「支援とユースワーク」を考える対談 全文字起こし|ユースワーク・キャンプ2024特別プレ企画Vol.1
ユースワークキャンプ2024を控え、特別プレ企画を開催。8月14日に開催されたプレ企画Vol.1 「支援とユースワーク」を考える対談の文字起こしを全文共有します。
「支援とユースワーク」を考える対談|ユースワーク・キャンプ2024特別プレ企画Vol.1
津富 宏
よろしくお願いします。今日登場するのはわたくし津富と櫻井さんと竹久さんの3人です。今日の近況だけ櫻井さんと竹久さんお願いします。
櫻井龍太郎
櫻井です。こおりやま子ども若者ネットワークでユースワーカーやひきこもりの相談支援なんかをしてます。近況で言うと、この間までこわかネットとは関係なく別の自然体験活動をしてる団体さんの子どもキャンプの手伝いを3泊4日行ってきて、めっちゃ楽しかったんすけど風邪ひいてて、全然体力がおっつかない感じでです。ちょっと体調悪いですけど、頑張ります。
竹久 輝顕
京都市ユースサービス協会の竹久です。今日は「支援とユースワーク」の話ですが、今は直接的に支援とかユースワークの現場から少し離れつつあるんですが、それに関連する関わりはあるので、今日はそれに基づいてこれまでの経験も含め話せたらと思っています。ユースワークとは何か、支援とは何かという話を僕自身、いろんな人に聞いてみたいと思っていて、津富さんが後で趣旨を話してくれると思うんですけど、そういう話するんだったら聞きたいなと思っていたら、呼んでいただいてこの場にいるので、なんだか不思議な感覚で、今日参加させていただきます。よろしくお願いします。
なぜ「支援とユースワーク」?
津富 宏
今日は「支援とユースワーク」ということで場をつくりました。秋に、ユースワークキャンプの集まりがありますけども、そこで何をするかというお題を設定するために使われてきたDiscordがわからなくてですね。お題がどんどん決まっていく中で、遅ればせながら、「支援とユースワーク」を提案させていただいたらですね、ユースワークキャンプの前座でやれという指令をいただきました。誰と喋ろうかなと思って、僕は大好きな櫻井くんをまず思いつきました。ユースワークとは何かとか、支援とは何かという、概念の話をする相手として、まず櫻井くんと話したいなと思ったのですが、2人だけで喋ってると、2人しかわからない会話をする可能性があるなと思い、この会話を普通に常識人のまっとうな人が聞いて翻訳してくれる人が必要で、竹久さんはそういう人だっていうことで櫻井さんと合意したという背景です。聞き手として竹久さんを指名したら、運がよかったです。竹久さんがそういう話を聞きたかったと言ってくださって。こういうふうに始まったというのが経緯です。
「私がやってきた支援はユースワークではありません」
津富 宏
まず、櫻井さんに聞いてみたいなと思ったんですが、僕自身もどちらかっていうと支援をしてきた人です。現場的にはね、就労支援とか学習支援とか。「支援」という言葉自体も、それでいいのかなと思ったときもあるんですけど。一方で、かなり早い時期、20年くらい近く前からかな、欧州のユースセンターを見たりしてきて、これがユースワークだっていう感覚を自分なりに持っているわけです。ユースワークは多様で支援と重なるという議論もあると思うんですけど、僕の中ではユースワークと支援ってずいぶん違うものなんですよね。
にもかかわらず人が書いたものを読んでいると、日本のユースワークの歴史を語る文章の冒頭に、地域若者サポートステーションが書かれていて、そこから、ユースワークの時代が始まったっていうようなものを読んでいると、この書き手は支援のことをユースワークと呼んでいるんだなと理解はできるんですが、それは僕にとってはあまりにも不可解でした。去年ユースワークキャンプがあったときに、最初に鼎談をさせていただいたんですが、そのとき、僕がやってきたこと(支援)はユースワークではありませんと断言したんですがそのときも何となく「え?」みたいな感じのリアクションもあったように思います。
そういうことをもうちょっと整理した方がいいと思うんです。何かに合意する必要はどこにもないんですけど、僕もいろんな人と喋って、整理をしたいと思っているんです。今日は、お相手に櫻井さんを指名させていただいた理由は内容的にはそういう経緯です。このテーマで櫻井さんがモヤモヤしてたよとか、いやこう整理すればすっきりしてるよとかでもいいんですけど、ちょっと話してもらったりできますか。
櫻井龍太郎
実は去年、ユースワークキャンプに参加しようと思って行くまでの間すごく僕は不安もあったんですよね。不安半分、楽しみ半分みたいな。そんな感じでユースワークキャンプに去年参加しました。それは何でかっていうと、僕自身ユースワークのルーツはスウェーデンのユースワークがあると思ってはいるんですね。それを踏まえた上で今すごく日本の中で語られてるユースワーク観みたいなものが何か多様であるのはいいのかもしれないけれども、ただなんか本当にそれは本質的にユースワークって言っていいもんなんだろうか、という疑問を感じることが多くて、ただそれを否定するのも嫌だなっていう気持ちがありました。「ユースワークは多様でしょ」で完結しちゃうみたいになっちゃうのはすごく嫌だなっていうふうに思っていたんですよね。
ただ参加をしていろんな人たちと一緒にお話をする中でやっぱり違うなっていうふうに思うこともあれば、何か違うなと思ったけど結構同じような方向性とか軸で動いたりとか考えて活動してる方々も、表面から見たらそうじゃないかと思ったけれども、実際に話してみるとそうだなっていうふうに感じたこととかも去年のキャンプであって、何かそういう意味で心地いい自分の中の「揺れ」みたいなものが去年のユースワークキャンプにはあったと思うんですよね。
なのでそういう意味で、ある意味ユースワークとは何かとか、ユースワークの軸とかルーツってどういうことか、みたいなことを整理すること自体は必要なことと思っています。ただ、その上で今この日本の中で語られていることってどういうことで、それが今後僕たちがユースワークという言葉を使っていく上で、どういう意味を乗っけていくのかみたいなことは何か、ある意味多様はもちろん多様であるのだろうけれども、ただその中での軸みたいなものとかそういうものは何かちゃんと確認しておきたいなっていうふうに思っています。そんなことが、今回津富先生からお声がけいただいてから考えていたところみたいな感じですかね。
ユースワークとソーシャルワークの混ざっている部分と違う部分
津富 宏
ありがとうございます。もうちょっと質問しちゃって申し訳ないんですけど、今のお話の中では支援という言葉ほとんど出てこなくて、そのユースワークとは何かっていうことをもっと整理していきたいっていうのはわかったんですけど、「支援とユースワーク」というテーマは、概念を整理するのにどういうふうに役立っていきそうみたいな感じはありますか。
櫻井龍太郎
ありがとうございます。僕はユースワークに地盤を置きながら活動をずっとしてきたんですけども、2018年に東京から福島に引っ越して、福島には当時ほぼユースワークって存在自体があんまりないみたいな状態の中で、転職活動をする中でスクールソーシャルワーカーをやったんです。これはもう完全に福祉支援ですよね。郡山に来たばっかりの時は、支援の文脈で活動を最初スタートし、当時しかも社会福祉士を持ってない状態でスクールソーシャルワーカーを始めて、そこから社会福祉士を勉強して資格取ってみたいな文脈がありました。
そんな中でユースワークとソーシャルワークみたいなもので、僕が東京で活動してたとき福祉文脈で活動する人たちからユースワーカーとかユースセンターって元気な子たちが行くところというニュアンスで語られてしまったりだとか、あるいはその逆でユースワーカーがみるソーシャルワークがすごい保護的な活動みたいな、そういうよう文脈で語られてしまっていたなっていうふうに思いました。
それを僕が社会福祉士を数年前に取った経緯の中でちゃんとソーシャルワークのことも勉強して、あと僕の地盤がずっとユースワークだったのでユースワークの今まで学んできたことを照らし合わせていったときに、確かに共通する部分もあるけれども根本的な価値観での違いや逆に似てるなっていうか、同じ方向を向いてるなっていうふうに思いました。その手法だったりとか、1個1個の大切にするタイミングとか部分みたいなものが何か違う部分があるなってことがちょっとずつ見えてきたっていうところがあります。そういう意味で、僕はちゃんとユースワークとソーシャルワークの混ざっている部分と合流してる部分と、ちょっと違う部分っていうのは意識がちゃんとできるんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。そうすると多分ソーシャルワークに対する保護的だっていうユースワーカーの主張とか、あるいはユースワークに対するあれは元気な子たちのためのものっていう意見に対する反論ができるだろうな、っていうのが僕の中であります。そうするとユースワークとは何かっていうところがちゃんと語れるようになるだろうなって今回の「支援とユースワーク」というテーマに関しては考えています。
なぜ「元気な子」と「元気じゃない子」を分ける?
