち子
私が考えてるのは日本の経済状態が良かった時代には、かなり多くの家庭が、基本的に親が揃っていて、雇用が安定していて賃金も上がっていくなかで子どもを育てることができた時代でした。これが標準世帯とみなされ中流層の姿となった。80年代ぐらいまでこのような時代が続きました。だから多くの人々は日本は貧しい社会じゃないし、貧しい子なんかいないんだと思い込んでしまいました。子どもたちだってそういう認識を植えつけられて育ってきました。それが90年くらいから変わってくるんですけど、どこから貧しくなったかというと、例えば母子世帯。零細自営業者世帯、零細企業の労働者世帯、母子世帯に関しては戦争未亡人の時代があったけれども、それ以降は母子世帯が少なくなり、夫婦の揃った核家族が多数を占めるようになりました。多くの人々はその時代認識を引きづって21世紀に入るわけですが、気づいてみたら実は母子世帯が1クラスに何人もいるという時代に入りました。つまり、人口構造と家族構造が急激に変わったのですね。そのことと、経済・社会に関して、バブル崩壊によって日本の経済が失われた30年に入った時期との一体で進んだのです。
それでも、厳しい時代の波をほとんど被らなかった人たちは多いのです。それが階層間格差の拡大という現象です。以前と同じだけの生活を維持できていた人からしたらそんなに日本の経済は悪化したわけではない、自分のくらしは今までと全然変わりない。周囲にもそんなに困っている家庭や子はみたことがないというのが本音なのです。いい時代の記憶がしっかり残っているため、目の前にいる子どもが日々の食事にも事欠いているなんて想像もつかない。学校の先生も同じです。貧困を知っている人が多かった時代なら想像力が働いたはずですが、それがない人たちが多くなったのです。
津富 宏
何となくわかりました。僕も今64歳ですけど、その壊れる前の時代に、若者期を過ごして、その残像を引きずったまま大人をやり。またそういう人たちが社会的・経済的に安定した地位を占めてきた、比較的にマジョリティーを占めてきたので、その人たちの気分というか思い込みで、社会政策とかいろんなものが決定されてきたっていうことなんですね。彼らは、残像を生きているっていうか、そういう感じなんでしょうね。きっと。
どのような行政から若者へのアプローチが有効か
佐渡 加奈子
一つ紹介するんですけれども、その子ども若者だけ一貫した取り組みが必要だと思いながらも、いろんな若者になって社会からのアプローチが増えていくことで、行政とのアプローチが分化して穴が増えていくんじゃないかと。最初の方に年代の話もさせてもらいましたけども、その年代で区切ることで、行政の方の形をどう変えていくのかっていうことを考えることも必要なのかなというご質問かなと思うんですけれども、若者に関してアプローチしていくとなると行政目線としてどのような観点からアプローチをしていくべきかと考えますか。どういう部署からアプローチするべきかという質問にも近いかと思いますというところなんですが、宮本さんいかがですか。
宮本 みち子
さっき津富さんと意見交換したことに繋がると思うんですけれど、例えば若者は最終的には自分の力で生きていくべき人たちなんだと。それが駄目なときには親とかに助けてもらえるだろうという前提がある限りは政策っていうのは断片的で、足りないところだけに穴をふさぐという形になっていくわけなんですね。それでも社会が全体としては順調にいっていたときは、問題があっても、それはもうみないで済ましてしまうこともできたかもしれません。しかしこれだけ多く人たちが、いわゆる標準的な生活の水準から外れてしまう時代、しかも、それが経済水準だけじゃなくて、社会的には孤立し孤独を抱え、貧困の状態にある。そして家庭も持てないとかですね。そういう人たちが少数とはいえなくなってきたときには、やはり政策のあり方というのはつまみ食い的にやるのではなく、若者たちの生活全体をより良い方向に押し上げるとか、落ちそうになったものをきちんと歯止めをかけるとか、そういうスタンスに立たないといけないわけです。
そうでなければこの社会の担い手となるどころか、公的救済に頼るしかない人たちが加齢とともに増えていき、手に負えないほどの問題となるのではないかと危惧します。一言でいうと、若者の生活保障とか若者の権利擁護という理念が問われているのではないでしょうか?それがないから結局、こういう現象が出れば、はい、これやりましょう。でも予算がないからこっちは削るしかないみたいなやり方になってくんだと思います。
津富 宏
さっき宮本さんが指摘された、社会問題がピークを過ぎたらその事業がなくなってしまうということと同じですよね。
宮本 みち子
