心の底
そして僕は表情を失う。
込み上げてくるものが皆、じっくり押しつぶされて息をしなくなる。
やがて、何もない無に立ち尽くす。
何をしようか。
そう問うことにももう疲れてきた。
何百回目だろうか。
いつもここに行き着く。
とりあえず目の前のことをやろう。
そう言って僕はまた歩き出す。
そしてまた、こいつにぶち当たる。
ただこれの繰り返し。
周りの状況も、僕自身の実力も確実に変わってはいるけれども、
根本の原因は一向に解決はされた気がしない。
この狭間に耐えられなくなって、また盲目に発進していまいそうだ。
人生とはそういうものなのだろうか。
こんな自分を正当化したくなって
これが正しいと主張したくなる。みんなを捩じ伏せたくなる。
はぁ。
正解がわからない。正解をさっさと選びたい。正解があってほしい。
今のこれが真実で、これしかないのだとは思いたくない。
僕は諦められない。
この自力が廃れることはあるのだろうか。
完全な脱力が究極の状態なのだろうか。
他力。救われる。
こういう表現が確かにしっくりとくる。
この世界で、僕はどう生きていけばいいのか分からない。
分からなさを生きる。
それっぽく言ったところで何も問題は解決しない。
なんだよそれ。
これはやって損はないから一旦これをやろう。
これをやったら考えよう。
とりあえずこれを終わらせてから。
そうやって先延ばしにし続ける人生で終わりたくはない。
ここからどうやったら抜け出せるのだろうか。
何かやりたいことを見つけるとかそういうのじゃないのは分かる。
問題はそこじゃない。
これは僕の態度の話だ。
生き方、人生に対しての姿勢の話。
何か新しくキラキラした「やりたいこと」が見つかるなんて幻想はもう捨てよう。
今より状況が変わったらなんて気持ちは
単なる思考放棄に過ぎないと認めよう。
今どうするか。どうあるか。
時間が解決するような話じゃない。今真摯に向き合え。
今の実力で、今の視野の広さで、僕は何を選ぶ。どう在る。
きっと何をやるかなんて大した問題じゃないんだろうな。
誤差の範囲なんだと思う。
人を大切にしたい。
好きな人たちの中で生きていきたい。
あの人が言うからとか、一般的にこうだからとかを理由に選択をしていくのは、すごく責任感がない生き方だし、
それだと何を選んだとしてもパッとしないような気はするんだよな。
依存的な生き方。
今の僕には何が足りないんだろう。
それがわかっていたら今の状態にないってのはそうだけど、
それでも何が足りないのかを知りたい。
足りないとかじゃないのかな。
足りないというよりおかしいところ。執着のあるところ。絡まっているところ。
昔の僕はゲームを楽しめた。
だけど今はなんか楽しめない。
きっと意味があることをしたいんだろうな。
正確にいうと直接的に意味があるとわかりやすいもの。
けどその価値観はなんか未熟な気がする。
そんなのは関係なしに今のやりたいに向き合えるような僕でありたいな。
何か満たされない。
これはいったいなぜなんだろう。
人との繋がりがあるのかな。
満たされるものと考えているのがおかしいのかな。
まあこれが一番それっぽいけど、それで終わってもなぁ。
それを受け入れることがもしかしたらゴールみたいな境地なのかもしれないけど、今はそれを認めたくない。
そんな気持ち。
人間関係の浅ささみたいなところの満たされなさを、
他のもので埋めようとしているのかもしれないな。
ここが満たされていたら、別に他を求めようとしない。
人は孤独だ。
事実そうだからこそ、自分の存在を確かめようとする。
パッケージを作っていく。
人と奥で繋がること。
これが本当の安らぎを僕にもたらしてくれるのかな。
これが愛とやらなのかもしれない。
恋愛に僕の知らないことがたくさんあるような気もする。
何か面白いことをしたい。
というよりこれは面白くない。
そんな気持ちがずっとある。
だから今はない何かを探し求める。
面白いってなんだ。
それは多分対象の問題ではないんだろうな。深い領域の話では。
自分の中から生み出されるものを創り出す。
こういうのはなんか大切な気がする。
自分に溜め込まない。
自然と湧き上がってくるものを外に出す。
循環の中に自分がある状態。
そう。何もいらないじゃないか。
いったい何がいるんだ。
人に囲まれながら、日々を味わって生きる。
日々を生きることは何かを目指すことでもあるだろう。
それはそうで、土台に人間関係がある。
もうこれだけなのかもしれないな。
今いる人ともずっと一緒にいられるわけじゃない。
別れもあるし死もある。
だからこそ、今一緒にいられること、話せることが幸せなんだなと思う。
一方で欲に忠実に一生懸命生き、
一方で今の身の回りの全てをしっかり抱きしめる。
それほど幸せなことはあるだろうか。
笑顔で楽しく生きていきたいな。