津富 宏
なんかもう、これについてお話を聞きましょうって感じだよね。ちょっとだけ喋ってもらう前に、例えば、モンゴー(櫻井さん)がかつていた世田谷区なんかは、若者支援の計画を立てるときに、完全なに二分法を使っていたっていう記憶があるんですよね。元気な子と元気じゃない子みたいな。本題に入る前にですね、伺いたいのは、なぜあのような二分法をするんですかね、ということです。
僕が考えていた一つの理由は、若者政策をするときには、制度福祉みたいなものに当てはまる人だけを聞き出すっていうことが多分あるんだろうなと思うんですよね。要するに、元気じゃない子っていうことです。それ以外は元気な子なんだってのも不思議な気がするんだけれど、僕はそうした理由くらいしか、二つに分けようという動機がわからないんです。そもそも何で分けるんだって思うわけです。両方経験されている櫻井さんは、なんでこんなふうに分けようみたいな考え方が流布しているって思いますか。
櫻井龍太郎
そこの部分で言うと多分、生きづらさを抱えている子は自己実現ができないと大人が勝手に思い込んでいるからだと思います。マズローの5段階欲求がすごい眉唾じゃんっていうのと似てるかなと思うんですけれども、今現在生きづらさを抱えていろんな課題を抱えている若者たちが、自分がこうしたいああしたいとか、自己実現をするとか自分のやりたいことをやっていくとか、そういうものが、その人の生きづらさが解消されないとできないという勘違いがあるんじゃないかなと思っています。僕はやっぱそれを明確に、そうじゃないと思うし、僕のユースセンターに来ている若者たちもいろんな課題感とかを持ちながらいろいろ活動をしています。
もう一つの視点が、若者は若者に限らずみんな何かしら課題感とか困ってることあるよねっていうことが伝わってないかなと思っています。これは僕が前所属していたNPOの佐藤洋作さんがよく言うことですけど、私たちは同時代を生きる仲間だよねっていうことをよく彼は言うわけなんですけれども、元気に活動しているからイコール何も課題抱えてないかと言われれば全くそうではないんですよね。例えばうちに来てる子とかで、地域の活動とかあるいは生徒会活動をやってる子が実はこんな課題がありました、みたいなことは現場にいるとよくある話じゃないですか。でもそれが、きっとなかなか伝わっていないというか、いやそういう子はあんま課題ない、そういうレッテルが貼られてしまうっていうことが二つ目の理由としてあるんじゃないかなと思います。
津富 宏
今、聞いていて思ったのは、そもそもその「若者政策」と言われてるようものには、もともと社会適応モデルみたいな、社会に適応できている人とできていない人みたいな二分法があって、自己実現できている人たちとできていない人たちという書き分けになっていたのかなと思いますよね。だから、この後で、話に出てくると思いますけど、適応というものをどう考えるかっていうことが大切だと思います。
櫻井さんは、ソーシャルワークも学んで、元々の畑はユースワークなんだけれども、共通点も見えてきたし、違いも見えてきた。ユースワークとソーシャルワークの、こういうところが共通していて、こういうところが違ってるっていうようなことがある程度見えてくると、ユースワークとソーシャルワークは、ある程度は対話できるんじゃないかみたいな話をされたと思うんですけどそのあたりを語ってください。
ユースワークを「民主主義」の視点から考えると…
櫻井龍太郎
僕がやっぱスウェーデンで見てきたユースワークは、民主主義に価値観を置いて言いますよね。いかに民主的な営みを作るかって。民主主義っていうものは誤解を生じさせないように丁寧に話をすると、政治的な営みだけではなくて、日常生活の営みなんですよね。日常生活が今、私達の生きている生活圏っていうものが自分たちにとって排除されない生活になっているかとか、そういう家庭になっているかとか、友人関係になっているかとか、そういう一個一個が民主的であることっていうこと。そういうスタンスのお話だろうなっていうふうに思ってるんですよね。その中で若者の日常生活圏域の中で民主的な営みを作るという取り組みがユースワークだったなって感じています。そこがやっぱり日常生活圏域を作っていくのに、僕の中では「余暇」がテーマとしてあると思っているんですよね。
民主的であることの要素の一つとしては排除や差別が行われていないっていうことだったり、あるいは排除にあったとしても声が聞かれることとか、影響力が家庭や友人関係や、学校や地域社会にあることが民主的であることの条件だろうなっていうふうに思っています。そういうようなものを体現していく場がユースワークであり、ユースセンターであると思っていました。
ソーシャルワークはやっぱり権利擁護ですよね。今排除下にある環境から脱していくことがテーマにはなってます。日常生活圏域における民主的な営みと余暇の権利保障をしていくっていうユースワークと、権利擁護をベースにして人の排除下から脱していくっていうようなこと、それを地域社会の中で作って、地域社会とか制度を利用して解決していくことかなと思います。それを考えたときに共通点としては、両方とも民主的な社会っていうのはベースにあると思っています。両方とも民主的な社会がベースになっていないと生じ得ないことをやろうとしている。すごく共通性が高いなというふうに思っています。一方で、ソーシャルワークについてはその環境に対してとか、相互関係に対して働きかけていくっていうのに対して、ユースワークの場合はともに作っていくっていうような感覚が強いと思っています。
なので多分ユースワークにおいてもきっとアドボケイトはするんだけれども、より一緒に作るっていう方を大事にすると思うんです。ただソーシャルワークの場合だったら多分その人の排除環境っていうものを解消していくために、もちろん一緒に考えて作っていくこともあるんですが、そうではない環境にソーシャルワーカーが働きかけていくってことも大切にするのかなと思いました。
津富 宏
わかります。僕は思ってるのはまさにほぼ同じことなんですが、スウェーデン行ってみて思うことっていうのは、政府がとっても市民に近いということです。透明性が高いのもそうだし、政党によって若干違うんですけれども、例えば、これは本に書いてあった話ですが、国会議員が疲れたからって国会の帰りにタクシーに乗って帰ったら、それがスキャンダルになってクビになるっていう国なんです。
こういうことって、日本じゃとても考えられないですよね。今お話ししたのは、一つの例にすぎないんですけれども、スウェーデンでは、国会議員が本当に庶民的な生活をしている人でないと自分たちの代表とは思われないんです。ソーシャルワークにしてもユースワークにしても、スウェーデンの場合は、公的なお金で動いてるわけですよね。税金で動いてるわけですよね。税金だからこそ、政府と市民の距離が近いようにしているわけです。距離が遠い場合は「お上」なんですよ。日本では、再配分ってよく言いますけど、再配分をして「いただく」というか、権力作用としての再配分っていう感覚が強くて、それに対して民主主義的な統制が及んでいないという状況にあると思います。
ところが、ペストフの三角形という図をご存知の方多いかもしれないけど、その図が何を表しているかというと、人が、財やサービスを手に入れる原理には三つあり、それらは、再配分と互酬と交換ですが、国から手に入れるのが再配分で、互酬って普通の「助け合い」です。
交換は、市場から手に入れるということです。スウェーデンのように、透明性が高くて、ピラミッドが低ければ低いほど、再配分が互酬的な要素を持ってくると思うんですよね。つまり、誰がどこでどういうふうに配分していくかよくわかんないという感じで助けてもらうんじゃなくて、自分たちがこういうものが必要だよ、確かに必要だねっていうことがきちんと行政に伝わって、配分されてくる。スウェーデンの場合は、例えば、分野ごとに団体が全国的に組織化されていて、それがロビーイングをするというより、定期的に担当官庁と意見交換をして政策を作っていくわけです。それがきちっとPDCAで回っているので、毎年、こういうことが課題だよねって、下から吸い上げる全国組織が、労組の交渉みたいなことを政府とするみたいな世界になっているわけです。そういう世界では、再配分が「お上」のものではなくて、自分たちが自分たちにお金をつけるっていう構造になっているわけです。