しかも抱えている困難っていうのが複合性を持っているのが今の特徴で、一個の困難じゃなくていろんなものが積み重なったような状態の人たちが多くなってきてるわけです。そうなってくると、ヤングケアラー支援をやっただけではこの方の問題は解決しないわけで、だから重層的な政策が出てくるわけですけれども、同じようにして若者たちの生活全体を守りながら、より良い方向に発展できることが若者の権利なんだと打ち出さない限りは、問題は解決しないでしょうね。
津富 宏
そうですね。まず権利って地平をきちんと確保しておかないと、ここの穴を埋めて、また、別の穴を埋めて繰り返しになってしまいますよね。
佐渡 加奈子
モグラ叩きみたいな状態になってるってことですね。
「一番大変な人は誰なのか」を想定できるか
津富 宏
やっぱり「一番大変な人は誰なのか」っていう発想で考えるのが宮本さんらしいと思うし、僕もそういう発想なんですけれども、そもそも若者政策が、そういう発想でできてないんじゃないかっていう気がするんです。今日の話でも、若者政策を考えるにあたっては、「若者像」というのを想定するんだと思いますが、最も大変な若者にきちんと対応できるようなものが若者政策だとする若者政策がある一方、そうではなくて、もっと若者に活躍してもらいたいとか、若者の可能性を引き出したいとかいう形で、違う方向、若者像を想定してる若者政策っていうのが存在しているんだと思います。特に自治体レベルとかではそう思います。だから、この異なる若者像を想定している若者政策に対して、どうアプローチしたらよいかについて、宮本さんにお聞きしたいです。
宮本 みち子
子どももそうだし若者もそうですが、ややもすると綺麗ごとのスローガンが並ぶんですよね。「社会の担い手」「将来を背負う人たち」とかね、「子どもは私達の夢だ」とかね。そういうことによって、対象が具体的な像として明らかにされない状態になります。対象を漠とした掴み方をしている限りは、有効な政策は作れないわけですよね。だからそういう意味で言うと、誰が一番困ってるかということを定め、それによってその周辺も含めて適切な政策が出てくるんじゃないかと思います。
津富 宏
はい、この話は、支援が先行したら、若者像が見えてくるっていうことと、近いところがありますよね。サポステ拡大版みたいなものがもっときちんとあれば、一層、像が見えてくる。私は、若者政策と言ったときに関心を持つ人は、世の中全体で言えば、そんなにいないと思うんです。今日ここに来ている方々は関心があって来られていると思うんですが、若者政策を議論するときの前提として、若者に関心がある方々が、一番困っている若者は誰だろうっていうところから出発することが大事だと思うんです。
しかもあの『若者が社会的弱者に転落する』についてお話されたときに言われたように、これは構造的な問題なんだっていう理解ですよね。構造的問題と権利性というのはセットになっていて、何か特別な個人的属性がある人が調子が悪いと考えるのではなくて、構造の問題だからこそ権利で保障するんだと思うんです。だから一番困ってる人は誰なんだろう、そしてこれは構造的な問題なんだあるいは権利の問題だっていうことを前提に置いて、若者政策と若者に関心がある人たちが考えたりお仕事をしていくってのが大事だと思うんです。
さまざまな現場があると思うんですけど、現場の中で、漠たる若者像でお仕事をするんではなくて、そこにいる一番困っている人は誰だろうっていう視点でやっていく。僕は前の大学で困っている学生さんの支援をさせていただいてましたけれども、さっき指摘があったように親から仕送りがない子がもう最悪な状態になっていました。社会的養護経験者とかではないですが、家族との関係が必ずしも良くないので、家を離れてやっとほっとしたっていう学生も、家から通っていても家では暴力を受けているという学生も、とにかくお金をくれないってなると、世帯分離をしているわけでもないし、昼間課程の大学生は生保を受けられないので、にっちもさっちもいかなくなってしまうんです。それがさっきの地続きみたいな話で、社会的養護の経験者以外のところに大量に困ってる人がいるなということを、支援をやったから理解したんですね。食べ物を配ったから。
だから僕自身が持っている、宮本さんへの問いへの答えは、目の前の子どもたちの中で最も困ってる子がいるんだと想定して、その子たちが必要とする支援をまずやってみたらいい、それを必要とする人がもっといるということに気づく現場を作るというものです。実際、僕は大学でやってみて、数十人は非常に困ってる学生がいるのに気づきました。ご飯を抜いたりして学校にきて、特に理系は勉強が忙しすぎてアルバイトができないとかなると、高校生に思っていたような大学生活ではなくなってくるんですね。そういう子は、高校生のときに多少貯金して入ってくるんですが。だからそういう子たちに出会えるような現場を作ることだと思うんです。
おわりに:社会に対して私達ができること
佐渡 加奈子
