#1 初めまして 〜サガン鳥栖と暮らす〜
初めまして、ユースケといいます。
このnoteではtwitterでは書ききれない、もしくは、こちらの方が読みやすいと思ったサガン鳥栖のことを備忘録的に書き連ねていこうと思います。
昔、サッカーブログを結構書いていた時期があったんですが、忙しくなって書けなくなってしまって。クラブも変化の年を迎えましたし、今は昔と違ってスマホでもパパッと書けるのでリハビリにお付き合いいただけると幸いです。
さて、自己紹介も兼ねて私とサガン鳥栖との記憶を掘り起こして見ようと思います。
twitterのプロフィールにも書いてますが、子供の頃はフューチャーズを良く見に行ってました。
県総合グラウンドや小郡が多かったですかね。松永が移籍してきたり世界的な名選手タタウがいたり懐かしいですね。
鳥栖スタジアムのこけら落としの試合も見に行きました。何歳くらいだったかな?あんまり覚えてないですが負けた事だけはハッキリと覚えています笑
高校卒業と同時に上京し20代の全てを東京で過ごしました。主に関東アウェイ観戦ですね。
当時は関東まで来られてるサポさんが20人くらいしかいませんでした。少しでもサガンブルーで染めようと、ゴール裏の隅っこで申し訳なさそうに見ている我々関東勢に声を掛けてくれて、青いビブスのようなものを配ってくれました。こういう鳥栖サポの暖かさは今にもしっかり引き継がれていて素晴らしいですよね。
レプリカユニは当然東京では手に入りませんでしたし通販も無かったので、新宿のKAMOで奇跡的に見つけたときには大興奮して即買いしました。
社会人になって大学時代の仲間とフットサルをする時にいつも着ていたんですが「何それどこのチーム?」と言われていたのはいい思い出です。
何と言われようが着続けましたよ笑
あの頃は自分が生きている間にJ1に上がることはないんだろうなぁと思ってました。なんせ40試合以上もあって3勝しか出来なかったシーズンがありましたから。
そしてそんな思いを知ってか知らずかJ1に昇格するわけですが、そこからどんどんプロクラブらしく発展していく様を目の当たりにしました。
たまの帰省の時にはホームで試合があれば必ず行ってたのですが、以前は余裕で買えてたチケットがだんだん買いづらくなったり、サポーターもどんどん増えてアウェイに来られるサポさんも爆発的に増えました。
クラブハウスが出来たりグッズショップが出来たり、ユースの寮ができたり、まさに急成長。昇格してから一度も降格していないのは本当に素晴らしいことです。
いろいろと言われている竹原社長ですが、サガン鳥栖をここまでのクラブに育て、常にJ1の舞台に居続けている功績まで否定されるものでは無いと個人的には思っています。
いつか竹原社長の事も書いてみたいですね。ちょっとしたエピソードもあるので。
で、30歳になり家業を継ぐために佐賀に戻ってきてから、やっとまたホーム観戦ができるようになりました。
生まれ育った地にプロクラブチームがあり、暮らしが共にあるって本当に素晴らしく誇らしいことですね。一度佐賀を出ているので余計にそう思います。
と、まぁ長々と自分語りをしてしまいましたが、振り返ってサガン鳥栖の変遷を追うのも面白いかなと思って書かせていただきました。
それではまた。
【関連投稿】スクールコーチをやっていた時期のことを書きました。