つまり、スウェーデンのやり方は、大きな意味での権利擁護になっているわけですよね。民主主義っていうのは実現すればするほど、「お上」の要素が下がっていくっていうことです。むしろ助け合いの原理とか互酬の原理で、政府を理解していくことができるんで、スウェーデンでは、福祉をオムソーリ(omsorg)、「悲しみの(分かち合い)」って言うんだそうですが、このことも、互酬性を表しているんだと思います。「情」ですよね。
だから、制度福祉だとそう決まっているから、お金が来るって言えばそうだけど、その背後に共感性があるということはすごい大事だと思います。 だから、僕が思っているのは、民主主義という概念を手がかりにすると、いろんなものが見えてくるということです。例えば、ユースワークとは何かとか、ソーシャルワークとは何かとか、それらがどう共通しているかみたいなことは、民主主義を手掛かりにすると、もっと具体化されていくということです。さっき、根本は一緒じゃないですかっていう話をしたわけですが、その国の民主主義の程度が表れるんだと思います。
竹久さんこそ支援もユースワークもやっている京都でユースサービス協会ならこのテーマどうでしょうか。
私達は生きにくい社会をともに生きている当事者
竹久 輝顕
なんかすごく共感する話だと感じていて。結局はソーシャルワーク、ユースワークでやっていること、手法とか、段階によっての関わり方とか、違いはあったりするけれども、前提としている社会のイメージは共通している部分があるのではと思っていました。両方とも権利をすごく大事にしてるんじゃないかと思っているんですよね。僕としては、ユースワークは余暇の権利保障だと思っているし、それを前提にすると、似てるといえば似てる。とはいえ、やっぱり場面場面によって働きかけ方がちょっと違ってくる。緊急性によって介入することは支援の方では、全然出てきたりはすると思うんですけど、ユースワークはやっぱり若者とともにあるみたいなところを前提にしてることが多かったりするなと感じている。
あと一つ共感したのが、さっき櫻井くんが佐藤洋作さんの話で、自分たちは同時代を生きている仲間だという話をしてたと思うんですけど、もう10年ぐらい前に福島であったあるフォーラムの分科会に関わっていたときに若者支援の話があって、当事者としての若者の話をしていたんですけど、そのときに「当事者とは誰か」という問いがありました。僕たちは若者を当事者として扱ったりするけど、それってそこを特別に見ていないかみたいな問いもあって。そのときに話されていたのが、「私達はある種生きにくい社会をともに生きている当事者なんだ」という話で。僕は「ああそうだな」と。そのときはちょっと若者だけを支援対象として見過ぎてたのかもしれないと思った。でも、ユースワークの観点も持っているからそこから離れたい思いも同時に思っていた。そこがちょっと思い起こされて、そうだったなと思って。
今は支援でもユースワークでもそうですけれど、僕はやっぱり、そこにいる人の主体をすごく大切にしたいと思っている。それは民主主義的な考え方とも繋がってくると思っているんですけど、それらはユースワークにも関わりつつ、ソーシャルワークにも関わっていて、相互の往還をしたからわかりやすくなったというのが自分としてはある。もう一方の観点から、もう一方を見るみたいなことが実は必要ではないかと感じていたことを、話を聞きながらいろいろ思い起こしていました。
津富 宏
そうですね。今日の話っていうのは、ユースワークとソーシャルワークは、同じだよってねって、こういうふうに何となく伝わっているように思うんですが、そもそも聞いてる方々がこれはユースワーク、これはソーシャルワークって思ってるものと同じものを私たちが意味しているのか、多分違うんじゃないかって若干思うんです。それをうまく伝えられるかどうか、わからなくて、その役は竹久さんにお願いしたいんです。
まず、思っていることを言うと、人は、基本的に脆弱なんだっていうことなんですね。脆弱であるかないかなんて切り分けることはそもそも困難だし、若者だから脆弱だということもなく、今の時代だからっていうのもあるけど、常に私達は何かにさらされて生きてるんじゃないかと思うんです。僕はよく講演させていただくときに、親鸞の言葉で「いし・かわら・つぶてのごとくなるわれら」という言葉を紹介するんです。親鸞は「人間なんてただ石ころみたいなもんだ」、「人間なんてちっぽけなもんだ」と言いながら、それで終わるわけじゃなくて、仏の力で連帯を作っていくわけです。何が言いたいかっていうと、ユースワークとかソーシャルワークってのは、僕の中では、こういう認識をもとに、我らが連帯し繋がっていく仕組みなんだと思うんですよ。佐藤洋作さんの言い方も、「同時代を生きている仲間」っていう表現にもこの価値観は出てるじゃないですか。普通は、ただ生きているだけで孤立しているわけなんです。そこで、「仲間なんだ」と呼びかけるというか、勝手に定義することによって、連帯しなきゃいけないことになってるわけです。
バラバラに生きて、勝手に1人ずつ寂しく死んでいくよとかじゃなくて、仏に帰依することによって私達はお互いに繋がり合うものとして生きられるということだと思うんですね。そういうものの媒介として、ユースワークないしはソーシャルワークがあるんだろうと思ってるんです。
ユースワークとソーシャルワークの一番の違いは何かっていうと、僕が思っているのはさっきの適応の話で言うと、ユースワークを移行期と連動させる議論があって、トランジションですよね。しかし、誰もが脆弱性を抱えているという前提を置くと、移行期とかじゃないんですよ。適応してまっとうな大人になること自体、そもそも難しいんだと思うんです。
だから、ソーシャルワークをベースにつまり、支援をベースに考えるとユースワークというのはどこかで終わるようなものでは、あってはならないんじゃないかと思うわけです。私たちは、青少年就労支援ネットワーク静岡としてずっとやってきましたが、確かに、当初は、「青少年」就労支援だったんですが始めて10年経つと、当初40歳とか35歳であった青少年は、もう50代になっていてですね、その中でうまくいってる人もいればうまくいってない人もいるわけです。一緒に始めた仲間の中には、既に高齢になって体調が悪い方もいるわけです。そういう同時代を生きるわたしたちが、佐藤さん的にも仲間として連帯をしていくっていうことが大事なんじゃないかと思っています。だから、ユースワークをことさらに強調することが、そういう視点を死なせているんじゃないかってのはすごく思うことです。
当事者性を根拠において社会を問い直していく
もう一つ思ってることはですね、みんなが弱者であるという前提をもちつつも、そこに主体性を付加するということです。そこで、何ができるのかというと、当事者という言葉をどう使うかが大事だと思います。誰もが当事者であると言ってもいいんですけども、当事者性を根拠において社会を問い直していくことが大事なんです。それは、セルフアドボカシーみたいなことを含むと思うんですが、自分ひとりで突然アドボカシーができるわけではないですから、いろいろとお手伝いしてもらってはじめてできるようになるんだと思うんです。そこで思い出すのは、かなり前に両角さんと行かせていただいた活動と、最近、奈良教育大学の生田先生と行かせてもらった活動です。どっちもドイツです。
一つは、移民が多い貧しい地区に住んでいる子どもたちが、自分たちの日々の暮らしを、プロの写真家に指導してもらって写真に撮って、私たちはこういう現実を生きてるっていうことを写真展にして全国巡回してるっていう活動です。これは、ユースワークの分野の取組みですが、子どもたちは自己表現を手に入れて、それは余暇の使い方でもあるわけなんだけが、こういう活動に、ユースワークとソーシャルワークの境目はないと思うんです。これが、普通に言うユースワークなのかソーシャルワークなのかっていうと違うのかもしれませんが。
もう一つは、生田先生と行ったところでお話を聞いたんですが、若いホームレスの方がたくさんおられるとのことで、支援をされているのですが、日本とはだいぶ違います。すごくお金がかかっていて、アパートの一室にひとりずつ住んでもらって訪問、伴走をかけるという支援をある団体さんがやっていました。ここからがユースワーク的でソーシャルワーク的な話なんですが、その子たちは、路上でお水が飲めない、食べ物がないとかですね、様々な危機にさらされながら生き延びてきたわけですが、それを一般の人や政治家は知らないわけです。確かにそんな暮らしをしていることは、ほかの人は、知らないわけです。本人は、元気でも何でもないんですが、人前で喋ることで調子が良くなったり、逆に、話して具合が悪くなることも踏まえつつ、ソーシャルワーカーが伴走して、当事者の若者たちの発表の場を作ったり、政治家との意見交換の場を作ったりということをやっていました。