一方で今のお話本当にその通りだなと思いながら明日からの自分の仕事に生かしていきたいと思って、お2人の話聞いてるんですけれどもあの宮本さんも津富さんそしてここに来ている多くの人も、若者っていうものに興味があったりとか何か活動してる人やっぱり多いなと思っていて、でも若者っていう存在が抜け落ちてしまうのは、もう子どもなんだから自力でやるべきだっていうような概念が、あの前提にあることもあると思いますが、何となくエアポケットみたいに抜け落ちている、何かその乳幼児はちっちゃい子は大事。高齢者も大事、それ以外の真ん中はまあ頑張れ、みたいな日本の人たちの感覚っていうものが大前提にあるなと思ってて。そこの興味関心が薄い人たちもいるこの社会に対して私達が何かできること、やれることとか考えるべきことっていうのがあれば、何か最後に伺いたいなと思ったんですけどいかがですか。
津富 宏
宮本さんが最近なさったミドル期についての研究もとっても大事だと思っていて、これは若者期の問題じゃないんですよっていうか、これはもう確実にもう日本社会の完全に中堅って言われる人たちを覆いつくしてる問題なんですよっていう認識を広めることも一つだと思いますね。若者期だけのエアポケットではなくて、その後の世代へとどーっといってるわけですから。そういう意味で、ミドル期についての研究は本当に大事なお仕事だと思ったのです。
宮本 みち子
この時代で失われた30年ってとても厳しい時代ではあったけれども、一つ良かったことは、これだけいろいろな現象が出てきたことによって、現実がわかるようになってきたことにあるかもしれません。今まではもう隠し切れていたものが隠しきれなくなって発現し、その課題に取り組む方たちの数もうんと増えてくることによって、今まで気づかなかったことが白日の下にさらされたことは画期的な変化だと思うんでね。しかも35歳から64歳ぐらいのミドル期の人たちの非婚率が非常に高くなっています。家族をもつことが自明な時代は終わっています。2050年には全世帯の半分がひとり暮らしになると推計されていますが、この方たちのなかに、家族というセーフティネットを失って経済的にも社会関係的にもこの後どうなるか懸念のある人たちが少なくありません。「ひとり暮らし化する社会」は弱者に厳しい社会です。問題は若者だけではないということをあらためて感じでいます。
津富 宏
最後ちょっとだけ、僕は韓国に去年行かしてもらったときに、宮本さんもご存知のカンネヨンさんが、ソウルのどこかの区のアドバイザーをされていて、シングルの人たちが集う、コミュニティスペースみたいのを作っておられました。別に支援機関とはうたってないんですよ。だけどスタッフは全部ソーシャルワーカーです。そこに行くと、普通に本を読んだりしてくつろいだりできるみたいな、おしゃれなスペースなんですけど、持って帰れるものとか洗剤とかですね。暮らしに困ったときにどうしても必要なものはもらえるようになっているんです。そういう、敷居は低いし、困ったら実は相談に乗れるし、生活必需品ももらえるような、みたいな場所。そういう場所ができることによって可視化されていくんじゃないかと思うんです。
だからそれがミドル期向け、どちらかというと20代30代からの場で、カンさんが強調していたのは日本みたいな婚活をやらないってということで、それはすごくいいセンスだなと僕は思いました。そこでは、生きるための情報提供もあるし、しんどさが再生産されないための一つの手段だなと思いました。
佐渡 加奈子
何かそのハードルが低いというのも大事な気がしますね。誰でも行けるというか、そうそうちょっと教えました。今日この場で話していただいたことだったりとか最後に言い残したことがあれば、まずは津富さんからお願いしてもよろしいでしょうか?
津富 宏
若者政策っていうものが、ヨーロッパのように確立していないのは間違いないと思うんです。今日は、若者政策ということが、日本にも若干はあるかのような形で受け取られた方もいるかもしれませんけど、そんなことはありません。ヨーロッパの動きをきちんと見て、特に権利性を基盤にした若者政策について議論する場がとっても大事だと僕は思っています。このユースワークと若者政策が必ずしも、同じものではないと思うんですが、でも、ユースワークキャンプでもそういう議論ができる場をできるだけ作っていけたらなと思います。以上です。
宮本 みち子
今津富さんが言われたことは本当に大事なことで、これからが本腰を入れる段階といいますか、若者政策の第2弾の時期と考えてですね、もっと総合的な若者政策を考える段階に来たと認識していただくといいと思います。ありがとうございました。
佐渡 加奈子
ありがとうございました。ありがとうございました。それでは以上で今日のイベント終わりにさせてもらえればと思いますではぜひ10月の末ですねまた皆さんにお会いできるのを楽しみにしています。皆さん本当に貴重なお話ありがとうございました