attackする仕事defenseする仕事/生きる知恵9
時間の使い方の話です
守る仕事というのは顧客が訪れない限り
仕事にならない訳です
商品を欲求してることに際して
商品を提供する
商品は対象物だけだとは限りません
知識や気持ち
心のモヤモヤの解決だったりするのかもしれません
昨今の世の中は自己実現を浮かべるよりも
搾取する情報量の方が多くなり
情報に溢れてる世の中照準をみつけ
救われてる様な気持ちになる人は
いるのかもしれません
満足感は人それぞれですが
幸せのアピールで
人は人に承認された様な気分になり
間違ってなかったと気持ちになるのかもしれません
そこに落とし穴があると思います
評価の不一致が有ります
形として評価されるのは気持ちでしょうか
それとも金銭面でしょうか
でも実際に揉み込まれてる現実社会は
リアルを体感しようとしません
自ら演者にならないで
演者をしてるactorと創作物
自分を照らし合わせて
主人公と隣り合わせに真似事をするんです
それで心が躍る
翼が生えた様な気持ちになる
しかし結局
現実世界に戻り社会の中の一員になる
人は兎に角
嫌な事から逃避します
教育課程の動画を観て居ました
それは根本的に主体性を身に付ける
教育課程が日本に備わって
居ない事なのかもしれません
皆がしてる事は
その場の教室に身を置けば
とりあえず時間は経って
気分だけは味わえます
勉強をしている気分になれるんですよね
大きい括りの中に
頭が良い生徒と悪い生徒が居たとしても
業として成り立つ様なのが
日本の教育です
一斉に板書で与える時間は今現在一番考えたい事を我慢して青天井を失くします
実際に授業を与えられて悩みはある程度は時間が解決するから
忘却が一時的な心の平穏に繋がることだってあるのかもしれません
しかし主体性のある学級は違います
そんな
教育課程の大改革(レボリューション)
を踏まえて大人がする事はなんなのか
そもそもこのニュースpicks
の動画は大人にも当てはまります
主体性が及んでない人は人を貶めた
上に立とうとします
簡単にいうと自己アピールの方法が
自分のスキルアップの向上の
公表をしないで今現在の沢山の
醜態をわざわざ晒した上に
それを滞在威力とします
なんとなく1人じゃない
自分のせいじゃない
自分を育てたここが悪いんだと
救いの一手にして
与えられた事に対してクレーム
を言いつけるのです
決定権を獲得する前に
その横の繋がりのカウントに
苛まれて一般的に被るのが
SNSの一つの大々的な山だと思って居ます
ですが
僕自身の得意な仕事は
自分の個性で人に1人ずつ承認を
していただく事になります
もちろん自分自身も承認欲求は有ります
けど自分の個性を活かせるのは
1人ずつという気持ちは有るのです
逆に不得意な事は
社会の中の侘び寂びがない
ネットの一員の一人に染まって準ずる事
こんな一つの選択肢を歩み間違える
だけで日頃の生活の価値観も
変わってきます
先の目標が与えられると
人は甲斐性を身に付けて
一生懸命に自分に従うことになります
日本社会と仕事に染まる昭和だったら
僕は生きれてないのかもしれません