こういう弱者の側からの一種の反転攻勢を仕掛けるということを、お金をもらってやっている大人であるソーシャルワーカーが手を貸すわけです。僕自身はこういうものなんだと思うんですよね。意見表明の背後には、家を用意するとか食べ物を用意するとか、頑張れば仕事できるように助けるとかそういう、いわゆるケアな支援は付いてるんですが、そこで終わらないってことがとっても大事だと思うんです。そこで終わったら、面倒を見られる側の人になってしまいます。ソーシャルワーカーの方々が、この人たちからまだまだ学ばなきゃいけないんだということを繰り返して言っていました。彼らが社会を変えるきっかけになるっていうことを言っていました。
だからこそ、日本にも、いろんな現場があるんでしょうけれど、目の前の人たちが脆弱であるということを前提にしつつも、その脆弱性の中に宝が隠れているので、私たちはそこからこの社会を問い直すということが増やしていくことが、ソーシャルワークでありユースワークであり、あるいは支援でありユースワークであるっていうふうには思っています。それを櫻井くんがどう受け止めるかなっていうのが、最初のお題だったんです。
櫻井龍太郎
すごく共感をしていて、世田谷に就労問題とかを取り扱うPOSSEっていうNPOがあるんですけど、そこの方がですね昔Twitterでエリート主導型のアドボケイト中心にした活動は「逆に抑圧的」なんだっていう話をしていて。そこに当事者性を含めて、一緒にその社会変革をしていくっていうことが本質的な取り組みだっていうようなことを話をしていたことがあって、それが僕はすごく印象に残っています。
もちろんアドボケイトは必要なことなんだけれども、そこに当事者とかその本人の脆弱性の中の宝っていうものをちゃんと伝えられてるかっていうことをは常に確認をしていかなければいけないと思っています。僕はソーシャルワークもユースワークも今、目の前にいる若者であったりあるいは様々な課題を抱えている方だったり、そこと共にある、ただ一緒にあるっていう中に見えてくる、今この社会に対する矛盾だとかそういったものに変化を及ぼしていく活動をしていくっていう点において、二つの活動の共通性だと思って共感をして聞いていました。
津富 宏
「道具化」しないみたいなことですよね。当事者参加をするって言っても、本当に一緒にやる。最初っから社会を変えてやろうと思って人を集めるのとは違うんですよね。さっきのカメラの話でも面白いなって、子どもたちが遊びとしてやっていないと意味がないですよね。
「出せない声」とユースワークはどうむきあう?
竹久 輝顕
津富さんのみんな脆弱なんだというところと、当事者性を根拠に社会を問い直すという部分はすごく共感する部分でもあったりします。櫻井くんのユースワークの話ではともにつくる、アドボケイト的なものもともにつくることが大事といった話でした。一方で、そういう声に出せない状況や段階もあったりすると思うんですけど、その取扱いってユースワークの範囲・範疇になると思うんです。その辺の捉え方として、本人がある程度喋れることを前提になってしまわないかと危惧したりもするんですが、お2人はどう捉えられるでしょうか。
櫻井龍太郎
だからこそユースワークは余暇があるっていうふうに思っているんですよね。いわゆる余暇の中に非言語コミュニケーションが多分に含まれているわけで、だからこそ音楽活動があるしアート活動があるしっていうことなんだと思うんですよね。そこで生まれてきた例えば演劇作品はどういうメッセージ性があるのかっていうことだったりとか、映像作品にどういうメッセージ性があるのかっていうことだったり、とかそこを根拠に訴えていく、問い直していくっていうことがやっぱり重要なんだろうなって思っています。だからこそ僕はユースワークの価値は大きいと思っているし余暇の権利保障をすることがどれだけ大事かってことですね。社会的排除下にあって余暇っていうものにありつけない、余暇からも排除されている若者たちが多くいる中で、そこを保障するっていうことが彼らの表現を保障するっていうことになるんだろうなっていうふうに思っているので、僕はユースワークに価値があると思っています。
津富 宏
すごいユースワーカー的な答えでしたね。まさにそのユースワークが余暇でありアートでありっていうことがなぜ大事かっていうと、自由な活動だからですよね。決められたことを練習しますとかではなくて、上達しますとかではなく、もう好きにやっていっていうのが大事だと思うんです。好きにやっていいというふうには思えない状況に置かれたり、これこれができないと駄目と言われてそれがうまくできてませんみたいななことが起きていたわけです。例えば発達障害とかある方もそうかもしれませんがど、それで自信がなくなってしまっていることがしばしば起きている中で、好きなことをしていいよって言うわけです。その人が物を作るとしたら、それがうまいかどうかとかも全然関係ないし、音楽も同じことだと思いますけど、何かやってみたいことを自由に取り組めるっていう状況があることが大事なように思います。うちの就労支援でもそうですが、そのうち働けるようになるってことは、いろんなところで起きてることで、やはり自分の気持ちを表現していいんだっていうことがわかるっていうことが大事だと思うんですよね。声を出すっていうよりも、まず何か物作りの中で一緒にやりながら喋ったりするんですが、そういう状況を作るっていう意味では、ユースワークというかどうかはわかりませんが、このプロセスが大事なんだと思います。
もう一つ僕が思っていることは、一定の時間をかけるってことがすごく大事で、今声が出てない段階の人にケアをするってことですよね。まったく喋れない方とか緘黙ですとか、お父さんお母さんの前では何も言えませんっていう方が、その人にも声があるんだという前提を置いて関わり続けることがすごく大事だと思います。だから声が出ていないときに、代わりに喋ってあげなきゃとかそういうことではなくて、この人にはもともと声があるので、それを待つというか、信じることが大事だと思うんです。ドイツのソーシャルワーカーを、僕はすごいなと思ったんですが、すごい調子悪い子たちが多いわけです。親から虐待を受けてる子だからホームレスになっているわけで、その子たちが人前で喋るって言ったときは、喋ると具合が悪くなる場合もあるわけですよね。でも、ドイツのソーシャルワーカーは止めないんだよね。ドイツのソーシャルワーカーは。その子が喋った後、絶対ケアしようという前提のもとで、喋るんだったら喋ろうっ、さあ行こうって言うわけです。この覚悟っていうか、多分、ワーカーも自分自身も病むことを前提にしなきゃっていうか。だからこそ、こういうことはすごく大事だと思うんです。あなたにはちょっと無理だから、やめときましょうみたいなことをしないっていうことは、すごく大事なことだと思うんです。元気じゃなくても喋れる、元気じゃなくても、その人が喋りたいんだったら喋るということを支援するってことです。
竹久 輝顕
何か話すというのも、本人が決められたらいいですね。タイミングも含めて本人が決められるものと思います。そこで時間(をかける)というのは、すごくそうだなと思いました。就労支援やひきこもり支援で関わっていたときに、支援者が何か次の動きを生むために、何か活動を入れるみたいな発想が出てくるのを聞くことがあったんですけど、それがいつも気持ち悪かったんです。それすらも本人のものなんだと、本人が本当に望んでるものなのか?みたいな問いを持ちつつ、話をきくのも話をするのもタイミングがあったりするし、本人にとっての段階的なものもあるかもしれないと思いながら、そこに付き合っていく。そんなことがすごく大事なんだろうと私は思うんですけど、何か結果を求めようとすると、やっぱり「何かできる」という方向に持っていったりしようとされがちなのはないか。そういうところに何かいつも違和感を感じてたというのを聞きながら思い出した。確かに自由な場とか時間をかけることとかをすごく大事にしてた部分だったなと思いました。
「移行期」概念からみる若者期の特徴とは?
津富 宏
適応概念に、ユースワークは寄りかかってるんじゃないかと思うんです。移行期という概念を使うことで。その辺は、どうにかならないのかと思ったりします。そうするとユースワークはなくなるっていう説を僕は言ったわけですが、もしユースワークに固有の意義があるんだっていうとして、適応概念を使わないでやれるのかなって、僕はすごく疑問なんです。
移行期って概念は、いずれ大人になるっていう前提を置いてると思うんです。若者期という定義自体が、子どもが大人に移り変わっていく時期という定義ですし、そこには固有の支援が必要だっていう議論をして、ユースワークを成立させるということがずっと行われてきたと思うんです。ところが、さっき議論されていたこととも、近いと思うんですけども、ユースワークは、ある正解がどっかにあって、それに向けていくようなことではありませんよね。あるいは、全ての人が脆弱だとすると、誰かが大人になったら脆弱じゃなくなるなんてこともないわけですよね。こんなふうに、移行期概念ってどこまで手がかりにしていいのかなってと僕は思っているんです。だから、いわゆる、トランジション・ピリオドっていうものを前提にして、ユースワークはその期間をやるんだと自己定義をしてるんだけども、その自己定義にどれだけの価値があるんだろうって思ってるんです。極端な話、ユースワーカーって名乗るってなんだみたいなことになっちゃうんだけど。
櫻井龍太郎
移行期のことで言うと、それこそ岡部茜さんが若者期のことを「依存構造の組み替えの時期」であるっていうような話を著書の中で書いていたかなっていうふうに思うんですよね。僕は若者期は依存先が喪失しやすい社会っていうのはその通りだろうなっていうふうに思うんです。依存先がそもそも少なく、喪失やすい時期だからこそ、そこに対してユースワークっていうものがあって、依存先の一つになっていくっていうこと。そしてさらにはそのユースセンターとかユースワークだけではなくてそのユースセンター、ユースワークからいろんな自分の依存先を獲得していくっていうようなことを思っています。僕なんかそれが「適応」だって言われたらまぁそうかもれないとなるんですけど。どちらかというと、僕の考えているところはそういう依存先が消失しているっていう状態の中でその依存先をともに作っていくことだったりだとか、地域社会の中にそれを一緒に作ってる「若者空間」を一緒に作っていくことだと思っていたりします。うまく言語化できてない気がするんですけど何となく今そういう印象です。
津富 宏
岡部さんの言うことはわかるんですが、現実の社会をどう認識しているかってことが、私なりの理解の背景に半分はあるんでしょうね。さっきのペストフの三角形で言うと、子どもの時っていうのは互酬の家族の中で支えられているわけですよね。そこから放出されたとき、ヨーロッパなら18歳から外に出なさいというとき、ヨーロッパでは若者政策がちゃんとあって、若者の時期を再配分によって支えつつ、その後はお仕事、つまり、交換の方で支えるというように依存先をシフトしていくっていうのが、元々ある構図なんだと思うんですよ。しかし、依存先が、例えば、企業でもあるいは国でも細っていってるんだと思います。だから、かつては若者期っていうのはかなり明確に存在していたところが、社会が変化して「永遠の移行期」を生きざるを得なくなってるっていうのが僕の感覚に近いです。だから、岡部さん的にいえば、永遠に依存先を組み替えていったり、探していったりロストしたりっていうことが繰り返されるんだと思うんです。
だから、その時期をユースワーク的に、実際、日本のサポステなんて、どんどんどんどん(年齢上限が)上に上がって、今45歳まで上がっていると思うんですが、そういう時代において、何がユースワークなんだって思うんです。ユースワークって多分25, 6歳くらいを上限に限定していると思うんですが、それを限定する価値はどこにあるんだろうって思うんです。
竹久 輝顕
本当に大人になるっていうのが難しいというか、みんなが脆弱だっていうところはすごく共感するところではあるんですけど。何かそもそも大人になるとはどういうことかを問い直したいなと思っていたところでもあって、移行期という言葉は自分でも使ったりしているんですけど、さまざまな移行段階で、しんどくなったりとか、繋がりが消えてしまったりとかいうことが起こりやすいということは1つ言えることだと思うんです。それが別に若者期だけじゃなくて、その先も続いていくんだと言われたら、確かにそうだなと思ったりもしつつも、それが顕著に起こっている時期と若者期は言えると思っている。それとともに、「大人になる」の概念が変わってきているのではないかという見方をしていて、従来の「大人になる」とは現在はちょっと違うのではないかと。そういう意味では、苦しみながらも、いろいろ大変なことがありながらも、何とかやっていけるみたいなところが大人だと言ってしまうのもありなのかもしれない。その辺はだいぶ前ですが、中西新太郎さんがそういう話をされていたと記憶しています。つながりを持ちながら、なんとかやっていけることが大事ではないかと。大人になるとはどういうことかというのも同時に議論されなければいけないと思うと、「子どもとは何か」「大人とは何か」が大事で、その間にある若者期はそれらを明示しないといけないので結構大変だなと思います。
津富 宏
聞きながら気づいたことは、いわゆる若者期とされてきた時期と、その後の40代50代の唯一の違いは、自分をより先行くものが非常に明瞭な時期と先を行くものがだんだん減っていくような時期は違うんじゃないかということです。要するに、若者期なら、手探りをしたときに、少し先を生きている人たちが目に見えたり、場合によっては手を貸してくれたりする。つまり、依存先が非常に不安定だという状況においては何も変わらないかもしれないけれども、自分たちがどうかしていこうと思ったとき、その上に30代40代がいること自体が、若者期の特徴なのかなって。若者の側からしてみれば、何かの参考にしたいなとか思うでしょうし、その先を行く人間からすれば、同じく脆弱であっても、少しは乗り越えてきた者として手を貸せるかなとも思うかもしれません。そこが違うのかなって思ったりしました。
移行期の議論は、宮本みち子先生から教えてもらいました。宮本先生の『若者が社会的弱者に転落する』は、移行期について書かれた本だと思います。移行期が長引いてきて、少なくとも非常に脆弱な時期になる。ヨーロッパで脱工業化社会化しつつあったときに、失業率がぐわっと上がってきたわけです。未だに高い国もあります。それに対応しようとしてできてきたのが若者政策ですよね。それを日本は遅れて経験してるけれども、元々福祉国家のベースがないので。ヨーロッパ的な対応もできずに混迷しているっていうのが私の理解です。
その適応の形がまるで一つなのか同じカテゴリーなのかという点は、完全には理解してないところもあるんですけども、適応感みたいなもの自体が変動するのは間違いないだろうなと思っています。私は、犯罪学の研究者なんですが、犯罪学の理論の中で、ロバート・マートンっていう社会学者の「アノミー論」っていうのがあります。この理論では、特定の社会では、社会的な目標というのが設定をされていて、それを文化として学ぶんだけれども、その目標を達成する手段はみんなが手に入れられるかっていうとそんなことはないというわけです。適応っていう言葉を使えば、不適応な人々が生じると言う意味です。例えば、アメリカであれば、黒人であるとか貧困層は豊かになるという目標は手に入らない、よって、犯罪を犯しやすい、簡単にいえばそういう理論です。
単一価値観みたいなものが不適応を生み出すんだということを言っていると同時に、その目標達成の手段が不平等に分布していることが問題なんだっていう話でもあります。この理論は、今日の話ともつながってるなと思います。日本の場合、適応形態を多元化すればいいのかっていう意見もありますがそう簡単ではないと思います。ご存知の通り、ひきこもり支援をされている方が、別に働かなくてもいいだよと言ったりしますが、働くにあたっての手段が不平等に分布していること自体を問わなきゃいけないですよね。それは、さっきのアドボカシーの話でもあると思うんです。
櫻井龍太郎
チャットに来ているコメントについてなんですけども、何か若者期においてそれは僕の原体験もあるんですけど、やっぱりこんな感じで生きてけてる人たちがいるっていう感覚を得たことがあったと思います。僕がプレーパークとか出入りしてる時、「この人たちってどうやって生きてんだろう?」みたいな人たちばっかりいたんですよね。例えば僕が東京で働いたときのユースセンターで、「なんか俺別に明日、今日この仕事がクビになってもなんか何とかなる気がするわ」みたいなことを、当時の大学生に話したときなんかすげえみたいな顔をしながら「それどういうことですか」と聞かれたんですよね。ユースワークの中でやっぱりいろんな人たちと出会えるそういう瞬間がやっぱりある、作れるっていうのはこの人たちって自分より先に10何年20何年先に生きているけれども、こういうふうに生きてきたんだな、みたいなことを知れるっていうことが若者期だからこそできると思っていて、そういう瞬間を、ユースセンターの中で多分に作っていくっていうことがユースワーカーの役割のひとつかもしれません。ある意味、ユースセンターにこだわらないみたいなところが大事だなと思うので、この地域社会の中にどういう人たちがどう生きてるのかっていうことだったりだとか、そういうことを何か知っていくと、そういうモデルになる部分もあれば、ある意味でいろんな矛盾とかこうはなりたくねぇみたいなものとかもたくさん出てきます。そこに対して疑問に感じたことは問い直していくっていう、そういう瞬間を作っていくっていうこと。それはでも若者期だからこそできることなのかなっていうふうには、このコメントを拝見して思ったことですね。
津富 宏
何歳になっても若者気分なところもあるけど、ちょっとは違うかもしれないし。ところで、プレイパークって治外法権なわけじゃないですか、短く言うと。だから、いわゆる適応と違う適応なんだよね。 そこに来てる大人っていうのは、だからおそらく適応モデルの多様化が行われているんだと思うんですよ。僕の中では大事な概念が「解放区」っていう概念で、そこは自由でいいんだってことが保障されている、別の価値観が存在してていいんだ、少なくとも主流とは違う価値観があって、そういう場が成立することによって、反転攻勢が可能になると思ってるんですよね。例えば、もの言っちゃいけないよて言われてる人に、いや別に言っても大丈夫なんだよって言ってくれる人たちがいるとか、俺たちの住んでいる、馬鹿にされてる地域なんか本当になんもないて言う人に、いや君たちの地域に面白いとこいっぱいあるから写真撮ってきなって言われるのは全然違うことだと思うんですよ。解放区なのに、そこで「モデル」って言ってしまうとなんか真っ当な人っぽいじゃないすか。
この点は、本当に大事だなと思ってて、だから最近の動きで言えば、僕は、お金の流れとそのお金を出してる人たちがどういう価値観を持ってるかっていうことが、そこにおける適応を規定してる部分がすごくあると思っています。例えばユースセンターを作りましょうって言ってた人たちがどういう価値観を是としてるかですよね。どうやって生活しているかがわからない大人が大量に来た方がいいというような価値観を持ってるのか、それとも、最近、VUCAとか社会がどんどん変化するとかとかって言いますが、そういう社会に適応できるような大人になっていくといいよねっていう価値観を持ってる人がお金を出してるんじゃ全然違うと思うんです。だからそこはよく気をつけながらやらないと、櫻井さんが通っていたような解放区には必ずしもなっていかないと聞いていて思いました。
竹久 輝顕
確かにそうですよね。若者だけではなくて僕らもそうかもしれないけど、なんかある種の当たり前みたいなものの中に押し込められようとしてきている流れを踏んできていると感じている。そこから離れられるような、モデルというより僕はサンプルみたいな感覚で捉えてるんですけど、サンプルに触れながら自分自身はどうかが見えてくるみたいなことが起こると面白いかなと思っているんです。そういう意味で、15年ぐらい前ですけど、「当たり前じゃない生き方実践講座」みたいなのを担当していて、よくわかんないけどいろんな生き方をしている人を呼んできて話を聞きながら、結局それをやってくださいと言いたい訳でもなく、それを聞きながら自由に感じたことを出し合う場をつくったりしてたなというのを思い出した。自分がそうなんですけどいろんな人がいた方が面白い、いろんな生き方をしてる方が面白いと思ったりする。そうなったらいいよとは言いたくはないけれども、そういうのに触れると感じるところあるかな。僕自身がそういうのに触れたときに、思うことがすごくいっぱいあったりするので。その人になりたいと思うことはないけれども、この人のこういう考え方は面白いなとか思ったり、関連すること自分もやりたかったかも…というように、対比的に見ながら感じたり、考えたり。なんか違うなと感じることもあるけど、その違うと思う根本は何だっけ…ということに気づけたりした過去があった。そういう意味で、他者の生き方や価値観に触れるのは大事だと思っています。ただ、それを「させる」感じにはしたくないとも思っていて。(世間には)意図的に何かさせようとする取り組みもあったりするけれど、ちゃんと自分で選択していけるような設えになってるかも同時に問いたいなと思っていて。僕らの中につくられている「当たり前」を問いながらやっていく前提になっていると、比較的若者の主体を奪わないでやれるかなと日々考えたりしてるんですけど。
その場、地域、社会をつくっているのは誰かを「感じられる」ように
津富 宏
今の話を聞いてやっぱ自由度を上げるのが大事なんだと思うんです。いろんな話を聞くたびにサンプルが増えるので自由度が上がるんです。同時に思うのは、プレイパークって基本的に地域の人が支え合ってやってるものですよね。スウェーデンだと、それを国が背後にあって支えているみたいな話をしたと思うんですけど、何が言いたいかっていうと、子どもからすると、そこでいろんな人に出会えるということは、その背後にみんなが支えている場というものがあって、その場があるからこそ出会えるわけですよね。最近っぽい言葉で言えば、コモンズが存在してるわけです。子どもたちも、このコモンズを支えている人たちがいるということは薄々は感じると思うんですよ。
例えば櫻井さんはプレイパーク出身ですって言い方をよくすると思うんだけど、京都市ユースサービス協会もみんなのお金を出し合ってやっていて、そういうみんなでお金出し合ってるところが、そういう「ふざけた」講座をやってるわけですよね。言い方が悪いけど、子どもというか、その講座を受けていたり、プレーパークに参加したりしている人たちが、世の中の大人たちがどういうコモンズを保持してるんだっていうことを知るということが民主主義の話だと僕は思うんです。話を回収すると、そこまで子供たちが感じられると、単にお話を聞いて面白い人がいたねを超えて、民主的な主体として育つと、こういう場は維持しなきゃいけないとなってくると思うんです。ちょっと間違えると、さっきの大人、面白いねとかいう講座だって、キャリア支援か何かにすり変わってくるわけです。誰がお金出すかという話は、何が背後にあるかっていうことと、質の問題ってのは連動するんじゃないかなって思いました。
櫻井龍太郎
僕はよくプレーパークで子ども時代遊んでましたとか児童館で遊んでましたとか世田谷でいろんな市民活動の人たちにすごいもみくちゃにされましたみたいな話とか、僕のアイデンティティのひとつにしてるのって、ああいう人たちが作った、だから世田谷ってああいう感じなんだって、多分あそこで活動した人しか何となくニュアンス伝わらないような気もしなくもないんすけど。というような感覚って今まさにこのコモンズをあの人たちが、ああいうふうに言ってたから、こういうふうになったんだみたいな、そういうようなことがあったなって思っています。そういう、社会を誰かが作ってる社会じゃなくて、この人たちが作ってる社会なんだっていう、そういう現場を作っていくっていうことは大切にしたいなって。これは運動論とか市民活動論みたいなところになっちゃうのかもしれないけれども、ユースワークってすごくそこの部分が大事だろうなっていうふうに思ったりしています。
竹久 輝顕
面白いなと思う。ふりかえって思うのは、すごく社会の話に繋がっていくんだなと。ローカルな社会のあり方ってすごく影響を受ける部分と思っていて、それがもっと広い社会から受けてるものとはまた違う価値観だったりすると、こっちの価値観とあっちの価値観で違うみたいなことが起こりうる。その中で何を大切にするのかというので自分の価値観も見えてきたりするのかもしれない。自分がそこにいたらどうだろうと思いながら聞いていたので、今話してる話の流れと少し違うかもしれないけど、どうなんだろうと思いながら話しました。
津富 宏
なんかちょっとさっきの、この人たちが作ってる社会って、さっきの反転攻勢の話もある意味、、先輩から見るとそういう後輩を作っていく活動でもあるのかなと思いました。意図的に誘導するわけでもなく、先輩の側は勝手にプレーパークをやってるわけだけど、それを見て、こういう社会がいいなと思う人たちが育つわけですよね。
そういう意味での「仲間」的な意味での後輩作りでもあるんだなと思いました。なぜそんなことを言ってるかというと、今日、この会に参加する前に、渋滞の中で、青少年就労支援ネットワークの仲間と予行演習をやってたんですよ。そのとき「ユースワーカーに求められる資質は何ですか」っていう質問をされて、僕が最初に答えたのが、「市民社会の担い手としてとしてちゃんと大人としてアクションしてること」って、直感で答えたんです。今の話は、その話とすごい似てるなと思って。予行演習のときの質問では、子どもとの関わりとか、そういうことを想定されて質問されたのかなと思ったんだけど、子どもと関わる場面以外のところで大人として地域社会に責任を持とうとしてるか、具体的に何をやってるかっていうことが、ユースワーカーの資質じゃないかって答えたんです。なんか、今櫻井さんが言ったことと、すごい一緒だなと思って。
社会資源、行政のあり方、若者への目線の地域差
津富 宏
櫻井さんに質問したくなったんですが、僕も東京で育って、静岡で割と長い間いろいろさせてもらって今、石巻に行かせていただいてるという立ち位置でみると、「世田谷っていうのは特別だ」感ってやっぱすごくあるんです。「東京の一部の地域が特別だ」感があるんですよすごくね。櫻井さんの場合、福島に行かれたときに、どっちが正しいとかじゃなくて、どういうふうに過去の経験が、新しい場に整合されながら生かされていくのかを教えてほしいんですけど。
櫻井龍太郎
僕は世田谷から郡山に引っ越して、やっぱり一番びっくりしたのは、世田谷にいた頃は、こういうことやりたいなってつぶやくと、できるんすよ。いろんな人たちがそれだったらこれ使えなよとか、あれ使えないよとか、助成金これ使えないよとか、これの書き方教えてあげるよとかって、そういうのがすぐわき起こっちゃうんですよね。みんながあれやこれやっていうふうに言って、そこに乗っかってたらいつの間にか自分でNPOを作ってるみたいな。そういう感覚だったんですよね。
それが郡山に越してきて、東北人ってなんか奥ゆかしい感じがちょっとあったりとかもする人との距離感の差とかもあるのかもしれないけれども。今、我々やっとNPO法人こおりやまこども若者ネットワークとして30の団体・個人に加盟してもらって一緒に活動するってことができていますけれども、僕は郡山に越してきてからまだ6年ちょっと足らずなので、その前のことも含めて全然理解はできてないっていうふうに思いますけど、うちの代表の鈴木の話とかを聞いたりしても、ここまで市民的活動を繋げられたっていうのはすごく時間もかかったし、高いハードルを越えてきてやっと繋がったっていうような感覚があるとのことです。それは僕自身もこの6年ですら感じるっていう部分があって、本当にちょっとつぶやいたことであれよあれよといろんな人たちが繋がって、実現できるような場とか市民活動が生まれやすさみたいなものの地域格差を感じました。だからこそ僕は世田谷を出てよかったと思っていて、ある意味こっちで活動を作るってすごく大変なことだなっていうふうに自覚をして、でもだからこそ、僕みたいな経験した人がここにいることで言い出せることがあるのかなっていうふうに思ってやってはいる感じです。そういう差異はすごく感じました。
もう一つ挙げられるのが行政の市民を見る目が全然違うってことですね。世田谷の行政職員はどれだけ市民が何を考えてるか、どういう意見を持ってるかってことをすごい気にする。逆に言うとすごい気にするが故に、市民の声一つで裏返ったりとかもするんすけど、そこのところはまあ善し悪しではあるかもしれないけれども、やっぱり郡山は本当に行政が作ってる。市民が作ってるって感覚はないですよね。でもそれを今うちのネットワーク体が行政と協働でのワークショップとか、計画作りみたいなものを仕込んでやれてきているってことは何か一つよかったとか変化をもたらすことができていることかなと思っています。けどやっぱり行政が握ってるものがたくさんあるかっていうふうにすごく感じましたね。
竹久 輝顕
私自身も京都市から石巻市に行って、行政の反応の違いがあったなと思ったことがありました。両市が全然違って、人口的にも10倍ぐらい違ったりするので、規模感的な話も含めて、石巻市は行政が意外と近いなと思いました。ただ、ユースワークはもちろん知られていないですし、若者に対する比重の置き方も全然違うなと思って、やはり「大人と子ども」という見られ方をするんだなと最初行ったときに思いました。それとショックだったことは、子ども・若者総合相談センターの立ち上げ時期に石巻に入ったので、そこでの関わりとか行政や支援者とやり取りしてたんですけど、障害のある方への地域の捉え方が、なんか一昔前みたいな感覚があって、障害があることが恥ずかしいとかいう話を聞くことがあったり、障害者就労も「身体のみ」という話があったりして。なんかそういう意味での「ともに」という感覚からいくと、なんかちょっと違うのかなと思ってしまった。とはいえ、支援者の多くは、すごく積極的に何とかしようと頑張っていたりしたので、そういう意味での都市的な感覚と、地方での感覚の違いのようなものもあるのかなとか思いました。どちらも一長一短で、最初のうちは不思議な感覚で過ごしてました。
書いていただいたコメントについてですが、なんか難しいんですけど、当事者感を若者の方にだけ持ってしまうと、見え方がすごく偏ってしまうみたいに思っていて。いろんな観点で見ながら、最後は若者の視点では、ともにどうするかと考えるんですけど、最初から若者だけを支援対象として見ようとすると、何かちょっとズレが生じる。違う側から見たらどうなのか、同じ立場と考えたらどうなのか考える中で見えてくるものもあったりする。
あと「(一方的に)若者を支援する」というところにばかり自分の意識が向いてしまっていないかという問いもあったりして。僕自身は極力「ともに考える」ようにしている部分でもある。そして少し俯瞰的に見ながらでも若者の主体を大事にしながらやっていくにはどうすればいいか考えたりしていた。また、ケース会議とかだと、異なる専門職も入ったりするので、若者視点ではなく、違う視点から語られることが当然あったりとかするわけで、そこは若者視点にこだわって、本人の観点ではどうかを伝えて多視点で捉えられるようにと思っていました。自分なりの捉え方の部分で何か陥ってしまってないかを気にしていたという話です。
津富 宏
何に陥ってる感じなんすか。
竹久 輝顕
なんか支援対象としてだけ若者を見てしまっていないかというところ。そこに陥りがちだと思っていて、自分自身そうならないでおこうと心がけるようになったということです。
津富 宏
うんそれは当事者として扱うことでバランスが取れていくってことですか。
竹久 輝顕
そうですね。ある種のもう少し広い意味での当事者という視点に立って見ていくことと、その若者を当事者と見ていくことの往還は必要かなと思っています。
津富 宏
そうですね僕もさっき聞いたら若者だけが当事者なわけではないっていうところはすごくそうなんだなと思って聞いたんです。ところで、チャットのコメントに答えていただけますか。
ユースワークは有用性とどう距離をとりうるか?
櫻井龍太郎
ユースワークに有用性はなくていいっすよね。だからこそそこが一番ユースワークの難しいところで、どこからお金を取ってくるかみたいな話になってきてしまうんですよね。それが今日の冒頭で話をしていたような余暇の権利保障っていうものとか、民主的な営みを作るっていうことが本当に日本の中だとそれが社会的な価値にはなってないと思うのです。なってる自治体もあるから、ユースセンターとしての価値観を大事にしてるユースセンターがちゃんとできているのかなっていうふうにも思うんですけれども、ただユースワークが有用性と近づいたときに、多分ユースワーカーはユースワーカーらしく動けないだろうなっていうふうに思うんですよね。それは若者たちが自由であるため、それこそ今日の解放区っていうキーワードとかもありましたけれども、若者たちが自由であるっていうことを保障するためには、若者たちにとって何か変化を強いることだったりだとか、いわゆる成長みたいなものを促すみたいなこととかっていうこととかって全て結果論、副産物であるんで、そこを目的にはしないはずなんですよね。だからそうしたときに、ユースワーカーが、それをそうししなければならないっていうような評価にさらされるっていうことはユースワーカーの自由を奪うことになる。ユースワーカーの自由を奪うってことは、イコール若者たちの自由を奪うことになるので、そういうものはユースワークとしては距離感を取りたいなっていうふうにはすごい思います
津富 宏
それを実際にどう実現するかは、結構な問いですよね。僕は、静岡県立大を離れたばっかりなのはご存知だと思うんですけど、県立大で僕はキャリア支援の担当で、どちらかというと竹久さんがやっていたような講座をやってたんですよ。いなくなった瞬間、全部、キャリア支援が就職系に切り切り替わってですね、就職支援会社の人がその授業をやるようになったんです。面白くないというだけじゃなくて、そういう授業をすること自体、社会はこういうものですよっていうメッセージ性があるわけですよね。何を言っているかっていうと、有用性って何だろうみたいなことです。ある人々が有用と思ってることが本当に有用なのか。有用性というものを問い直す言説とか装置をある程度作っておかないと、簡単にひっくり返っちゃうんじゃないと思うんです。
ユースセンターもその装置としてすぐはなくならないものであれば、そのとおりだと思うし、僕らは「有用性とは何か」自体を、社会ではこれが有用性とされてるんですよねっていうこと自体を取り返さないと駄目だと思うんです。スウェーデンでよく思うのは、若者たちは、これまでの社会で言われていたことと違うことを意見として持っているかもしれないけど、それを取り入れること自体は、未来の社会にとっては少なくとも有用で、さらには、今の若者にとっても有用だって考えるということです。さっきのドイツでは、ホームレスの若者について、システムから排除されたって言わずに、(主体的に)「システムから跳びだした」っていう、あえてそういう表現をして、跳びだした人たちがシステムを問い直すという構図というか絵の書き方をしてるんですよね。だから有用性をどう問い返すかっていう仕掛けをユースワークは持たないと戦いづらいなって思うんです。
竹久 輝顕
有用性は難しいと思いながら、僕はもうそれは単なる結果でしかないと思っています。目的と結果を履き違えないようにしないとユースワークではなくなっちゃうぐらいに思っていて。権利保障とか、ユースワークとして大切にしたいことをベースにやっていった結果、何かいろんな面白いことが生まれるらしい。ただし、それを目的化して、誘導してしまったら、もうその時点でユースワークではなくなってしまう。何か面白いことが生まれるらしいというところは、ある種の有用性かもしれないですが、それを目的化しないことも僕らは同時にしなきゃいけない。たまたまそのときには起こったけど、違うときには違うようなことが起こるかもしれない。けど、自由にやってると、なんか若者の中から何かが生まれるらしい。最低限そこの部分だけは言えると思ってますけど、それ以上は言いにくいですね。
津富 宏
さっきのアートみたいなものですよね。一緒にやってみれば、そこになんか僕らが感じ取らなきゃいけないメッセージが含まれているっていうことだと思います。敏感であれば、それを活かした、それを受けた様々な政策が打てないことはないと思うし、僕らの接し方も変わると思います。最後に一言、竹久さんからお願いします。
おわりに
竹久 輝顕
全般的に面白いなと思っていましたが、結局はやっぱり民主主義的な社会の話と、やっぱり自分は問い直しの部分が大事だと思っていて、結局そこに行き着くのかと思って。それがやっぱり大事なんだと再確認できて良かった。どうしても支援とユースワークを並べたときに、そこの共通と相違は何なのかという根本的な問いがあって、それが明確に捉えていけたらなと。今度のユースワークキャンプでも、そういう話に繋がっていくといいなと思っています。
僕自身はユースワークの本質は何なのかというのは、どこかでちゃんと確認しないといけないと思っているんですよね。ユースワークキャンプでの共通性と多様性みたいな話は去年も今年もベースになっていると思うんですけど、何かそこのコアな部分は固定のものがあるのではないかと思っていて、そこは明確にしていきたい。ユースワーク的な活動をする人の集まりではあるし、広く見たらユースワーク的な活動のネットワークとしてすごく共感します。けど、足し合わせたものでも最大公約数でもない本質は何か。そういう話とも繋がってくることが今日の話の中でもあったかなと思っていて、次がちょっと楽しみだなとまた思っています。
津富 宏
今日はありがとうございました。僕はいわゆる支援をしてきた人ですが、ユースワークはユースワークでよく知っていて、スウェーデンで見たユースワークにケアの様子がないかっていうと、困ってる子がいるからあるんだけど。やっぱり、日本でやってる支援とは目的が違うもので、民主主義がそこにあるみたいなことですけど、それじゃそれがどう繋がってるのかっていうことが、見えてきた気がしました。すごい短くいうと、やっぱり櫻井くんはハードロッカーだっていうことですよね。
ユースワーカーはハードロッカーだって、僕の中では自由度を拡張する人だっていうことですよね。自由度を拡張するっていうことが、脆弱な人々がいたとしても重要で、自由である、その場でその人たちがより生きやすくなって、それが支援にもなっていくっていう、そういうポジティブ・フィードバック・ループが働くようにしないと、支援が依存性を高めていくようなものになったりとか、あるいはシステムは何も変わらないままだったりとかするんだと思うので、ユースワーク的な要素というか本質を、きちんとケアの部分に入れていくことがケアを進化させるんじゃないか、ってのが今日思ったことです。元々は違うものだからこそ、足すことに意味があるのかもしれないけど、ただ違うもので終わらせないで、ユースワークの中の本質の部分をきちんとソーシャルワークのケアの部分に入れ込んでいくことが、新たな社会に繋がっていくのかなと、そんなことが言語化できた気がします。
津富 宏
そういう意味でやっぱりユースワークキャンプは、昨年度出て、曖昧にするのはすごい嫌いなので、ユースワークにはいろいろあるとかいう考えは許せないと思いました。僕自身はユースワークとは何か、本質は何か、今日の話では、その本質が、ケアにも役立つとか、そういう議論の仕方をできたら今年度はいいなと思って楽しみにします。
櫻井龍太郎
はい、ありがとうございます。まず感想からなんですけれども、プレイワーカーと話をしていると彼らが語っている中で、プレイワークというものが概念論でもあり、方法論でもあるっていう話をしていたことがあって、プレイワークっていうのはこういうものでこういう価値観のもとこういうことを実現するためにあるっていうものと、それを実現するための方法があって、その方法っていうものはいろんなものに応用ができるって話なんすよね。
例えばユースワークの中にプレーワーク的な方法を取り入れることができるのがあったりするわけなんすけど、今の話の中でちょっと思い出して。なんでかっていうとユースワークも、ユースワークとはこれである、ユースワークの本質はこうだっていう概念論がまずあって、その上でユースワークとその概念を実現するための方法論があるわけですよね。例えばなんですけれども、校内カフェみたいな取り組みとかっていうものはその方法論を使ったあくまでユースワーク的な活動なんだと思うんですよね。
なのでちょっと概念とはやっぱ距離感があるわけだと思うんですよ。そのユースワーク的な活動とユースワークの本質的な部分のところの差異みたいなものは、それはユースワークもそうだしソーシャルワークも同じくあるっていうことだから、その概念論と方法論っていうものをちょっと組み分けて考えていく必要があるのかなっていうのを今日の話を通して感じたところがあるのでそんな話も含めて今後できたらいいなっていうふうに思いました。
津富 宏
はい今日参加してくださった皆さん、話し相手をしてくださった皆さん、そして、裏方の皆さんありがとうございました。こういう話ができる場はとても大切だと思っています。今日は来てウズウズした方は一層ですね、キャンプでお話しましょう。ありがとうございました。
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